109秘密の共有者

 久々の新鮮な獣肉に港町は沸き上がる。

 シエルの配慮でこれまでも肉は送られていた。

 しかし海を越える時点で保存が優先。

 ほとんどの物が塩漬けや燻製いぶされており、噛み切ることができないほどに硬いのである。

 これではいくら料理人シェフが腕をふるおうが限界があるだろう。


 それもこれも内陸部の調査が進まないからだ。

 見える範囲の平野より先は侵入制限区域に当たる。

 何十人と行方不明者がでていれば当然の処置で、これではウサギでさえ捕まえるのに苦労するだろう。


 こうして催された宴の中心に居座るのは、我らがアイドルの地位をほしいままにしているミルムだった。

 危険区域の子供は珍しく、船員たちの反応と同じようにマスコット扱いされるのは、もはや約束された宿命である。

 そんな輪の中心でがつがつと食い意地を張っている姿を眺めるルシルに、リゼットは声を掛けた。


「物怖じしないすごい子ですね」


「んー……? あぁ、ミルムか。

 まぁ、周りが俺やシエルだからな。度胸だけは……いや、あいつは最初から尊大だったか」


「貴方が人を育てるだなんて不思議な光景でしたよ」


「そうか? ほとんどシエルのお陰だろ」


「肩車して草刈りさせてたでしょう?」


「道は誰にとっても必要だからな」


「お優しいことですね」


 酒の入ったグラスを傾けるルシルは、飲み干して「厳しい、じゃなくか?」と笑う。

 崖でも海でも踏破し、地図なき魔族領を踏破した男に『道』は必要ない。

 同様に、同格のリゼット。次いで魔術士のシエルも、手数の多さを考えれば不要だろう。

 むしろ道が存在することで思考の幅を狭める可能性さえある。


 だから本当に必要なのは、ルシル、リゼット、シエルの三人が足止め・全滅した際のミルムになる。

 ただ、その道を切り拓くのが本人だとは誰も思っていなかっただろうが。


「船でも風を使わせていましたし」


「無風だと進まないからな」


「貴方なら翠扇スイセンを振り回せばよかったでしょう?」


「暴風で良ければいくらでも煽ってやるぞ? 船体が持ちそうにないけどな」


「ふふ。わたくしとしては急いで欲しかったけれどね」


「そりゃすまんな。こっちの都合で」


「いえいえ。ですが便乗させてもらってる身ではあんまり言えないものですよ」


「だったら最後まで黙ってるのがマナーだろ。まったく」


 片目を瞑ってウインクしてくるリゼットに、ルシルは呆れるように息を吐く。

 彼女にとって大事な相手……聖女を落とした研究者に思いを馳せる。

 たしか名前はブロルと言ったか。

 本音を言えば助けてやりたいが、勇者ルシル以上の適任者がいない以上、今回の二次遭難は絶対に許されない。

 少しずつでも回帰不能点ポイント・オブ・ノー・リターンを遠くに置くことが先決だ。


「今日の地点はざっと三日分ですね」


「シエル?」


「はい、貴方の情婦です」


「用事は済んだのか?」


「私のあしらい方がどんどん適当になってませんか」


 ぷう、と膨れながら正面のリゼットと対峙するように、ルシルの隣に座る。

 リゼットは何だか面接されているような不思議な感覚を味わう。


「情報統合と報告は終わりました。

 とりあえず、今日作った道の周辺は安全圏に指定しています」


「安全、ねぇ?」


「あくまで仮ですけどね。

 あと、道の周りを刈り取るように指示も出しました。食糧事情はもう少しマシになると思います」


「あー……ミルムが崇め奉られてる理由が消えるのか。短い天下だったな」


 輪の中心でワイワイしているミルムを指してルシルがケラケラ笑う。

 とりあえず『酒を与えるな』とだけは厳命しているが、よく食う彼女を放置しているのはそろそろマズイかもしれない。

 彼女は腹がはちきれようとも際限なく食べ続けるのだ。

 きっと満腹中枢がイカレているに違いない。


「明日はもっと奥へ行くだろ?」


「そうですね。一番疲労してそうなミルム様が元気そうですしね」


「相変わらず馬鹿げた魔力量だよな」


「そうです。ルシル、彼女は何者なんです?」


「何だよ急に? 我関せずって感じだっただろ」


「在野にあんな底なしの魔力と容量持った子供なんて……」


「それな」


 指差して同意する。

 何なら「俺も正直ビビってる」なんて苦い顔をしながら本音をぶちまけるルシルに、リゼットが驚く。

 シエルはというと、彼の隣でむすっとした顔である。

 気付かないリゼットは「貴方が?」と問いただせば、


「そりゃな。護身用に魔術の使い方教えてるんだけどな」


「ご、護身用、ですって……?」


「まぁ、そう言うなよ。まさかあそこまで規格外バケモノだとは思わなかったんだよ」


「なら教えなければいいのでは?」


「それがまた複雑でな。あいつは未知の魔術でも平然とぶっ放せるんだよ」


「……教えなくても使えるということですか?」


 ルシルは呆れ顔で首を竦めて「その通り」と息を吐く。

 ミルムは習うことも見たことさえなくとも、雷属性の魔術を放った過去がある。

 それがいくら風の延長線上の属性とはいえ。

 しかもどれだけ粗くとも、平然と『開発』してしまうのだ。

 現に十二分の威力を誇っており、これがどれほどのヤバさか伝わるだろうか。


「あいつに使い方を教えないってことは、魔術開発時に発生した『過去の大惨事を繰り返す』ことになりかねない」


「……だから弱い魔術を?」


「今のところはな。だけど考えてたよりよっぽど優秀でな。

 満足してる内は良いんだけど、これから先が思いやられるぜ」


「そんな話が……」


「あ、あと、本人は『ミドガルズオルム』って主張してるからよろしくな」


「……え? ミドガ……え?」


「ミドガルズオルム。神話級の怪物の名前だよ。知らんのか?」


「知ってるわ! 知ってるから驚いてるのよ!」


 ダンッ、と椅子を蹴倒してリゼットが立ち上がる。

 美人が声を荒げていれば目立つ。

 それにこのテーブルにはもう一人とびきりの美人が、着席したまま端正な顔が表情を暗くして居るのだ。

 そんな二人に男が挟まれていれば……?


 周囲の邪推の視線が集中するのを背中に感じるルシルは、手をひらひら揺らして場を宥める。

 シエルの額をつつき、リゼットを座れと反対の指で合図する。

 そうしてわざとらしく声を潜め、リゼットに「うん、まぁ落ち着け。このことは俺らの秘密な?」と付け加えた。


「今知ってるのって、シエルとケルヴィン様、それにお前だけだからな」


「秘密!? 当たり前でしょう! そんな荒唐無稽な話を誰に話せと!?」


「神殿とか?」


「言えるわけないでしょうが!」


 そっとシエルに戻された椅子に、うなだれるようにリゼットは着席する。

 面白い光景だな、とルシルが内心で楽しめば、シエルにジト目で追及される。

 正面のリゼットに関して言えば、「せ、聖戦が起きかねないわ……!」と情報の危険度を推し量っていた。


「あ、やっぱそうなる?」


「そりゃね……。まぁ、ミルム様を見て信じるとは思えませんけれど」


「リゼでもミルムの魔術を目にするまでは信じなかったから大丈夫だろ」


「ですが証言者がルシル様やリゼット様では、世界が一丸となりかねませんよ」


「そっか。責任重大だな?」


 リゼットの肩をポンポンと叩き、カラカラ笑って酒を注ぐ。

 ついでにリゼットの空いたグラスにも。

 酒が満たされる様子を眺めながら問う。


「なんで、何でこんな場で言うのですか……」


 ここは確実に周囲の目が存在する食堂だ。

 誰が聞いていても不思議ではないし、情報が洩れれば最悪だろう。

 普段シャキッとしている聖女が、珍しく脱力してテーブルに突っ伏して愚痴っていた。

 そんな様子を見てルシルは苦笑いを浮かべる。


「リゼがジタバタしてなかったら誰も興味示さねえよ」


「わたくしが悪いみたいな言い方して……」


「ここでの俺たちが有名人じゃないからって気を抜きすぎてるんじゃないか?」


「貴方が居て、どんな問題が出るのですか」


「……そりゃまた、随分重い信頼だな。

 まぁ、今日のことでリゼに問われたら素直に話すしかないだろ」


「それで『この先』を一緒に考えて欲しいって?」


「いやぁ、やっぱ旧知にはわかっちまうなっ!」


「はぁ……まったく、ルシルは……」


 リゼットは大きなため息を吐く。

 しかし顔を手で隠して天を仰ぐその口元は、少しばかり緩んでいたように見えた。

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