116森の亜人
踏破すること約半日。
いい加減焦れたミルムが昼食を所望し、今はランチタイムである。
もはや手慣れたもので、きっかり周囲50mが気持ちいいくらいの見晴らしのよさだ。
ちなみに彼女はその中央に敷物を広げ、大口でおにぎりを頬張り、もきゅもきゅと咀嚼している。
この間、周囲の監視の目が緩むことはない。
ルシルの索敵範囲の外側から、木のざわめきに隠れて一定の距離を保って。
これだけの芸当ができる相手となると逆に絞られてくる。
「この隠密性は肉食系の
「
獣の因子を色濃く持つ種族の
というのも、世界の過半数を占める人族は、特殊性を持たない『
だから道具を駆使して戦術を磨き……要は個人が個人以上の性能を求めている。
そんな無能な人族を基準にし、特徴的な部分が『どこが、どれだけ外れているか』で区別している。
随分と勝手な分類だが、現状これ以上に分かり易い区別もなく、他種族でも認知されている。
――ギィ
ルシルの耳が自然では起きえない軋み音を拾う。
そしてその数は随分と多く――
「ミルム、指先の方角を
ルシルの指示に、頬張っていたおにぎりを瞬時に飲み下したミルムは、指差す先に魔術を構築。
細かな指定もないことから、
早撃ちのごときその刃は、人族であればかたまり肉に変じただろう……が、その何もないはずの空間に阻まれ霧散した。
呆気に取られるミルムの前で、その空間に矢が降り注ぎ、空白地帯に
――ずしゃああ
地面に落ちた雑草を船が海を割るように掻き分けられる。
その不自然な窪みはミルムのわずか十数メートル先まで到達し、ぼんやり景色が滲んだ。
「む? これは、何じゃ?」
「たしか亜竜の……
「『見えない捕食者』、ですね」
時間と共に景色から引きずり出されるように紫色の巨体がぬめりと現れる。
周囲に溶け込むように擬態していた体色が、死亡によって元に戻っているようだ。
「そうそう。何か大層な二つ名付いてるよなこいつ。
変温の生態で周囲の温度に同化する。雨でも対応の全天候視覚迷彩。消音性に優れる足裏完備。
まぁ、その分動きがトロくて、先に見つけさえすれば的っていうイロモノだな。しっかし、こんなのも居るんだな」
「首が回って伸びて初速は早いですし、口から出す舌は音速越えませんでしたか?
しかもその舌は粘着性に加えて変幻自在で射程は体長の倍くらい。
いくら脅威が頭部だけと言っても、鞭のようにしなって伸びる
イロモノ扱いできるのはルシルだけで、ほとんどの生物にとって最悪の天敵ですからね?」
「んーそうか? 見えず、聞こえず、ってのは狩りの基本だぞ?」
ルシルのとぼけた返答に、リゼットから呆れの溜息がこぼれる。
そう、たとえばミルムの頭に乗っかっているカラドリウスとかが最たるものだろう。
だが
「矢、ですか」
リゼットが指摘したように、息絶えた
ミルムの魔術は十分に鋭く、物量も申し分ない。
ゆえに大質量の
それが先ほどの光景である。
「魔術を掻い潜って矢を当てられるなんて、これで
「
「いやぁ、まったくだよな。あちこち更地にしちまったけど許してもらえるかな?」
わははとルシルは笑うが、リゼットの気は重くなるばかりである。
自然環境を都合のいいように作り変えるのが人族である。
対して利用すべく尊重するのが森の管理者の異名を持つエルフだ。
彼らは色濃い自然の中でも平然と生活し、恩恵を最大化するために里山を形成していた。
故に
であれば、ルシルたちの行動は彼らの目にどう映るのか……リゼットの気が重くなるのは当然だった。
そうしている間にも、音もなく木々の隙間からするっと三人のエルフが歩いてくる。
どう見ても緊張して……いいや、アレは警戒だろう。
取り囲む監視の目は一層鋭くなり、不用意に動けば四方から矢が飛んできそうだ。
弦をギリギリと引き絞る音が聞こえないことだけが幸いだろう。
そう判断したルシルは、人好きのする笑顔で話し始める。
「いやぁ、助かったよ。この子の魔術じゃ動きを止めるのがやっとでな」
「何じゃと?! ルシルの指示が悪いのじゃろう!」
「ミルム様、お静かに。ルシルは今大事なお話をしています」
「じゃがリゼット! あやつがわっちのことを悪く言うのじゃ!」
「大丈夫です。全部ルシルが悪いのはわたくしは知っておりますからね」
「そうじゃろう! 全部あやつの責任じゃ!」
「え、何その責任転嫁。ドン引きなんだけど?」
平気で背中を刺してくる連中に、ルシルはどんよりと気が滅入る。
エルフ達からしても、出鼻をくじかれたようで呆気に取られていた。
ともあれ、これで無意味な警戒心は揺らいだだろう。
たじろぐエルフの中で、中央に立つ一人は変わらぬ調子で問うてきた。
「
「ミルムが……この子が周囲を更地にする前だ。
その時の距離はざっと53メートルくらいか。どれだけ擬態できても違和感は残るものさ。
眼前まで刈り上げられた
「素晴らしい。我ら森の民でも油断をすれば命を奪われるというのに」
「その辺は移動速度の差じゃないか?
俺たちは子供の足だが、そちらは慣れもあって最低でも倍は早い。
特に動きのない待ち伏せ型の魔物が相手だと、早い方が分が悪そうだろう?」
「我々よりも森を知っていそうだな」
「いいや、ここへは初めてだ。
この森に限って言えば、俺なんて君らの足元にも及ばない」
そう言って肩を竦める。
何事も結果である。ルシルたちの危機に対応してくれたのは彼らだ。
つまり最初から敵意はなく、むしろ保護対象であるとさえ考えていたはずだ。
それが監視の結果なのか、それとも元々のスタンスなのかは謎だが。
「どちらにしても君らの庭を荒らしてしまったのは事実だ。申し訳ない。
だが、こちらにも少しばかり事情があってな。もうしばらく居座る許可を得たいんだが」
「事情とは?」
素直というか、純朴というか。やはり事情を汲んでくれる。
いや、そもそも
ひ弱な人族相手に彼らが本気になることは、子供相手にムキになるのと同じようなもの。
それほどまでに亜人と人族は『違う』のである。
ともあれ。これでようやく手がかりを得られそうだ。
ルシルは説明しながら、少しばかり肩の荷が下りたのを感じていた。
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