107突撃猪

 ブスっと頬を膨らませるミルムの前に、焼き立てのパンが差し出される。

 焚火で温められて湯気を上げるパンは、それはもう香ばしい美味そうな匂いを――


「はぐっ!」


「おまっ! 俺の手ごと齧んなよ!?」


 むしろルシルの手を噛み、慌てたところをミルムが奪い取った表現した方が正しいだろう。

 噛まれた手に痛みはなくとも、何とも行儀の悪い姿にため息がこぼれる。


「まぁ、ミルムはこんな感じだ。リゼも注意しとけよ」


「ふん! 誰彼構わず噛みつきなどせぬわ!」


「そうかい。そりゃまた懐かれたもんだ」


「貴方はどこへ行っても人気者ですね」


 呆れたようにリゼットは口にする。

 どんな場面でもルシルは同じ調子で飄々として。

 誰彼構わず騒いで盛り上がり、なんだかんだと仲良くなっていた。

 『処世術』などと陰口をたたく者も居たが、それらは輪に入れない外野の僻みでしかない。

 結局ルシルに近付けば、照れながらも他の者と同じように肩を組んで騒ぐのだ。

 だから情報の遮断された謎の諸島に引きこもったなんて聞かされたときには本当に耳を疑ったものである。


「そうか? 俺からすればお前の方が尊敬を集めてたような?」


「信仰心からですよ。わたくしを『通して』いるだけで、こちらには向かっていませんから」


「ふうん? 本人を見ていない?」


「役職に引き寄せられた好奇など不要でしょう?」


「あー……まぁ、その辺は多かれ少なかれだろ。

 俺たち、っていうのもあれだが、一定の身分を越えたら色眼鏡で見られるのは当然――だと思う」


「その点ルシル様は身分を隠すの上手いですよね」


 二人の会話に割って入るのはシエルである。

 むしろルシルの場合は身分を使うことがない・・のが問題だった。

 そのせいで良くも悪くもバベルに謎の人材が数多く所属している。

 しかもその繋がりでも人が増えることもあるため、さらに多様性が増していた。

 たとえば大工の師匠連中もそうした人脈からの採用だ。

 ありがたい時もめんどくさい時もあるので良し悪しは語れないが。


「まぁ、俺のは戦場仕込みって感じだな。

 みんなで同じ目標に向けて何かしたら、結束力って高まるもんだと思うぜ」


「その瞬間は、ね」「ですね」


「何だよ二人して含みのある言い方しやがって」


「そんな『思い込み』は持続しませんよ。だから意思を束ねるために宗教や国王が存在するんですし」


「あら。宗教も大したことありませんよ。他宗派もあるし、同門でも派閥争いしているし……」


「聖職者の発言としてはどうなんだそれ」


「仕方ありません。宗教の大原則は『幸せになる方法』です。

 そのための宗派しゅだんが違うだけで、望んでいることは皆同じなんです」


「何だか一気に現実的な話になったな?」


「位階が上がるほどに見えるモノが増える弊害かもしれませんね」


 裂いたパンから上がる湯気を眺めてぼんやりと考える。

 その横ではアツアツのパンを頬張り、はぐはぐと実に美味そうにがっつくミルム。

 純粋に生きることを楽しんでいる彼女の姿が、リゼットには少し眩しい。

 そんなしんみりした空気の中で、食欲魔人と化したミルムがルシルのパンを虎視眈々と狙っていた。

 猫のようにしなやかに跳びかかってくる彼女を手玉に取り、ひょいと操って柔らかい雑草の地面にころんと転がす。

 そしてミルムの前でこれ見よがしにルシルが食べれば、きーっとミルムが地団駄を踏むのである。

 いちいち騒がしいメンバーだ。


「そんなに食べたければわたくしのを――」


「ダメだ。ミルムに餌を与えるな」


「――なぁ!? なぜじゃルシル! わっちに寄越そうとする飯を何故ぬしが止めるのじゃ!!」


「安全圏で飯食ってるわけじゃないんだぞ。

 与えられた飯以上に食いたいなら自力で何とかしろ!」


「なんだと!? 獣を狩れと!?」


 グルん、とルシルへとぎらつく視線を向け、ギリギリと歯ぎしりするミルム。

 いくら魔力量が多くとも、動く相手を仕留めるのは訳が違う。

 こんな子供に何という無茶を、とルシルの大人げない言葉に、リゼットが非難の視線を向けようとすると――


「狩ってもよいのか!?」


「そっちっ!?」


 驚きの言葉にミルムの方へリゼットの視線が移る。

 そんな騒がしさなど我関せず、シエルは静かに食事を終えるのだった。


 ・

 ・

 ・


 昼食後、すぐに出立した面々は、先ほどと同じような陣形で進む。

 前をルシルとミルム。後ろにリゼットとシエル。

 それぞれ警戒を怠らない――が、唯一、ルンルン気分なのがミルムである。

 ルシルの要求通り、目の前に現れる障害物を小さく裁断しながら進んでいた。

 ちなみにその音はなかなかのものである。


「何を狩ってやろうかの!」


「ミルム、そんなに気配駄々洩れだと見つける前に避けられるぞ」


「何じゃと?! それでは警戒など意味がないではないか!」


「警戒……って、あぁ、草刈りのことか?

 あれは道作りと追い払いだぞ。むしろ余計な戦闘を減らすためのものだ」


「な、な……わっちはなんてことっ!」


「いや、悲しむ方向性がおかしいだろ」


 がっくりと膝を着くミルムに、上からルシルが呆れる。

 そう、昼からの探索では肩車はせず、ミルムは自力で歩いている。

 本人たっての希望もあるが、ルシルの身動きが自由な方が安全度は高い。

 また、体力をつけるためにも『過酷さ』の演出はささやかながらも重要でもあった。


「今日の探索の残りは3時間。その後すぐに拠点まで引き上げるからな」


「わかっておるわ。シリョウ? とやらにまとめると言っておったな」


「シエルがな。多少なりとも記録を残せば『不明』は減るだろ」


「じゃが何故誰もそんなことをせなんだんだ?」


 ミルムの疑問はもっともである。

 偵察の熟練者エキスパートを送り込んでいたのだ。

 その程度の対策をしていないはずがなく、記録どころか痕跡を残しながら探索しているはずである。

 けれど現実にはささやかな痕跡が残るだけで、記録などは手に入っていな――


「まったく、これだけ威嚇してんのに突っ込んでくるなんてな。ミルム、準備しろ」


「おうとも!」


「使うのは《風斬撃エアスラスト》だけだぞ」


「わかっておるわ!」


 高揚感を持っているのか、腰を落とし、手をワキワキしているミルムにルシルが嘆息する。

 何せ――


 ――バサガサッザッ!!


「ぬおっ!?」


 向いている方角がまるで違うのだから。

 ミルムの全く想定しない、斜め後ろからの突撃。

 草木を掻き分ける音や、地面から伝わる振動に気付かなかった彼女の落ち度だ。

 敵の素性さえ想定せずに低く身構えたツケが、初動の重さに直結し――


 ――ガスン!


「はい、一回死んだな」


 肩を組むかのように自然に伸ばされたルシルの手が、巨大な猪の牙を受け止めていた。

 それは落ちた木の実を好むが、単に一番得やすいだけで、必要とあらば木も倒すし肉食にも手を染める。

 雑食性の『突撃猪ピッグホーン』だ。


 通常の個体でも約200キロを誇り、全力の突撃は六頭引きの馬車を正面から粉砕する威力を秘めている。

 これが魔性に囚われるとさらに二回りほど大きくなり、食性は肉に偏り凶暴性が増す。

 恐らく、草食だけでは腹を満たせなくなるのだろう。

 今回の個体もそのたぐいで、目が爛々と赤く輝いている。


「っく! 何おう! わっちは見切っていたというのに!」


「そりゃ失敬。掴んどいてやるから魔術撃ってみ?」


「言われなくとも!!」


 風の刃がバス、バスと突撃猪ピッグホーンの身体を打ち据える。

 その度に「ぴぎぃ!」といななきを上げるが、毛皮には攻撃の痕さえ残っていない。

 調教師が鞭を入れるようなものだろうか。怪我などしようがない。


「ま、こんなもんか」


「なぜじゃ! わっちの魔術は失敗しておらぬぞ!」


「相手がそこらの草とは違うってだけさ。

 肉厚で硬質。獣の中でも特に分厚い重量系には『風』は通じにくいんだよ」


「ぐぬぬ……ならばっ!」


「別の魔術は禁止だぞ」


「どうしろというのじゃ!!」


 うがーっとミルムが吠える。

 その間にもルシルの手から逃れようと、突撃猪ピッグホーンは暴れまわる。

 固定された牙を支点に、身をよじり、地面を削り、尻尾を振り回す。

 周囲に土や砂利や草木の残骸をまき散らすが、それでもルシルは微動だにしない。

 体重差は明白なのに、力んでいる様子さえなく、距離を取る背後のシエルに視線を向けて「やってくれ」と命令した。


 ――ズッバン!


 ミルムと同じ風魔術、《風斬撃エアスラスト》。

 それで突撃猪ピッグホーンの分厚い毛皮を引き裂き、見事に首を断つ。

 身体をビクン、と一瞬痙攣させて力の抜けた重量物からだは、地面にずずんと沈んだ。

 牙を握っていたルシルは、見せつけるように随分と軽くなった突撃猪ピッグホーンの頭を持ち上げる。


「ま、こんな感じだ」


 何故か得意気に告げ、わざと身体と距離を開けて地面に横たえる。

 その様子に「なななな!」と目を剥くミルムは


「シエル何をしたのじゃーー!!」


 ど慟哭をあげ、興味は突撃猪ごはんから魔術シエルに移ったのだった。

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