114聖女の行進2

 ――ブオン!


 本体……夜叉虎ホロウタイガーの耳のすぐ傍をメイスが素通りする。

 得られた経験から回避したはずが、どうにも誤差が生まれている。

 あんな速度と質量で殴られれば無事で済むはずがない。

 夜叉虎ホロウタイガーが人であれば、冷や汗や肌が粟立つような感覚に苛まれていただろう。


 何故なら……聖女リゼットはダメージを一切負わないのだ。

 どれだけ叩き潰しても。爪で引き裂いても、鬼火で焼いてさえ。

 何事もなかったかのように平然と立ち上がり、何も変わらず攻撃してくる。


 いいや、本当に、彼女にとっては何事もない・・・・・のだ。

 そればかりか息切れ一つ起こさず、淡々と機械的に不出来な動きでメイスを振り下ろす。

 弾き飛ばして距離を取っても、次の瞬間にはすでに目の前に居る。

 攻撃を当てて押しているはずが、一撃すら受けてない夜叉虎ホロウタイガーがひたすらに追い詰められて――


「いくらリゼが戦いの素人でも、何度もやり直しコンテニューできるなら、動きも上達するもんさ」


 ルシルの言葉通り、危うさすら感じられなかった攻防に変化が出始めた。

 慌てて飛びのいた夜叉虎ホロウタイガーの前足の爪先が危うく潰されそうになっていたり。

 末端ではなく本体……手先ではなく胴を狙い、幻影のズレを無視できるように工夫して。

 そうして一歩深く踏み込んで薙ぎ払った胴への攻撃は、転がるように逃げている。


 もっと深く。さらに早く。超人的な身体能力でリゼットは追い掛ける。

 それにより、幻影のズレよりも内側に攻撃が届くようになり出した。

 これでは回避や騙し・・の距離が伸び、感覚のズレが大きくなりすぎて違和感を持ち始める。

 細かい気配を感じることはできずとも、その場に居るか居ないかくらいはリゼットでもわかるからだ。


 そうして逃げに追い込まれた夜叉虎ホロウタイガーの眉間へ、リゼットは身体ごと飛び込みメイスで刺突する。

 重さのある攻撃を辛くも仰け反り逃れ、幻影を揺らすに留まった。

 その反った腹へと叩き込まれる分厚い聖書の一撃も、大きく息を吐いて何とか回避。

 大きく飛び退くことに成功した。


 先ほどまでの危なげない優勢は消え失せ、一撃一撃に曲芸のような動きを夜叉虎ホロウタイガーは強いられる。

 リゼットが追い詰め始めた理由は明快、夜叉虎ホロウタイガーに疲れが見えだしたからだ。


 戦闘とは相対的なものであり、誰しも全力行動なんて数分が限度である。

 魔力の恩恵を受けようとも、強靭な肉体を持とうとも。

 その時間が多少前後するだけで、永遠に走り続けられる者など居ない。

 いや、そういった者は最初から『全力行動』などしていないはずだ。


 だというのに、リゼット自身は戦闘開始から何一つ変わらない・・・・・・・・

 服が汚れた程度でしかなく、対する夜叉虎ホロウタイガーは刻一刻と疲れを積み増し動きは鈍る一方だ。

 こうして相対的に優位が傾き始めていた。


「おぉ、押し始めたのぉ!」


「ったく、相変わらずのスロースターターだな」


「外野は黙っていなさい!」


「そう邪険にすんなよ。心配してるのさ」


 ルシルはそんな軽口で肩を竦める。

 そして息切れの足音が忍び寄る夜叉虎ホロウタイガーが、ついに・・・自分から意識を外した瞬間に指弾を放った。

 狙いはリゼットの動きに必死についていくために、まばたきを忘れていた眼球だ。


 音もなく忍び寄る破片が有効打を刻む。

 いくら重さがないとはいえ、無防備な急所に速度が乗った攻撃が当たれば悶絶もする。

 遠吠えするように頭の上がる夜叉虎ホロウタイガーのがら空きの顎を、ついにリゼットのメイスが下からかち上げた。


 ニ十分にも及ぶ戦闘を経てもその破壊力は絶大。

 首が千切れ飛びかねない勢いでぐんと引き伸びる。

 その一撃で意識を飛ばしたのか、力なく地面に向かう頭目掛け、今度はメイスを返して無感情にも振り下ろす。

 丁度地面に激突した頭蓋の上にメイスが直撃し、その威力を物語るように地面にハチの巣を刻んだ。


 ――だが、リゼットの攻撃は終わらない。


 素人の彼女に『致命傷』の判断は下せない。

 それこそ死んだか否かなど、わかりようもない。

 頭が潰れても。首を落としても。心臓が止まっていても危険な相手は居る。

 であれば。行動が・・・不可能なほど・・・・・・壊せばいい・・・・・のである。


 そうして重機が岩盤を抉るような重厚な音と振動を周囲に響かせ続ける。

 絶大な威力を秘めたメイスは、ルシルの「もう大丈夫だぞ」と声でようやく止まった。

 肉塊からねちゃりと粘つく糸を引くメイスを持ち上げ、ゆらりとこちらへ戻って来る。

 彼が制止しなければ、このまま全身をくまなく挽肉にしていたことだろう。


「……終わりましたよ」


「お疲れ。にしても相変わらずえげつないな」


「戦えないわたくしに頼るからです」


「違いない。けど夜叉虎ホロウタイガーが相手ならリゼが適任だろ?」


「否定はしませんけれど」


 見た目にそぐわないサイズのメイスを軽々振って、汚れを飛ばすリゼットはしぶしぶ認めた。

 彼女の戦い方は技術テクニックの存在しない能力スペック頼りの力押し。

 その点、ルシルを始めとする他の面々は、綺麗に戦っている。

 こんなに周囲を破壊することも、ましてや全力で殴り合うことさえないだろう。


 だからリゼットは『一人の方が強いのですね』と心の中でつぶやいてしまう。

 ルシルに守る者がなければ、全てをなぎ倒してしまえるだろう。

 それこそたった一人で魔王を討伐したような、とんでもないことを平然と実現させてしまう。

 けれどそれはルシルをひたすら孤独に追い立てる道だ。

 足枷になろうとも、ルシルを一人で放置するわけにはいかない。


「そうですか。だから彼女は――」


「何ぶつくさ言ってんだよ。前提条件リスクが変わったから今日はもう撤退だ。さっさと解体して帰るぞ」


「……解体はするのですね?」


「あそこの食いしん坊を説得してくれるなら俺は何も言わないけどな」


 くいっと指差す先には、嬉々として一直線に夜叉虎ホロウタイガーへと向かうミルムの背中がある。

 入れ違いになったはずが、ちっとも気付かなかった自分の戦闘センスのなさにリゼットは嘆く。


「何してんだよ。お前も手伝ってくれよ」


「わたくし、さっきまで戦っていたのですが?」


「解体は俺がやるとして、ミルムの力じゃ持ち上がんねぇだろ」


「汚れはどうにもならないのですよ?」


 肉体的な怪我や疲労はなくとも、メンタルはしっかり削られているのだ。

 ここぞとばかりに仕事を押し付けるルシルに、リゼットは不満を漏らした。

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