122カランディールの思惑

「早いものだな。まさか一日で禁足地きんそくちに至るとは」


 少しばかり上がった息を整えながら、カランディールが感慨深げに口にした。

 ほぼ一直線に駆けて来たルシルたちの眼前には、巨大な神殿の門を彷彿とさせる二本の巨木がそびえ立つ。

 また、巨木の間には、この森の恩恵を多大に受けたであろう、人の手首ほどのつるで編んだ縄が渡されている。

 縄の太さはルシルが手を広げても届かないほどで、長さにしても橋のようなサイズ感である。

 ここまで巨大であれば、装飾品よりも建築物と呼んだ方がよっぽど的確だろう。

 島にあった石柱とは違った意味で荘厳だ。


 ルシルは肩車で「これは壮観じゃのう!」とはしゃぐミルムを下した。

 しげしげと周囲を見渡すルシルは「えらく目立つ禁足地だな」とぼやく。

 ちなみに地面に降ろされたミルムは、一日中ルシルに乗っていたことで力を使い果たしたらしく、へなへなと座り込んでいた。


 感覚的には散々泳いだ後、みたいなものだろうか。

 魔術行使によって過敏に冴え渡る頭と、しがみつき続けた身体で認識に随分とが生まれているようである。

 その疲労を押し流すべく、リゼットが慌てて駆け寄った。

 ちなみにルシルとリゼットは息すら上がっておらず、カランディールは外部よそものの力に密かに舌を巻いていた。


「若者の暴走を防げているエルフの統率力に驚きだ」


「ふむ。禁じられているからこそ、沸き立つ衝動だな。

 年嵩としかさの長短に関わらず、この地を訪れる者はそれなりに多いぞ」


「……ん? さっき禁足地、って言ってなかったか?」


「これより『先』がな。ここまでは誰でも来る。

 まぁ、神域化された今の時期は移動に制限が掛かるので、未開拓の森林このありさまだったがね」


「境界線の目印ってだけか」


「そうだな。ただ、明確に禁足地のエリアは分かっていない。

 あくまで『ここまでは無事に帰れた』という経験則でしかないなのだよ」


「へぇ。ある程度線引きができてるってことは、やっぱり事実なんだろうな。

 ちなみに『この先のエリア』ってのは、ここみたいに周囲を目印で囲ってたりするのか?」


「いいや。この先・・・だ。ここから先は分からん」


「てことは方角も不明ってことか……遭遇すら難しいかもって可能性は考えてなかったな」


 切り揃えられたかのような浅い草、空を隠すようにドーム状に覆う木々。

 神域と化して鬱蒼とした森の中でも半球状に大きく開けてい姿は、たしかに何かしらの意思がありそうだ。

 ともあれカランディールが用意してくれた荷物を地面に置く。

 今日はここで野営の予定である。ちなみに彼は到着できるとは思っていなかったようだ。


 ルシルは動きのぎこちないミルムに野営の陣頭指揮を。

 リゼットにその助手の役目を任命する。後は二人が何とかするだろう。

 彼女らは何だかんだで逞しくなっているのだから。


 てきぱきと準備が進むのを横目に巨木を眺める。

 自分であれば『腕試し』と称して突撃しただろうな、とルシルは内心で苦笑する。

 一生分戦ったと言える今でも、わりと戦闘意欲は高いと自覚している。

 隔絶した強さを持つエルフたちの自制心に改めて敬意を抱く思いだ。


「成功の栄誉メリットと失敗の危険度リスクが釣り合わないのだよ」


「うん?」


「禁忌破りが行われない理由さ。

 生涯に渡り『禁忌を犯した家系』の誹りを、親族に・・・受けさせる覚悟が必要だからな」


「……なるほど。本人は死んでるもんな」


 エルフの生涯となると百や千の単位だ。

 それも閉鎖的であり、外へ出るなんてことも珍しい。

 禁忌破りの落第家系として語り継がれるリスクはあまりに大きすぎる。

 メリットにしても、本当に栄誉を得られるかはかなり疑問が残る。

 少なくともミストフィア大森林における絶対順守の約束事を破ったことには変わりないのだから。


「ちょっと待て。それならカランおまえが中に入っちゃダメだろ」


 カランディールは気が進まないと言いながらも、最初から参加してくれている。

 むしろ賛同して案内し、そればかりかこの奥へと共に踏み込むことになっていた。

 となればそれだけの覚悟をすでにして――?


「ん? 何だ。我を担いでおいて、失敗するつもりなのか?」


「そんなことはないが……」


「まぁ、我としてもルシルを推した手前、引き下がれないのだよ」


「やっぱり緊急招集を頼んだのはまずかったか」


 あちゃーと額に手を当てる。

 現場の指揮官が、作戦司令部どころか、その王や側近を呼びつけるようなもの。

 本来であれば一蹴される話を通してきたのだ。相当な無茶をしたのだろう。

 事態の深刻さから頼んだことだが、今更ながら重大さを痛感する。


「知っての通り我らの時間軸は人族とは違うのでな。

 火急の報せであっても、複数人の重役を役職の低い者が呼び集めることはあまりないのだよ」


「お、おう。そりゃ随分と無茶を言ってすまなかったな」


「気にするな。我らもそろそろ外界の潮流を組み入れねばならん」


 そう言ってルシルを見やる。

 エルフは人族よりも遥かにポテンシャルが高い。

 だが、それはあくまで『種族の差』でしかない。

 そして人族はそれらをどうにかしてきた過去が存分にある。

 彼らの恐るべきはその多様性であり、ルシルやリゼットのような規格外が不意に現れるところだろう。


「……だとすればいつまでもこのような『禁足地』を残しておくわけにもいくまい。

 それでなくとも種族間で時間軸が違うというのに、現実にも違えば間違いなく将来の枷になるだろう?」


 禁足地を忌避するエルフに声を掛ければ、最悪通報さえあり得る。

 であれば、部外者ルシルに選択肢を提示するのは彼には都合がよかった。

 だが、そんな事情は実は些細なことで――


「まぁ、何を言っても、我も『英雄』に憧れる一人ということなのだよ」


 五百を優に数えるカランディールでも、腕試しの疼きは止められないらしい。


 ・

 ・

 ・


 ミストフィア大森林において、安全圏外での野営はなかなかに危険な試みだ。

 森の管理者エルフのカランディールでさえ、神域の夜はためらわれるほどである。

 それが禁足地に最も近い広場であれば、その警戒レベルは最大と言えるだろう。

 だというのに――


「まったくお前たちときたら……!!」


「すみませんっ、すみませんっ!」


 カランディールが頭を抱える横で、リゼットが頭を下げる。

 というのも、野営に備えててきぱきと動いていたのも束の間。

 気付けば火を起こし終えており、何なら食材が炙られ、カップに飲み物が満たされていた。

 何ならその辺から伐り出した丸太をテーブルにしていたりする。


 そうして無礼講だと言わんばかりに、わははっ、とミルムがはしゃぐのだ。

 咎めようとカランディールがルシルを見れば、いつの間にか輪に加わっていて、何なら煽ってさえいる。

 安全であることは確かのようなので、あまり厳しく言うのも……と躊躇ったのがまずかった。

 そのまま二時間ほども夕食を楽しむとは誰が考えるだろう?


 最終的にカランディールによって打ち切られることになり。

 そうして騒いだミルムの今朝は――まだ就寝中である。

 というわけで、冒頭に戻るというわけだ。


「まぁ、そう言うなよ。ミルムのお陰で随分と進んだんだから多めに見てやってくれ」


 ルシルは眠そうにふわぁ、と伸びをしながらミルムを揺する。

 そんな隙だらけにしか見えない状況下でも、何故だかカランディールは攻撃が届く気がしない。

 相変わらず不思議な空気を纏う男だ、と内心で感じながらも口を出す。


「それは昨日の話だろう。いや、あれだけ魔術を使えば疲労が残っても……?」


「あー……こいつ、魔力が底なしだから単純に寝惚けてるだけなんだわ」


「まったくっ!!」


 どちらかと言えば時間的にゆとりを持つエルフが短気になる面白い構図だった。

 だがあまり時間があるわけでもないのも事実である。

 ゆえにルシルは早速キラーワードを口にした。


「ミルム、そろそろ起きてくれよ。飯抜きで出発するか?」


「そいつはいかんっ!!」


「ほらな。ミルムは寝起きが良い方なんだよ」


「……それを寝起きというのか?」


 がばっと身の回りのものを放り出して跳び上がるミルムに、カランディールは溜息を零す。

 元々大博打のつもりではあったものの、今更ながら大丈夫なのか、という思いに駆られていた。

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