118エルフの慈愛

「うぅ……」「うぁぁ」「ぐぅあ」


 うめき声が上がる惨状は、いつ見ても気分のいいものではない。

 ただ、ここは戦場にある急ごしらえの救護室とは違い、血の臭いが充満していない。

 そればかりか各人に支給されたベッドは非常に清潔に保たれていた。


 また、この広い空間を支える柱や壁は、伐り出された材木などではない。

 現在進行形で取り囲むように成長している、複数の生きた天然木によるものだ。

 ゆえに少々の傷なら時間と共に補修され、生木を利用することで耐久性に加えて耐火・耐熱性まで獲得している。

 さすがに床には板が張られているが、その安定感は盤石で軋みもしない。

 さらには適度な遮蔽を抜けて届く太陽光や風は優しく、とても病院とは思えないほどの快適性だった。

 都市の王立病院と比べても遜色なく、桁違いのクオリティを突き付けられる。


「こりゃぁ、また……」


 そんな場所で、ルシルは珍しく暗い声を漏らした。


 ・

 ・

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「風土病とでも説明すればいいだろうか」


 食事を終え、エルフ達の里に向かう彼らの背をルシルたちが追う。

 肉串を手放さないミルムを背負って並走するルシルに、リーダー格……カランディール=ミスリスが語り始めた。

 彼はミストフィア大森林と呼ばれるこの地の警備及び狩猟の責任者である。

 序列で言えば、森長、長老会に続く第三位。

 荒事のすべてを任されていると言っても過言ではない。


「風土病?」


「我らが納める土地は他に比べて自然が深い。

 耐性のない者が長期間この森に留まると精神に異常をきたすものでね」


「ということはここは『神域』とは違う、と?」


「あぁ。あくまで我らの管理地でしかないのでな」


 そうなるとシエルを置き去りにしたのは悪手だったか。

 荒事関連の交渉ならいざ知らず、政治や根回しが必要な外交案件はルシルの管轄外だ。

 リゼットを頼る手もあるが、明らかにシエルの方が手慣れているだろう。


「しかしここ一年の内に状況が一変している」


「一変?」


「ルシル、君が指摘した繁殖力だ。

 我々が管理する土地は、手を入れている分だけ育ちが早く収穫量も多いと自負している。

 それは耕している農地だけでなく、周辺の自然の恵み……果樹や獣や魔物にしてもそうだ」


「それであんな大物が出て来るわけか。人族が長期間生き残るのは随分難しそうだ」


「自慢の庭、と誇ってしまいたいのだがな。問題はここからだ」


 人族よりも圧倒的強者であるエルフが抱える『問題』である。

 人族ルシルに明かしたところでどうにもならず、何なら弱点として告知されかねない。

 そんなことをする理由なんて……ルシルは思考を巡らせるが――


ミストフィア大森林このもりはな。30年前後に一度、異界化……神域になるのだよ」


「……まさか?」


「この期間はそう長くはないのだが、今まさにその周期に入っていてね」


 密集していた草木が、ざぁっと一気に晴れた。

 そこには整然と並ぶ大木の数々。どれをとっても見上げるなんてレベルですらない。

 高すぎる樹木は山の稜線のような景色になる。

 見えるのは木々を伝うように、あちこちに設置されている床の裏側だ。

 つり橋を下から眺める気分を味わえ、それが枝葉のように走っている光景は圧巻の一言である。


「すっごい眺めだの!」


 ミルムは目を丸くして素直に感心の声を上げ、ルシルも「あぁ、本当にな」と賛同を示す。

 その人族では到達しえぬ幻想的な風景に、リゼットはただただ畏敬の念を抱く。


 見上げるばかりの大木は、しっかり根付いて生きていて、上空には枝葉が広く茂っていた。

 直射日光を遮る枝葉やねの下は、十分な明るさに加え、温度・湿度共に最適化されているようである。

 木漏れ日の中をついて歩くルシルは、「まさに圧巻だ」と口にしながら、建築をかじったことで疑問がわく。


「家はやっぱり木の又になってるところにでも作ってるのか?」


「つり橋のように枝に吊る形もあるので、それほど場所に囚われないぞ」


「それだと足元が揺れないか?」


「支えに枝や幹を使っているだけで、人族の建築と変わらんよ。

 どんな向きであれ、支えられるものがあれば、固定することはそう難しくないものだ」


「そうなのか。そういや雨どいとか排水溝とか見当たらないんだが?」


「不要だ。この領域に雨露が落ちてくることはほぼない。

 ただ、雨天は光はどうしても足りないので、黄昏時のように灯りは点すがね」


「ん? 風は?」


「周辺の木々が人族でいうところの防風林の役目も果たしている。

 余程の悪天候でなければ、外の天候が分からないので、観測所を用意してあるくらいだ」


「つまりここは町一つ覆う『屋内』ってことか?」


「なるほど、言い得て妙だな。

 我らは屋根のある家屋をわざわざ建てているのに、役割を果たす場面がないというわけか」


「ウケてるけどあんたのとこの里だからな? あと、上からの目隠しにはなってるだろ」


 二階建てなんて目じゃないくらいの立体構造なので、屋根がなければ丸見えだ。

 ルシルの人柄もあるだろうが、閉鎖的な環境に身を置く彼からすると、外野からの指摘は珍しいのだろう。

 特に気を悪くする風もなく受け入れてくれる。


「違う違う。風土病の話だ。神域と周期と風土病ってのがまったく繋がらないんだが?」


「ふむ。端的に言えば、現在は『異界化』の時期にある。

 この期間は精神的負荷が高く、里の者も少しばかり神経質になるものだ」


「そんなところへ外から来たら、そりゃ取り囲まれても仕方ない、か……」


「いいや、むしろ君らがまだ呑まれていない・・・・・・・ことに驚いている。そして――」


 ある広々としたホールの前でカランディールが立ち止まり、冒頭へ戻るのだ。


 ・

 ・

 ・


「見ての通りだ。我々が発見した部外者は全てここに収容している。

 収容人数は37。見ての通り食事が摂れないのでな。液薬を流し込んで助命しているところだ」


 うめき声の上がる病室では、甲斐甲斐しく布で汗を拭きとる姿が見られる。

 見返りの見込めないこの状況で、これだけの数の部外者を受け入れてくれるなど、懐の広さが信じられない。

 ほとんど鎖国状態のミストフィア大森林においては、おそらく異端の考えだろう。


「最長で一ヵ月、か」


「医術の心得があるのかね?」


「いいや。俺は医者じゃない。だが、身体が細って死人の匂いがしている・・・・・・・・・・

 いくら栄養を摂っても、筋力が働かなければ消費する先がない。

 環境が違えば免疫も機能するかわからんし、このまま吸収する能力まで失っていくんだろう」


「我々の見立ても同じだ」


「つまり一刻も早くこいつらを俺らが神域化エリアここから連れ帰る必要が……」


「それは無理だ」


「何だと?」


「異界化したミストフィア大森林は閉じられる・・・・・。外から入れても中からは出れないのだよ」


 溜息と共に語られた事実に、リゼットの顔に暗さが増したのだった。

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