123禁足地

 ――サクリ


 ついに禁足地に足を踏み入れる。

 あの広場だけが異様に整っていただけであり、今はもうただの未開拓の森である。

 空気の違いなんてものは感じられない。

 それでもカランディールの身体が強張っているように感じられた。

 何百年も守ってきた絶対の禁忌を犯すのだ。気負うなという方が無茶だろう。


 進む。進む。進む。

 歩きから早足に、そうして速度はぐんぐんと上がっていく。

 それと同時に遭遇する魔物の数も増し、その危険性からいちいち足止めを食らっていた。


「ルしるぅぅぅ!!!?」


「何だよ頭の上でうっせえな!」


「止まるなら食って行かんのか!」


「そんな時間はねぇよ!」


「せめて一口持ち帰るだけでも! いや、かじるだけでも!!」


「ネズミくらいならともかく、あんな馬鹿でかいもん持って帰れるか!」


 ルシルに肩車されるミルムが、彼の頭にもたれかかって不満を嘆く。

 この原始の森では何もかもが巨大であり、神域化により拍車が掛かっているらしい。

 通常個体の二倍、三倍に迫るサイズも見かけている。

 ルシルの言う『ネズミ』ですら家ネコサイズはある。


 そんなものをいちいち食べたり持ち帰ったりするのはあまりに面倒だ。

 今しがた討伐した名もなき魔物なんて四メートル級である。

 持ち運び云々以前に、矢で致命傷を与えるのも難しく、つまりは勇者ルシルの手を煩わせているのだ。


「そんなに言うなら足を切り落としてやるから勝手に焼いて齧ってろ!」


「火も使ってよいのかの!?」


「《灯火トーチ》だけだぞ。炙って齧れ。絶対生で食うなよ!」


「ふはは! そうでなくては! ルシルも聞き分けがよくなったものだの!」


 こんな危険地帯での肝の座り方に、カランディールとリゼットの二人は溜息を零す。

 それが無知なのか自信なのかはさておき、羨ましいものである。

 剣のつばをキンと高く鳴らすルシルは、言った通りに骨付き肉を切り出してミルムに投げ渡す。

 反射的に受け取ったミルムは重みで前につんのめり、ルシルはその傾きのままに駆けだした。


「あと、少しでも風魔術切らしたら捨てるからな!」


「なんじゃと!?」


「仕事をサボるヤツに与えるおやつはない」


「ぬあぁぁぁ! 後生じゃぁぁぁ!!!」


 ルシルの歩みは直前までの六割から。

 初速には早すぎるが、いつシエルの侵攻・・が始まるかわからない。

 遊びの時間は終わりを告げ、ここからはタイムトライアルに移行する。

 こうしてミルムの・・・・悪戦苦闘が始まった。


 ・

 ・

 ・


 進行方向の草花を切り拓き、残った障害物をルシルが指差し排除するまでは同じ。

 その間、骨付きの枝肉を握りしめる手に《灯火トーチ》を発動し続ける。

 同一魔術の多重展開が上級者ならば、同一系統の別魔術・複数展開が師匠級マスタークラス

 対して別系統魔術の二重展開は、低い等級でさえ奥義と言えるほどの難易度になる。

 いや、どちらかと言えば曲芸か。


 意表は突けるが威力が足りず、戦士に置き換えると馬の上で逆立ちしながら弓を射るくらい無意味なことである。

 それなら同系統の魔術で攻めた方がよっぽど効率がいい。


 といった事情を知ってか知らずか。

 少しでも前方への意識が緩めば、ルシルは本当に・・・枝肉を切り捨てた。

 ミルムの手には端が炙られた骨だけが残る。


「うぎゃーーー! 何をするのじゃルシル!?」


「サボるからだよ。ほら、次来るぞ」


 絶叫を上げている暇もない。

 視界が開けた途端に魔物が突撃して来るのだ。

 骨を放り出して迎撃に意識を割くが、その動きすらも遅い。

 既にカランディールの矢が額に突き立っている……だが、それでも速度が落ちたかどうかくらい。


 畳みかけるようにリゼットが一歩前に踏み込み、矢が突き立つ魔物の額にフルスイングをお見舞いする。

 突撃する全ての勢いが地面にめり込んだように地面が窪み、魔物がつんのめって身がよじれる。

 間髪入れずにルシルの剣閃が首と手足を切り落とした。


 残心――


 一瞬の空白を得て、バラされた魔物の身体が地面に激突する。

 そしてミルムの手には新たな枝肉が渡っていた。


「……手際が良いな」


 カランディールが改めて感心の言葉が漏れた。一連の光景をもう数度も見ている。

 相手が何であれ、一撃必倒のリゼット。そして必殺のルシル。

 狩人たるカランディールからすると、いずれもが恐ろしいまでの戦力だ。

 過去人族を含む他種族との小競り合いも経験したが、その中でも随一だろう。


「カランが足止めして、馬鹿力のリゼが叩き伏せてくれる。俺は切るだけさ」


「馬鹿力は余計ですよ」


「怪力?」


「……どうやら殴られたいようですね?」


「もうちっと上手く当てられるようになったらな」


 ――ブンッ!


 怖ろしいまでの威力を秘めた横薙ぎの豪速フルスイングを、ルシルは苦も無くかわして笑う。

 探索速度は異常の一言だが、何ら成果が上がらない。

 とはいえ、時間と共に食事を摂らねば体力が底を突く。

 一旦先の猪の魔物の討伐で午前の探索を切り上げたのだ。

 肩から降りたミルムは、握りしめた枝肉を必死で《灯火トーチ》している。

 既に焚火はおこされているので、普通に炙ればいいだけなのだが。

 最早意地なのだろうか。


 ルシルは「焦がすなよ」と一言添え、討伐したばかりの魔物の肉をスライスして火で炙る。

 薄切りの方が火の通りは早く、ミルムよりも先に肉にありついていた。

 当然、ミルムがその暴挙を許すわけもなく、わいわいと食って掛かられている。

 カランディールは「ルシルはどうしてそうも波風立てるのかね」と溜息を零すのだった。


「そんな本気で怒ってないって」


「それを寄越すのじゃ!!」


「わたくしは根に持ちますよ」


「え、怒って、ない、よな……?」


「くく……自信が無くなってるじゃないか」


「まぁ、適度なスキンシップってことで」


 そんなことを言って流し、ミルムには炙った薄切り肉を投げて餌付けする。

 リゼットは……大人なのできっと口だけのはずである。

 まぁ、さっきは十分に殺せる勢いで殴りかかって来たような気もするが。


「それよりカラン。何か気付くことはないか?」


「……しいて言うなら『空気が濃い』くらいか。

 だが、エルフわれですらそう感じるのだ。貴君らは輪を掛けてだろう?」


「気付いてたか。肌感で濃い方を目指してるんだが、手応えがなくてなぁ」


「むしろその過敏さに驚きだ」


「リゼの方が気付きは多そうだけどな」


「ルシルのカン・・には敵いませんよ」


「俺の繊細な感知力をカンの一言で……!」


「くく。こんな場所でよくもじゃれ合えるものだな」


 そのじゃれ合いの中にはカランディールも含まれているのだが、本人は気付いていない。

 それにしても。禁足地……境界線を越えれば、もっとこう、分かり易い変化を感じられると思っていた。

 それが想像していた以上に何もない。

 ただ少しばかり自然の気配が濃密で。そのせいか魔物のサイズも大きい……が、それだけだ。

 空間が閉じていると教えられなければ、気付くまでに随分と時間が掛かっただろう。


 いや――


「逆か? 『感知できない』と考えた方がいいかもしれない」


「おぉ、そういえばメルヴィの洞窟でも似たようなことを言うておったのぉ」


「なるほど? そういうこともあるのか?」


「どうだろうな。ともあれ、禁足地に入ってしばらく経つが、この森は一体どこまで広がってるんだ?」


「さぁて。少なくとも行商には苦労するのだろうな」


「こっち方面から訪問客がないってことか?」


「禁足地から誰かが来たら神……いや、神使しんし扱いされると思わないか?」


「……なるほど。祀られてるヤツはいなかったしな」


 分からないことが多いから禁足地にしているのに、通って来たヤツが居るなら矛盾している。

 五里霧中では思考までが堂々巡りをするのか、冴えた考えが浮かばない。

 一体どこまで行けば奥地に到着できるのか。

 昨日の行軍速度の倍は出ており、すでに距離で言えば越えていてもおかしくはない。

 いや、目的は神域とともに現れる魔物との遭遇だったか。


「……違う」


「違う? 何がだ」


「何で俺は距離感が狂ってる・・・・・・・・んだ?」


 彼は地図さえ存在しない魔族領を踏破した。

 もっと直近ならば、粗雑な地図を片手に、未開拓地域を突っ切って一直線でベルンまで到達している。

 移動するほどに補正される、ルシルの方角や距離、そして目的地へ向かう嗅覚は、それほどまでに鋭い。


「目標に近付けないのはいい。何を目指してるのかもわかってないわけだからな。

 だが、『昨日と同じくらい移動したかもしれない・・・・・・』だと? 先導者ナビが距離すらわからないって終わってないか」


 ルシルは頭を抱える。一体いつからだ。

 昨日転移してからか……いや、むしろ今朝まで・・・・は異常がなかった。

 そう、昨日の行動距離を把握していて、今まさに現在地と比較することで狂っていることに気付いたのだ。

 であれば――


「禁足地を越えてすぐ、か」


「どういう意味だ?」


「俺の感覚は禁足地に入ってから、一段と鈍ってるって話だ」


 正確無比なはずの距離感・方向感覚は狂い、目的地もあいまい。

 頭脳労働の得意なヤツも居らず、打開策は見出せず、時間だけが刻々と過ぎ去っていく。

 そうして悩んでいたルシルがすくっと立ち上がり、手に持っていた肉を頬張って告げる。


「悠長にしてる場合じゃないらしいぜ」


 カランディールエルフルシルゆうしゃの警戒網を素通りする、飛び切りのヤツが訪れたのだ。

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