124禁足地の歓迎

「ミルム、切り拓け。周囲200mだ!」


「任せるのじゃ!」


 カランディールへの指示はなし。だが彼はいつもいい仕事をしてくれている。

 既に矢が放たれ、木々の隙間を縫って目標に迫る。

 その矢を前方に大きく張り出す角で蹴散らし、のそのそと近付いて来る、あの生物は――


地獄鹿ヘルジカ、か?」


 ひときわ高い背にすらりと長い脚。

 とにかくサイズがワイルドで、二階建ての家ほどもある。

 頭に備わる角は巨大かつ鋭利。身体を支えることさえできるほど頑丈。

 しかしその威容と相反するように草食よりの雑食性で、非常に臆病な性格だ。

 ましてやわざわざ人前に顔を出してくるなんて――

 そう考える間にも、視界が開けたからか頭を下げて突撃してきた。


「潰せリゼ!」


「言葉選びが下手ですよっ!」


 ――ガアン!!


 硬質な物同士が打ち合う音がする。

 金属の塊であるメイスはともかく、生物由来の角が出す音ではなかった。

 そればかりか、リゼットの攻撃力を持ってしても、止めることさえ叶わない。

 夜叉虎ホロウタイガーに殴り飛ばされた時のように横へと弾かれ、周辺の木々をぶち抜き消えていった。


 そんなリゼットをものともせず、地獄鹿ヘルジカは頭をぶるりと揺するだけで突進を続ける。

 年の功か。カランディールは慌てることなく弓を引き絞って放つ。

 だが、変わらず広い角が矢を弾いて牽制にすら及ばない。

 ひしひしと緊張感が伝わる姿に、


「リゼは心配すんな」


 一言、カランディールに投げてルシルが前に出る。

 しばらくすれば平然と戦線復帰するのを知りつつも、馬鹿げた突撃力にルシルも冷や汗を流す。

 一人ならともかく、あの質量と力比べをするのはさすがに悪手。

 軌道を反らさねばミルムが轢かれるからだ。

 幅の広い角を切り落とすつもりで剣を抜く。


 ――ギィィン!!


 先ほど同様、硬質な音が響き渡る。

 問題は……剣はメイスほど頑丈ではないことだ。

 少しでも受けを間違えば簡単に折れる。

 ゆえにルシルは、音以外の衝撃を剣に残さず身体を通す・・・・・

 そして角を目隠しブラインドに、打ち上げるように眼球へ左腕を振るった。


 ドゴオンッ!!


 重量級の馬車が正面衝突するような轟音を上げる。

 その打撃は、カランディールが怯むほどの衝撃を周囲にまき散らした。

 当然、凄絶な衝撃を頭で受け止めた地獄鹿ヘルジカは、身体ごと真横に……リゼットとは反対側に吹っ飛んでいく。

 すさまじい勢いで宙を舞う身体は、角が地面をひっかきまわし、草木を絡ませ跳ねて転がる。

 最後は横滑りしてようやく止まった。

 質量攻撃とっしんに対してはあり得ない方向の回答を前に、カランディールは言葉もない。


「……手応えがおかしい」


 殴りつけた左手をぎゅっぎゅと開け閉めしてルシルが呟く。

 リゼットに馬鹿力と笑っていたのが信じられない。

 生身の身体で距離にして30メートルも殴り飛ばして何を言い出すのか。

 たった一人の膂力で実現したとは思えない惨状に、カランディールの方が引き気味である。


「それよりリゼットを――」


「カラン、まだだ」


 視線を地獄鹿ヘルジカへと向けると、目を中心に頭が半分以上が無くなっている。

 いいや、頑丈な角のせいだろうか。首もあり得ない角度に曲がっている。

 あれでどうやって『まだだ』と言えるのか……。

 警戒を緩めず注視すれば、傷口からウニウニと小さな手のようなものが揺らいでいた。


「な……んだあれは!?」


この森の管理者カランでも知らんってことは、新種かお目当て・・・・か。

 どっちにせよ、地獄鹿ヘルジカに捕捉されたら倒し切らないと危険だな」


 地獄鹿ヘルジカは臆病であり、遭遇率は極端に低い。

 なので・・・、不意打ちで未知の生物に遭遇すると、混乱パニックから凶暴化バーサーク、果ては敵性の排除・・・・・に全力を費やす。

 そしてヤツに見つかって生き残りがほとんど出ないことで、さらに『遭遇率が上がらない』わけである。

 目撃者が居なければ存在しないのと同じだからだ。


「リゼ、いつまで寝てる!」


「あれだけの攻撃に晒されてすぐに復帰できるわけが……」


「もう少し優しいモーニングコールはできないのですか」


 カランディールの非難の声は、当人によって遮られた。

 戦闘中にもかかわらず、ガサガサと音を殺す努力もせずに現れた。

 すたすたと平然と歩いて来る姿にはダメージが感じられない。

 あんな目に遭って……カランディルの混乱は深まる。


「無傷のくせにいちいちもったいぶるから――」


「いかに頑丈でも怪我くらいするだろう」


「『頑丈』は女性に使う言葉ではありませんよ」


「そ、そうだな?」


「……どうしたその血は」


「血、ですか。久方ぶりですね。わたくしに攻撃が届くなんて」


 ルシルの指摘に、頬を伝う血に気付いたリゼットは、そう言ってグイっと顔を拭う。

 その下からはつるりとした肌が顔を出し、何処にも傷が見当たらない。

 どれだけ回復能力が高かろうとも傷痕くらいは残る。

 治癒魔術とて同じで、そこまで万能な力は持ち合わせていないはずだ。

 今更ながら二人の異常さをカランディールは痛感する。


「カッコつけてる場合か。支障は?」


「ありません。ただ、原因が分かりません」


「悠長に話してる場合じゃないらしいぞ」


「……形態変化か?」


 ルシルの攻撃で横たわる地獄鹿ヘルジカの頭の輪郭がずるりと崩れ、蛇のように細く長くすらりと伸びた。

 胴体はずんぐりと膨らみ、体積を補うかのように前足が縮んでいく――姿を見過ごすルシルではない。

 神速の踏み込みで近付き、かかと落としのごとく首元らしき部位を踏み抜いて動きを固定。

 地面をバカンッ、と窪ませる威力を確保のための行動とは思えない。

 そして間髪入れずに膨らんでいく胴を剣で貫く……が、手応えが気持ち悪い・・・・・

 踏みつけていた足で押すように前蹴りを入れて吹き飛ばし、自身も背後へと跳んで距離を取る。


「何だあいつ。土手でも突いたような感触だぞ」


 剣先に残る緑の体液を振って飛ばしてぼやく。

 弾かれた地獄鹿ヘルジカは、ゴロゴロと転がる内に、ごわっとした毛皮から、ふさふさの羽毛へと変化を遂げて……。


「今度は堕鳥ダチョウかよ。しかも……っておい、でかすぎないか? ちょっとした竜に匹敵するぞ」


 ルシルは剣を担ぐように構えてぼやく。

 暗殺者アサシンのごとき隠密狩猟を得意とし、人類の天敵との異名まで持つカラドリオスとはコンセプトの全く違う魔鳥である。

 空から堕ちた鳥からつけられた堕鳥ダチョウは、驚異的な回復力に加えてあらゆる毒を遠ざける。


「何だアレは」


「そりゃ生息地でもないわな。簡潔に言えば、頑丈で脳筋な鳥だ。正対すんなよ」


「正対、ってことは正面に立つなとい……」


 ――ドッ!


 カランディールが言い終わるよりも前に、ルシルは突き飛ばす。

 直前までいた空間を堕鳥ダチョウがすさまじい勢いで通過していく。

 突風が間を駆け抜けたかと思えば、そのまま背後の密林に飛び込み轟音を巻き上げていた。


「言い忘れたが馬鹿みたいに速い。ついでに半日は走れる。

 あと、猛禽類並みに目がいい。躱す時に一歩目・・・の踏み込みを見間違うなよ」


「……それを先に言ってくれ」


 ベッ、と血を吐き捨てながらカランディールが文句を言った。

 すでにリゼットの魔術が彼を包み、治癒と補助が掛けられている。

 たしかに直撃するより遥かに被害は小さい。

 が、それでも回避のたびに膝が笑うようなルシルの打撃は食らいたくない。

 吹っ飛んでへし折った木を支えに立ち上がるカランディールは、苦々しい思いに駆られる。


「攻撃手段は体当たりと蹴り。そして相性最悪な属性が『頭の悪さ』だ」


「うん? それは対策が立てやすいのでは?」


「貧弱な相手ならな。だがヤツは違う」


「強者を打倒するための知恵だろう?」


「カラン、身体能力強者フィジカルおばけが……いや、あの巨体が『死兵になる』って考えるとゾッとするだろ」


「……次を考えないからか・・・・・・・・・!!」


 ルシルの言葉こたえ

 そして堕鳥ダチョウが突っ込んだ先で残骸が吹き上がるのを見て、カランディールは戦慄する。

 これから絶望的な鬼ごっこが始まるのだ、と。

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