119時間の重み

 空間が閉ざされる。

 その言葉の意味は、別段難しいことではない。

 しかし逆にその状況を打破するとなると途端に難易度が上がる。


「閉じた神域か。それなりにあるタイプだな」


 神域は人が生きるルールとは別のものが敷かれた空間である。

 ゆえに砂浜と海のような『あそび』がある場合と、崖と海のように境界線が明確に分かれているタイプが存在する。

 どちらかと言えば前者の方が多く、神隠しの一端はそうした場所に『迷い込む』ことで起こるのだ。

 そして今回は後者の方、いつの間にか落下していたタイプである。


「そうなのか。この領域を管理する我らにとって、神域化はさほど問題ではない。

 外界との接触ができなくなるだけ……いつもとさして変わらない日常だ。

 しかしごく稀に外部から訪れる者にとっては深刻な問題になる。病んでも外へ行けないのでな」


「……なるほど? 一人だけ居た帰還者が発狂していた原因はそれか」


「帰還者? 神域までは踏み入れなかったのか。

 となれば管理地よりも閉じられるエリアは少しばかり狭いのだな。随分と幸運なことだ」


「ほんとにな。まぁ、症状出てるから良し悪しは微妙だけどな」


「ふむ……。外界に戻れば快方に向かうと聞いているのだが……」


「そうなのか? それは嬉しい報せだな」


 この地で介抱されている者たち含め、最悪の結果を覚悟していた。

 だが、エルフの経験則では立ち直る見込みがありそうだ。

 急ぐ理由が補強されたルシルは、


「まぁ、俺らなら突破できるだろ」


 と楽観的なのは変わらない。砂浜であろうと崖であろうと。

 踏破する苦労が変わるだけでルシルは問題ないだろう。

 リゼットにしても、数多くの神域を経験しているベテランだ。

 この程度のことは――


「残念だが時間軸もズレている」


 その一言にルシルはハッとする。

 自分は先ほど何と言ったのか。そう、『最長で一ヵ月』である。

 であれば、何か月も前に出発している『最初の未帰還者』が生きているわけがない。


「……そうか、だからこいつらは生きてるのか」


「入るのが容易でも出るのが困難な理由の一つだ。

 それと我らからすれば、そう波風立てられると困る事情がある。

 神域はこの森を富ませる役目も担っているのでな。おいそれと環境を変えてもらっては困るのだよ」


「あー……『閉じてるタイプ』は穴を開けると崩れかねないから、か」


 いかに未帰還者たちを救いたいからと、現地民に迷惑を掛けるのは間違っているだろう。

 そもそもエルフが来訪者の暴挙を見逃す道理が皆無である。

 むしろ負担でしかない看病を数十人単位でしてくれている厚意に感謝するのが先だ。


「ちなみにリゼット、転移はできるか?」


「……無理、ですね。目印マーカーが捉えられません」


「時間までズレてればなぁ。誤差は……状況から見て最大で五倍ほどか?」


「内・外で時間を測ったことがないから正確なところは分からんな」


「そりゃそうか。そういえば30年ほどの周期って言ってたな?

 つまり『エルフの庭』と『神域化』を交互に繰り返してるってことだろ?」


「そうなる。神域化は内部時間でざっと三年だ。今回は残り二年ほどだろう」


「んん?! つまり外の時間で10年閉じ込められるってことか?!」


 思わず大声になるルシルは頭を抱える。

 何かしらの打開策を見つけなければ、このまま閉じ込められたままだ。

 少なくとも目の前でうめき声を上げている探索隊は間違いなく全滅する。

 これだから神域は、とルシルはギリっと拳を握り込み、カランディールにあらゆる意味を込めて宣言する。


「……頼むカラン。この森の責任者を紹介してくれ」


「ほう? 一介の狩猟担当者に何を頼むかと思えば」


警備責任者カランに頼むことが一番ハードルが高いことは理解している。

 当然、余所者の戯言をいちいち真に受けてちゃ仕事にならんこともな」


「であれば――」


「だが、それでも、だ。

 これは俺たち人族とエルフが、共に直面する問題だからな」


 これまでの気楽な態度から一変し、何事にも曲がらぬ信念を感じさせる。

 ルシルには何を言っても意味はないだろう。たとえエルフという種族を敵に回しても、だ。

 少なくともカランディールにはそう見えた。

 いや、彼の言い分なら『味方にするため』だったか。


「……そうか。余所者の戯言に付き合ってくれる者がどれだけ居るかな」


「カラン!」


「だが、その理由を聞いて、我が納得してからだぞ」


「もちろんだ! リゼット、お前の意見も必要だ! ミルム! は……」


「何じゃ?」


「カラン、ミルムにここを説明してやれる人をつけてもらえないか?」


「くく……いいだろう。エルフをお守りに使う・・・・・・のはお前くらいだろうな」


「お守りじゃと?! わっちを何だと思っておるのじゃ!」


 カランディールの軽口に、ミルムが食って掛かる。

 その肩をルシルは「そうだな」と同意しながらもすかさず掴み、耳元で――


「俺たちの中でミルムが一番偏見がない。だからこの『調査』は、お前にしか頼めない。

 あいつらに『お守り』だと思わせておいて・・・・・・・、無知な俺らのために情報収集だ……やってくれるな?」


「なんと!? 任された!」


「おっふ。声がでけえよ! しっかり励んでくれよ」


 見学に加えて大任を与えられたミルムは、目を輝かせて「はよお守りを連れてくるのじゃ!」なんてはしゃいでいる。

 楽しんでもらえて幸いだが、変に情報収集の件を聞かれては面倒ごとになるかもしれない、とルシルは少し不安になる。


「随分口が上手いな?」


「……聞こえていたのか」


我らエルフは見た目通り少しばかり耳が良いのでな」


「そうだったな。人族の貧弱さが悲しいぜ」


「そう言うな。ともあれ、すぐに手配しよう。二人はこちらへ」


 カランディールの案内で、うめき声の上がる病室から退出する。

 後ろ髪を引かれるようなリゼットの様子を背中で感じながら。


 ・

 ・

 ・


「くっ、何であいつらが……!」「長老会を招集するなんてっ!」


「言うな。長の判断だ。コトが起きてからでは遅いのだ」


「ですがミスリス様」


「くどい。優先すべきものを失ってまで通す矜持などない」


「ヤツが嘘をついているとは考えないのですか!」


 激昂する部下に、カランディールは閉鎖的であるがゆえの頭の固さを感じる。

 深すぎる森のせいでミストフィア大森林は、良くも悪くも鎖国のような状況にある。

 異文化に侵されないことで、価値観を共有し、技術は先鋭ガラパゴス化していく。

 さらに長命で一代が長く続くとなれば、この傾向はより強くなる。新陳代謝がないとも言えるだろう。


「嘘、嘘か。あの言動が演技ならば大したものだ。

 だが、もしもこの地に動乱を起こすためのものであるなら、我が直々に首を刎ね、自害する覚悟がある」


「そ、それほどまでヤツを買っているのですか……」


「どうだろうな。話せる部外者は久々なだけかもしれぬが」


 カランディールは更けていく空を眺めるのだった。

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