110森の深さ

 昨日と変わらず、ルシルの肩に陣取るミルムが、未開の地に魔術で道を作って行く。

 先行するその背を見守る二人は、足元に気を付けて追い掛ける。


「リゼット様が居てくれて助かりました」


「いえいえ。補佐はわたくしの仕事ですから」


「空間魔術は本当に便利ですよね。

 足手まといわたしたちを連れてはいくらルシル様でも探索範囲を広げられませんから」


 昨日はほとんど足を止めることなく踏破した。

 そして行軍において『足の遅い者に合わせる』のが鉄の掟だ。

 ゆえにこのメンバーでの一日の移動は、昨日の踏破距離が限界になる。

 つまり港を起点に行動すれば、他者の何倍動けても調査範囲を広げるのは不可能なのだ。


 そこで話を持ち込んだ空間魔術士リゼットをメンバーに組み込んだ。

 この時点で帰路の心配は不要になる。

 そうでなければ野営が必要で、さすがのルシルでも複数人を護衛・・しながらの遠征は現実的ではない。


「昨日から何度も賞賛してくれますが、目印マーカーを刻んだ場所にしか行けない不便な魔術ですよ」


「十分です。そもそも空間魔術の使い手はとても希少ですからね!

 流通の要所に目印マーカーを置いて行き来するだけで莫大な収益が……」


「……さらっと荷馬車扱いするのですね」


「こほん、失礼しました。最近バベルの赤字がひどいもので……」


 呆れるリゼットに向けて、シエルがちらりと本音で愚痴を吐いた。

 最近は何かにつけて資金が出て行くことばかりが起きている。

 実際、航路封鎖なんてやらかせば、天文学的な損失になってしまう。

 今回の調査遠征も、計画の段階で出費が発生するのに、得られる成果は今のところ何もなし。

 ケルヴィンの差配でリゼットが登場しなかったら、シエルは最悪見切り・・・をつけていたかもしれない。


「赤字? あの勇者の商会バベルが危ないの?」


「すぐに倒産なんてことはありませんが、上手くしないと危ないでしょうね」


「順風満帆だと思っていたけれど、何処も表面しか見えていないのかしら」


「どんな組織でも維持費が掛かりますからね。

 それ以上に儲けがないと、潰れてしまうのは仕方ありません」


「なるほど。根っからの悪人などは居ないのかもしれませんね」


 人が食事を必要とするように、組織は金がなくては潰れてしまう。

 その当然の摂理に、商売や会計に明るくないリゼットは頷きながら納得する。

 それにしても――こうした会話をしながらも視線を前に向ければ、親子のような背中は嬉々として揺れている。

 昨日一日で魔術の扱いが向上し、式の複製までできるようになったミルムのはしゃぎっぷりが激しい。


「……やはりこの辺りには何かあるのでしょうね」


「ん? あぁ、雑草の伸び・・の話か?」


 シエルの言葉に、ミルムにあれやこれやと指示するルシルが拾う。

 ちなみに肩車中の彼女は、ルシルの難解な注文にも悪戦苦闘しながら答えていた。


「聞こえていましたか」


「まぁな。たしかに昨日刈ったばかりなのに、10センチは伸びてるぞ。

 密林になるのも頷ける。何度も調査が入ってるのにおかしいなって思ってたんだよ」


「これではきちんとした道を付けるのは手間が掛かるかもしれませんね」


「そこはシエルの腕に期待だな」


「私がここに居るのに、ですか?」


「お前ほど『誰かを動かす』のが得意なヤツを俺は……アッシュが居るか」


「……あの方と並べられるのは不本意です」


 戦術と戦略を同時に考える、彼の右に出る者は居ないだろう。

 だが、遥かに詳細かつ膨大なパラメーターを常に管理しているシエルも大概だ。

 きっと今回の遠征で抜ける穴も、どうにかやりくりしているに違いない。

 そんな会話にリゼットも参加する。


「こうして切り拓いてみると土地の異常性を感じますね」


「止めてくれよ。メルヴィみたいなのはこりごりだぞ」


「『メルヴィの解放者』が本気で嫌そうな顔をしてますね」


「……は? 何だそれ」


「ルシルの最新の二つ名ですよ」


「俺の? え、待て何でそんなことになってる?」


「封鎖されていた海域を拓いた功績ですよ。そのままでしょうに」


「たかが島一つ見つけただけで……?」


「霧を晴らして航路も二つ拓いたのが抜けてますよ」


「あれ、この土地の発見を公開したらまた面倒なことにならないか? シエルさん!?」


「……なるほど。バベルはこうして運営されているのですね」


 リゼットとの世間話から、また面倒なシガラミが発生しかねない事態に思い至るルシル。

 切り札のシエルの名を呼ぶも、そもそもこの遠征からして彼女の手の平である。

 一旗揚げるハードルは高くとも、一度でも経験すれば、それを元手に知らぬ間に功績が集ってくる。

 一線を退いてなお、大英雄ルシル=フィーレの名の下に……。

 ルシルが抱える責任は、もしかすると持てはやされた勇者時代よりも大きいのかもしれない。


 ・

 ・

 ・


「しかしこう視界が悪いと移動距離が掴みにくいよな」


 鬱蒼と茂る密林を踏破すること一週間。

 ミルムの風魔術が日々向上する中、ルシルが思わずぼやいた言葉だ。

 ちなみに彼女はすでに自らの足で歩いており、動きながらの魔術運用を実践中。

 また、徒歩とはいえ体力の管理も必要で、身も心も順調にすり減らしていた。


方位磁石コンパスでも確認してますが、徒歩ではやはり限界があるのかもしれません」


「でも調査隊も徒歩だろ?」


「はい。荷馬車くるまで乗り入れられるような道はありませんからね」


「だとするとそろそろ『失踪の手がかり』にぶつかってもおかしくない、ってことか」


「その通りです。私たちの一日は、調査隊の三日分に相当する計算ですからね」


「まぁ、入って行った方角しかわからないからな。

 迂回したり戻ったり魔物に襲われたりでも大変だろう。

 挙句に荷物を放り出したら絶望的だな。

 命より大事な物はないが、未開の地で水・食料・道具なしはそれだけで死の一歩手前だ。

 しかも刈ったはずの雑草の成長速度を考えると、痕跡もそう長くは残ってくれなさそうなんだよなぁ」


 サバイバル能力の高い者にそんなことを言われればぐうの音も出ない。

 一応、合間にいくつかの野営地を見つけはしたものの、荒れ果てていて拠点にしたのか、いつの物かまでは判断できなかった。

 そして昨日・今日はその痕跡すら見つけられていない。

 ルシルはミルムと繋いでいない手で頭を掻く。


「まったく。便利だと思ってたんだけどなぁ」


「植物の話ですか?」


「草刈りが大変みたいですけれど」


 シエルがルシルのボヤキを拾い、リゼットが首を傾げながら現状を口にした。

 初日の道周辺を、シエルは人員を配置して毎日刈っているのだ。

 そう、毎日・・である。維持するだけでも大変らしい。

 いっそのこと野焼きしてしまうか、とさえ考えられている。


「あー……まぁ、リゼットの言った『異常』なのか、単に『肥沃』なのかはさておき。

 これだけの平地で育ちがいいなら、食糧確保にうってつけだと思ってな。

 まぁ、農業とかわからんからシエルに丸投げだが、少なくとも飢えてるやつは世界中にいくらでも居るからな」


「えぇ、かなりの収穫量が見込めそうですよね。

 それに年間に何度も収穫できそうな感じしますよね。ただ捜索するとなると……」


「邪魔だよな。一回上から・・・偵察するか」


 ルシルは繋いだミルムの手をクイっと引いて停止の合図を送る。

 小首をかしげる彼女は「上、とな?」と意図を理解できていない。

 いや、普通の感覚なら理解できるわけがない。


「リゼは周辺の警戒を。シエルはミルムの補佐な」


「「承知しました」」


「わっちは?」


「この周辺10メートルを更地にしてくれ」


「さら……刈り取ればよいのか?」


「おう。木も枝も上も・・な」


 ルシルは木漏れ日が差し込む空を指差す。

 これまでの歩みで邪魔な木の枝葉を落とすことはあった。

 しかし木そのものを伐り倒したことはない。

 倒木に巻き込まれるだけでなく、天井のように這いまわる枝葉に引っ掛かった『ナニカ』まで落ちてくるからだ。

 これらを回避するのは非常に難しい……とルシル自ら説明していたはずである。


 しかし、何の気負いもなく「指定した範囲に物を落とすなよ?」と付け加える。

 難易度の高さにリゼットは開いた口がふさがらない思いだが、ミルムはすんっと表情を落として真剣に考え――


「……周りに吹き飛ばせばよいのか?」


「ミルムはしっかり育ってるな」


 ニカっと笑ったルシルは、つないだ手を放してミルムの頭を撫でる。

 少しばかり物欲しそうな視線が背中から感じるが無視。

 ルシルが軽く屈伸して整えている間に、ミルムの暴風とも言える風の斬撃が猛威を振るった。


 まずはいつものように雑草がバラバラと地面に落ちる。

 次に空を遮る枝葉が刻まれて吹き散らかされ、上空までぽっかりと穴が開く。

 残った枯れたように禿げた木の幹がミチミチと刻まれ、外側に押し倒された。


「いい腕だ。鈍さ・・も再現できている」


 つぶやくルシルは深く笑い、上空へと発射される。

 空高く撃ち上がる彼はクルリと周囲を見渡すも、森と霧が随分と深く、正確な地形が分からない。

 当然、それらの下に存在するであろう痕跡や対象者、魔物・獣なんか捉えられるわけもなかった。 

 高すぎたのか、それとも雲を突き抜けたのかもしれない。

 そして落下に応じて大きくなる樹木――バスンッ!


「あーこりゃ迷うわぁ……」


 そうぼやいたルシルは、樹木の天井に突っ込んで引っ掛かるのだった。

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