105魔術士ミルム

「よーさい? とやらは随分と趣向が違うものだったの!」


 ルシルに肩車されたミルムがワキワキとはしゃぐ。

 ここはもう、帰還不能点ポイント・オブ・ノー・リターンを越えた港の拠点よりも内陸部。

 どれだけ緊張の糸を張っていてもおかしくない場所だが、この二人が居るとちょっとした散歩にしか感じられない。


 しかしこれも意味のある行動だ。

 たとえば未整備の地面は堅く、柔らかく、そしてデコボコと歩きにくい。

 体力のないミルムには酷で、何より一瞬でも目を離すと謎の物体を突いているかもしれない。

 見える範囲の植生は見知ったものだが、調査を終えていない現状では端的に言って危険なのだ。


「何故あの子を連れて来たのですか……」


 そんなに大事ならメルヴィでも……いや、港にでも置いて来ればよかったのだ。

 何故こんな危険地帯に連れてくるのか。

 事情を知らされていないリゼットは途方に暮れる。


「少し事情が込み合っていまして」


「そう。シエル様も大変なのですね」


 問いただせば答えてくれるかもしれないが、その一言でリゼットは様々な疑問を呑み込んだ。

 まだまだ起伏は穏やかで、仲がいいのは素晴らしい。

 けれどそろそろ草が足取りを重くし、視界を木々が遮り始める。

 真面目に気を引き締めてもらわなくては困るというものだ。


「なぁ、ミルム。草が邪魔だから切ってくれ」


「切る、とな?」


「そうそう。進行方向に《風斬撃エアスラスト》を頼む。目測でいいけど地面から10センチくらいでよろしく」


 ミルムに軽い様子で注文を出す屈強な背中。

 それを眺めるリゼットは、内心で『何を無茶な』と嘆息する。

 魔力量の問題はさることながら、魔術の習得難易度の高さをルシルは知らないのだろうか。

 少なくともあんな小さな子には要求が高すぎる、と。

 しかし本人は「なるほどの!」と安請け合いをし、むにゃむにゃと目を瞑って短く集中――


「《風斬撃エアスラスト》!」


「んなっ!?」


「おー、なかなかやるじゃねぇか。腕を上げたか?」


「わははは! わっちは日々進化しておるのだ!」


 ミルムはルシルの肩の上で腕組みをしてふんぞり返った。

 首に絡む足が締まるのもお構いなしだ。

 その反りっぷりはなかなかのもので、倒れていかないのを見ると、知らぬ間に体幹も鍛えられているようである。

 そんな評価を下しながら、ルシルは頭上に手を伸ばしてミルムの胸元を掴み、身体を起こしてやっていた。


「し、シエル、さま……?」


「どうされましたリゼット様。随分と驚かれているようですが。

 もしかして私たちが『ただの子供』を、こんな危険区域に連れてくると思っていました?」


「そ、そうですよね」


「はい。随分とはしゃいでいますが、彼女もルシル様が連れ出した一人なのですよ」


 シエルは澄まし顔でリゼットを畳みかける。

 これ以上面倒なことをしないようにルシルに視線を送るが、彼は一向に気付く気配がない。


「魔力はあるな? なら、上から順番に・・・・・・切ってくれ・・・・・


「上から……とな?」


「おう。下を切れば一発なのは見ての通りだ。

 けどな、よく見て見ろ。『地面との高さ』に誤差が大きい」


 切断面を上から踏みつけ、切った『深さ』をミルムに伝える。

 それに根元から刈った草は長く、他の草に絡んで落ち切らずに浮いている。

 切り拓けてるとは言いがたい。


「ぬぅ……もっと下を切れということか」


「その辺は目測だから仕方ない。だったら根元まで何度でも切れば良いわけだ」


「なるほどの! では早速……って、何故上からなのじゃ?」


未開の地こういうとこの草ってのは、特に絡み合っててな。

 見てみろ。根元を綺麗に切っても他の草とかに引っ掛かって、全部地面に落ちてないだろ?

 その点、刻めば地面の凹凸に沿って積もるから歩きやすくなる。

 まぁ、汁のせいで多少滑りやすくはなるけど、鬱蒼とした草むらを分け入るよりかなりマシだ。

 今回は調査が目的だから、移動と同時に分かり易い道も作れるから相当楽になる――やれるか?」


「任せるのじゃ!」


 状況を指さして行うルシルの説明に、ミルムは改めて胸を反らせて応じる。

 しかし、その手法には根本的な問題が――


「そんな無計画に魔術を使って魔力が持つわけが……」


「しっ! リゼット様、あの二人の機嫌を損ねないでください」


「え、いえ、けれど……こんな序盤で魔術士を一人使い潰すだなんて……」


「大丈夫です。少なくともルシル様は荒事には天才的です。

 サバイバルの知識もこの中では一番あります。何かあってもいざとなれば私が対応いたします」


商人シエル様が?」


 リゼットの訝し気な視線が今度はシエルに向かう。

 それを涼やかに受け流し、逆に視線をぶつけて「えぇ」と冷笑を浮かべる。


「確かに大規模な戦闘行為で商会長わたしに求められるのは後方支援でしょう。

 けれど『不測の事態』への対処でならば、経営者わたしもなかなかのものですよ?」


 シエルは聖女リゼットを相手に堂々と啖呵を切る。

 浮き沈みの激しい商売の世界で、新興商会スタートアップ勇者ルシルの威光だけで巨大化するなど不可能だ。

 それこそ国とさえ繋がりのある海千山千の巨大商会しにせが潰しに掛かってくるだろう。


「それにミルム様はそんなヤワ・・ではありませんよ?」


 冷笑から一転、朗らかに笑うシエルは前方を歩く二人に視線を向ける。

 つられて前を向いたリゼットは、キャッキャしながら障害物ざっそうを細切れにしていくミルムを目撃してしまう。


「な、な、な……」


「なぜ、ですか? 彼女はある意味、私たちよりもよっぽど常識外れなのですよ」


 嘆息するシエルたちを置き去りに、前方を歩く二人は歩みを止めない。

 たかが数メートルのために三回は魔術を放ち、魔力の無駄遣いも甚だしい。

 草刈り程度の下位魔術でも、こんな頻度で放てば30分も持たないはずだ。

 だというのにルシルはさらに「もっと細かくいってみるか」と条件を追加した。


「縦切りもして『マス目』で頼むわ」


「うむ? それは……落ちる前に切らねばならない?」


「速さと鋭さが重要ってことだな。できるか?」


「やってみよう!」


「チャレンジ精神があるってのはいいな!」


 ミルムは疲れも見せずにバカスカ魔術を放ち続ける。

 指示を経るごとに雑草のサイズは小さくなり、足を取られることが無くなった。

 ルシルはもとより、後ろの二人までが大した疲労もなく歩き続けられる。


「おぉ。ミルム、お前すげえな!」


「ふははは!」


「よーし。じゃぁ次は距離だな!!」


「距離? 遠くまで切れってことかの?」


「その通り。でも距離が遠くなるってのはなかなか力加減が難しいぞ?」


「どうしてじゃ?」


「距離を延ばすだけと侮るなよ。手前の草に遮られて、威力が奥まで届かない。

 かといって魔力を込めすぎると暴発するし、威力が高すぎて木を伐り倒したら大変だ」


「大変、なのか?」


「これだけ茂っていれば、あちこちに引っ掛けて倒れてくるから落下場所の予測が難しい。

 避けるにしても、草切って道造ってるだけだから後ろにしか下がれないだろ?

 それに枝とかに引っかかってた何かモノが降ってくるだけでも結構危ない。

 ほら、こうやって考えることや調整が一気に増えて複雑になるわけだ。ミルムにできるか?」


「ふうむ……」


 はしゃいでいたミルムが少しばかり静かになった。

 そもそも魔術は堅牢堅固な現実リアルを、幻想ファンタジーで上書きする技術である。

 想像力はもとより、それを成すだけの魔術式いいわけ魔力量ちからが必要だ。

 つまり同じ結果を得るだけなら『動いた方が早い』なんてこともしばしば起きる。

 それほどまでに不安定な超絶技巧なのだが――


「おいおい、ミルム。考え込んでる場合じゃないぞ。

 俺たちは急いでるんだ。お前に合わせて俺がゆっくり歩いてくれると思うなよ?」


「な、何じゃ! 切りながら考えろというのかっ!」


「そんなこと言ってる暇があるならさっさと切ってくれよ。

 お前の顔とかお気に入りの服にクモの巣とか草の汁が飛んでくるぞ!」


「なっ! る、ルシルめ! わっちを揺さぶろうなどと――」


 前方でわやわやし始める二人を見るリゼットは、思わずシエルに視線を向ける。

 さっきまでキリっとしていたはずの彼女は、肩を竦めて息を吐いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る