108シエル先生の魔術式講義

「風の魔術は一般的に、速く、鋭く、軽い・・と言われています。

 つまりミルム様が道を作ってくれていたように、雑草なんかには最適です」


「うむ! うむ!!」


「しかしそんな便利さも、頑丈さにはかないません。

 たとえば食事以降、ミルム様は木の『枝』も落としていましたが、『幹』は傷を付けただけです」


「ぐぬぅ……たしかに」


「原因は単純です。威力不足。これはもう属性の宿命です」


「じゃが! じゃが! シエルはあの獣の首を落としたではないか!」


「えぇ。ですのでやり方の工夫ですよ」


 シエルはルシルの言葉をそのまま口にする。

 それを「それがわからぬ」と難しい顔で受け止める。

 少しも考えていない様子にルシルは呆れるが、シエルは出来の悪い生徒にあやすように続けた。


「一回でできなければ二回すればいいじゃないですか」


「そんな簡単な話かの?」


「たとえばあそこに傷の入った幹がありますよね。

 もう一度同じ場所に撃てば、もっと大きな傷になると思いませんか?」


「たしかに」


「もしも傷がつくのであれば、切れるまで当てればいいと思いません?」


「《風斬撃エアスラスト》!!」


 シエルの言葉を待たず、ミルムの魔術が指さされた幹へと向かう。

 しかしその魔術は、傷の入った幹の少しばかり上を抉るにとどまった。

 ミルムが「なぜじゃ!?」と頭を抱えて叫ぶ。

 めげずに次の魔術を放つも、今度は右に逸れてさらに浅く別の場所を掠るだけ。

 何度撃っても狙い通りの結果にならず、彼女の照準の甘さが露呈する。


「どうしてじゃっ!?」


 そう叫びながら四つん這いの姿勢で地面をたたく。

 まさに敗北者の体勢である。


 その間にもルシルが突撃猪ピッグホーンを木に逆さに吊るして軽く血抜きを始めていた。

 できれば川にさらしたいが、さほど時間を取る予定はないし、何もしないよりはマシだろう。

 それにミルムの試し切りには利用できる。


「最初に説明したように、風の魔術は『軽い』のです。

 それこそ風が吹けばズレます。いいえ、むしろ風を起こす魔術ですので、気流に乗って照準が甘くなるのは当然なんです」


「じゃがシエルは……」


「えぇ、ですので照準が甘く・・とも、十分に威力が乗ればいいのです」


「それができれば苦労せぬ!!」


「ふふっ。魔術式というのは公式テンプレです。

 研究室での『理想値』で作られているので、常に現場でそのまま使えるわけではありません。

 たとえばさっきまでの草刈りでも、目的が『道を作る』でしたよね。

 これがもし目的が『断裁』であり、サイズや数が厳格に決められていれば、実現は非常に困難でしょうね」


「だからどうすればいいのじゃぁ!」


 頭を抱えるミルムを横目に、リゼットとともに茶をすする。

 いかにミルムの処理能力が高かろうと、魔力量が膨大であろうとも。

 彼女はまだ初心者である。シエルの言葉を反芻したところで、こんがらがる。

 いいや、むしろ適性があるからこそ、余計に世界の摂理じょうしきに引き寄せられてしまうのだ。


「あら。ミルム様は十分に実践されていたのでは?」


「していた? 何をじゃ?」


「魔術の極意は『世界を騙すこと』ですよ。

 複数の魔術を束ねて一度に・・・発射すればいいのです」


「なぬ……?」


「複数回の魔術行使ですよ。雑草を縦横に裁断していたでしょう?」


「うむ! だがそれではあの獣は止まらなんだのだ」


 しかもルシルによって固定された獲物である。

 それはもうただの障害物ざっそうと変わらない。

 一喜一憂の激しいミルムはしょぼん、と肩を落とす。

 彼女にしては珍しくしおらしい姿である。


「まぁ、やってみれば分かりますよ」


 そう言ってシエルはミルムにやり方を教え始めた。

 一、風は無形であるため、それらを束ねることが容易であること。

 二、束ねるほどに威力が増すこと。

 三、ただし同時に別の魔術を発動させるのは非常に難しいこと。


「できぬではないか!?」


「えぇ、ですので一つの魔術式を複製し、同時に魔力を注げばいいのですよ」


「ぬ……? 複製、とな?」


「魔術式を個別にいくつも描くのは難しい。

 ですが、同じものであれば? 文字の書き取り練習を思い浮かべてください。

 自分が使う『魔術式もじ』と同じモノを、ひたすら真似て書いていくなら随分と簡単そうでしょう?

 多少の誤差があってもベースが同じであれば、術式が平均化されて収束し、目指す結果に繋がります」


「なるほど?」


「ただ、一つ注意点が。

 練習用紙に終わりがあるように、人の容量メモリにも限界が存在し――」


 シエルの説明が終わりきる前に、ミルムは虚空に不可視のはず・・の魔術式を無数に描く。

 その展開速度は異常の一言。シエル、リゼットが絶句するのは当然として。

 魔術に高い親和性を持つ魔族を相手にしたルシルですら、ぞくりと怖気を感じるほどだ。

 いいや、彼は即座にミルムの頭をはたいて中断させる。


「何をするのじゃルシル!?」


「この辺一帯吹き飛ばす気か!?

 まずは一つを二つ、二つを三つくらいでやれよ!」


 空間が捩じ切れるほどに密集して描かれていた魔術式は、ミルムの集中が切れたことによって霧散した。

 しかしどれか一つでも魔力を注いでいれば、配水管が繋がる噴水のように、すべての術式が同時に満たされる。

 最悪、相互干渉で暴発まで至ったかもしれない……ミルムの魔力量で・・・・・・・・

 ルシルの素早い対応で事なきを得たが、ミルムの思い切りの良さにシエルが人知れず反省していた。


「ぐむ……たしかに。シエルが『失敗は小さく』と口酸っぱく言っておったの」


「頼むぜまったく。まぁ、今の様子なら三つくらいなら余裕だろ」


 小言を口にするルシルも、未だ底の見えないミルムの魔力量と処理容量に、焦りを隠すのに必死である。

 さすがミドガルズオルムと言ったところか。


 そんな反省を経たミルムは、改めて一つ目の魔術を編む。

 瞬く間に複製した魔術式が二つ追加で並び、間を置かず魔力が満たされ発射――


 ――ズッバンッッッ!


 気持ちのいい衝撃音と余韻が空気を震わせる。

 ミルムは満面の笑みを浮かべてシエルへ飛びつく。

 あわや押し倒す寸前でルシルがミルムの首根っこを掴んで吊り下げた。

 まったく、手加減を知らない子供である。


「やったぞ!」


「見事なもんだ。というか一発成功ってマジですげぇぞ」


「じゃろう!? わっちは天才じゃの!」


「誰も文句は言わないだろうな!」


 ルシルの手の下でミルムは手足をジタバタさせ、くるくる回りながらはしゃぐ。

 何とも器用で奇妙な状態に、


「ぶら下がってることにはノータッチなんですね」


「リゼット様、いちいち突っ込んでたら疲れますよ」


 外野は冷ややかである。

 それにしても……見事に切断された幹を見るシエルは戦慄する。

 ただ一度の説明で、数十もの複製陣を描く習得速度とその容量。

 そして三つとはいえ、初めての発動で成功させ、威力・速度まで申し分ない精度。

 規格外の成長率と能力が備わっている……これで身体まで強ければ無敵だろう。

 まさしく伝説上の幻獣、ミドガルズオルムの強靭さを目の当たりにしているようである。


「それじゃ猪の解体でもやってもらうか」


「なぬっ!? わっちにまだ働けと!!」


「あ、うん。まぁ、小さくならないと持って帰れないだけ――」


「やる! やるから持ち帰るのはルシルの仕事じゃからのっ!!」


「んーまぁ、大半はシエルのカバンの中に入るんじゃないかな?」


「ではルシルは一体何をするのじゃ!!」


「今日はどっちかというとミルムおまえの乗り物だな」


 ミルムを下したルシルは二人で言い合う。

 集中力を乱されそうなやり取りの間にも、ルシルの指示通り、丁寧に部位を落としていく。

 ただの一度の実践で成功させ、しかも会得・・までしているところがまた恐ろしい。

 出発時に小娘と侮っていたリゼットの顔が、今では軽く引きつっているのが少し面白いくらいである。


「まぁ……こんな規格外こどもがそうそう居るわけありませんからねぇ」


 余りに出来のいい生徒を前に、先生シエルは頬に手を当て、ほふぅ、と息を吐くのだった。

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