113聖女の行進

 何の躊躇もない。

 使役される夜叉虎ホロウタイガーの顔面目掛け、全力でメイスが振り下ろされた。

 ルシルが支えていた手の上から、だ。


 慌てて手を引っ込めるルシルは「あぶねぇ!」と抗議の声を上げる。

 しかし攻撃したリゼットは一瞥すらせず、左手の聖書を広げていた。

 目まぐるしく変化する状況に、ミルムはぱちくり、と眼をしばたたせる。

 その間にも、彼女の前で夜叉虎ホロウタイガー存在が・・・薄れて消えていく。


「どういうことじゃ?」


「さっき言ったろ。本来なら魂魄エーテルは空気みたいな存在だ、ってな」


 そうして先ほどのように存在感を消して近付き、攻撃の瞬間だけ物理的な干渉力を増して食らいつく。

 数の暴力に隠密性が加われば、これほど恐ろしいことはないだろう。

 しかしどれほど夜叉虎ホロウタイガーが難敵で割に合わないと言われても、どんなものにも相性が存在する。

 それこそルシルが言ったように、『不死者アンデットと聖女』ともなると、もう絶望的だ。


「ただまぁ、数的・物理的にどれだけ強かろうが所詮は魂魄エーテルだからな。神聖魔術リゼの敵じゃない」


 一般的に聖女の立ち位置は象徴であり、神殿の奥で祭事を司る。

 前線に出ることもなければ、ましてや戦うことなんてありえない……けれど――彼女は違う。

 ミルムに説明するルシルが肩を竦めている間にも、左手に広げた聖書を輝かせてリゼットは応戦する。


 その様子にルシルは何故か得意気に「ほらな」と笑う。

 彼女が範囲エリアを指定すれば、圏内に入った魂魄エーテルが氷が解けるように末端から浄化・消失されていく。

 使役者である夜叉虎ホロウタイガーの拘束力などものともしない。

 そして渇きに喘ぐ遭難者が水を求めるように、聖女たる彼女の神聖さは魂魄エーテルでは抗えない。

 業火に群がる虫のように、盲目的に眩しく映る彼女を目指してしまうのだ。


肉体うつわを失い魂魄なかみだけになれば、この世に留まるのは難しい。

 それを無視して存在する、死を超越したモノは総じて規格外バケモノばかりだ。

 でもまぁ、不死・不滅そういうたぐいはリゼの独壇場ってわけだ。普段は後ろで補佐を担当しているけどな」


「本体は任せましたよ」


「あ、やっぱり俺も戦う感じ? リゼだけでも十分だろ」


本体あれもわたくしにさせるのですか。少しは働きませんか?」


「俺はミルムこいつのお守りに忙しくてな」


 ポン、とミルムの頭に手を置く。

 矜持を損ねたらしく、鬱陶しそうにぺちっと叩かれたが、彼は笑って流す。


「……何を言ってるのです?」


「いや、本気マジで。どうにも夜叉虎あいつはミルムを狙っているらしい」


「たしかにミルム様に食いついてきましたが……」


「ちと引っ掛かるんだよな。最初は危なっかしいだけかと思ってたんだけどな」


「……何かあるのですね?」


多分な・・・


「貴方のカンは当たりますからね。仕方ありません」


 そう告げたかと思えば、もうリゼットの姿はそこにはない。

 瞬時に距離を詰めたリゼットは、先ほど同様に夜叉虎ホロウタイガーの本体にメイスを愚直に振り下ろす。

 先程までいたはずの地面に残るのは、窪ませるほどに強烈な踏み込みの跡。

 そして地鳴りに等しい振動を体感するくらいだ。

 彼女もまた、ルシルと同じ規格外バケモノ側だと認識させられる――が、すっと夜叉虎ホロウタイガーが横にズレる。


 ――バガンッ!


 右手だけで振り下ろしたメイスが地面をたたき割り、周囲の地面を隆起させる。

 速度・威力共に十分な殺傷力を秘めた攻撃に、ミルムは「おぉ!」と感嘆の声を上げた。

 外したリゼットは地面をえぐるメイスをさらに押し込み、自身の身体を空転させて前に飛ばす。

 跳ねるように近付くリゼットの背にはいつの間にかメイスが回っていて、今度は横薙ぎのフルスイング。

 半円を描く攻撃範囲が夜叉虎ホロウタイガーを追いかける――が、今度はぴょんと飛び越えられた。


 ――バオンッ!


 ルシルの翠扇すいせんを想起させる暴風は壮絶な空振りの証明だ。

 空転した攻撃に逆らわず、さらに身体をくるりと回して夜叉虎ホロウタイガーを正面に見据える。

 軸足を踏み切り、回転を推進力に変え、宙に浮いた相手を追随。

 足場がなければ身動きが取れないのは人も魔物も変わらない。

 そうしてリゼットは追い詰めた夜叉虎ホロウタイガーへ、ジャンプの勢いを加味した全力の振り下ろしを見舞う――!!


 ――バオンッ!!


 が、再び、空振りの暴風が吹き荒れた。

 確実に夜叉虎ホロウタイガーの頭蓋を砕く軌跡を描いていたはずだが……。


「どういうことじゃ……?」


 見た目と結果へのギャップにミルムが疑問を口にする。

 その間もリゼットと夜叉虎ホロウタイガーの攻防は……いいや、リゼットの猛攻撃は止まらない。

 反撃さえ許さない、一方的かつ無謀な攻撃だった。


「幻影を被って目測を誤らせてるな。誤差はざっと十数センチってところか。

 メイスを相手にするには絶妙な距離感だな。武器えもので判断してのことだとするとさすがの戦上手だな」


「勝てぬのか?」


「いいや? たしかにリゼは補佐がメインで、本質的には戦闘者じゃない・・・・

 だから攻撃の手は少ないし、駆け引きも下手。

 それに予備動作を全く消せていないテレフォンパンチになりがちだ。要は相手に準備を許してしまうってわけ」


 ルシルの言葉通り、莫大な威力を秘めた空振りにより、あちこちを叩き壊しては削っていく。

 その度に勢いを増していくように見えるリゼットの攻撃は、残念ながらことごとくを避けられる。

 連綿と続く猛攻撃も、回避され続ければ単に体力を捨てているに等しい。

 それに――


 ――ドガッ! ドゴッバキッ! メキメキ……


 夜叉虎ホロウタイガーを猛追し続けていたリゼットが、いきなり真逆の方向へと吹き飛んだ。

 大木に打ち付けられてめり込み、幹をへし折りその頭上に倒木が降り注ぐ。

 戦闘の素人というのは本当らしく、ただの一撃貰うだけであの有様である。

 彼女の身体強化が超一流であっても、扱う者が三流ではどうにもならない証左だろう。


 リゼットの猛攻撃を返り討ちにした夜叉虎ホロウタイガーは、その鋭い視線をルシル、そしてミルムへ向ける。

 危機感に無頓着なミルムも、吹き飛んだリゼットを指差して「大丈夫かの?」と声を上げた。

 どう見ても大丈夫ではないさまへの言葉に、思わずルシルは笑ってしまう。

 が、彼の答えは変わらない。


何も・・問題ない・・・・


 ――バガーンッ!


 周囲に響き渡る轟音と共に、豪速で倒木の破片やら砂利やら石が飛来する。

 その爆心地では、大木に潰されていたはずのリゼットが、メイスを肩に担いで立ち上がっていた。

 まき散らされる危険な破片でも、夜叉虎ホロウタイガーの毛皮はものともしない。

 だが、手応えを感じていたらしく、驚くような素振りを見せている。

 ミルムへ向かう破片をぺちぺちと払いのけながら、ルシルは「な?」と笑う。


「やってくれますね」


 リゼットはガラガラと周囲を崩しながら歩き出す。

 しかしその動きに違和感は一切ない。いや、そればかりか障害物にさえ無頓着。

 平地を歩くかのごとく、障害物を蹴り飛ばしながら進む。


「無傷のヤツが使う言葉じゃないな」


「何をおっしゃいます。こんなに汚れたじゃありませんか」


「ほらみろ、怪我なんてしてないだろうが」


「それはともかく。ルシルも気ぐらい引いてくれませんか」


「おいおい。相談そんなことを口にすんなよ。警戒するだろ」


「あら。人語が分かるのでしょうか」


「さぁ? 魂魄エーテルに人型も混じってたし、できると思っといた方がいいんじゃないか?」


 払いのける際にいくつか受け止めていた破片を指弾で飛ばす。

 その速度はリゼットの攻撃の比ではなく、視認することさえ難しい。

 ただ、威力おもさは全く足りていなかったが。


 ビチ、ビチと毛皮を叩く破片に注意を惹きつけられる夜叉虎ホロウタイガー

 大きな被害はなくとも、身体を揺さぶられるほどの衝撃に襲われれば気にもなる。

 そこへリゼットがすかさず飛び込み、メイスを振り下ろす。

 夜叉虎ホロウタイガーは辛くも回避に成功し、またも地面をえぐるに留まった。


 繰り返される攻防。

 だが、先ほどと違のうのは夜叉虎ホロウタイガーの経験だ。

 既に戦闘素人のリゼットの動きは見切られている。

 意識を引いた一撃目以降、当たりそうな気配がまるでない。


 いいや、そればかりか反撃を受けたリゼットが、別の木に打ち据えられている。

 どれだけ速く、強力であろうともリゼットの攻撃はまるで当たらない。

 対するは的確に命中するが、威力の足りない夜叉虎ホロウタイガー

 デジャヴのように繰り返し、周辺の植生を破壊していく。

 更地になるのは時間の問題だろうか。


「ふむ? 随分と厳しい見込みになりそうだの」


「いいや? 俺はそれでも・・・・あいつに頼んだんだぜ。

 リゼが……俺たちと肩を並べるだけの実力者が、あんな一匹狩れないような一般人とは違うさ」


 気を引くことさえやめたルシルの自信は変わらない。

 この千日手とも言える均衡が崩れるのは、もうすぐ・・・・だ――。

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