100クラリスの愚痴
「――ということがありまして」
約半月。それはクラリスがアトラスに
彼女はシエルが手掛けた料理に舌鼓を打ちながら盛大な溜息を吐いた。
ここは
そこにルシルとミルムの手で作られた新作、巨大な『いかだ』を浮かべ、報告……いや、慰労会でのクラリスである。
ちなみにこのいかだ。船と呼んでもいいのだが、推進力や操舵性は高くなく、凪いだ海でしか使えない。
そのため海に浮かべる床ということで、師匠連中は『海床』と呼んでいた。
また、屋根もあるので、風も潮も弱い内海では恐ろしいほどの快適性を誇っている。
「しかもいつ会議に呼ばれるかわからないから控室で待機って、体のいい軟禁ですよあれ」
気晴らしに出掛けることもできず、無益な会議に呼ばれたり呼ばれなかったり。
結論の出ない話に付き合わされるとは、なかなか散々な目に遭っている。
もしかすると偉い人達にしかわからないロジックがあるのかもしれないか。
世界最高峰の
「そう否定ばかりしてはいけませんよ。
彼らからするとクラリスを守るための行動でもあったのですから」
「……どこがです?」
「まず先に『軍服の返却』を求めたのはレーニン大佐でしょう。
彼と
「清算、ですか?」
「『貸し借り』は人や組織について回ります。
今回のように、バベルがアトラスに要求を通したことで、ポターニン問題が清算されたと解釈できます。
しかし一国の軍服とはいえ、制服にそこまで価値があると思いますか? 元々は国家間の外交問題なんですよ?」
「それはたしかに……」
「ですから彼は、アトラスの扱いに困ったバベルが『時間稼ぎ』の目的で制服を要求したと考えました。
また、制服を返却すれば、元々あったアトラス側の非が持ち上がるので、バベルにとっては利益だと考えたのでしょう」
「……シエル様が要望したのに、ですか?」
「えぇ。あの場で蒸し返せば、返却までにはさらに時間が掛かります。
時間稼ぎには十分ですし、今度はレーニン大佐
「え……そう、なんですか?」
「まぁ、その貸し借りの概念が相手に通用するかどうかは別の話になりますけどね」
柔らかい海風に髪をなびかせるシエルは、のほほんと口にする。
利害関係は勝手に結ばれ、勝手に解釈されていく。
真意が伝わらないことなどいくらでもある。
本人の思わぬところで嫌われるのはこのためだ。
「対するアルマンド少将は『バベルの要求を飲むことが最善』だと判断しました。
相手が求めるモノを与えず、何が利益なのかと言われればその通りです。実直な方ですからね」
「んん? ちょっと待て。アトラスの偉い二人の対立は
「まぁ、議題がメルヴィの
関係しているバベルやルシル様が対象になるのは当然だと思います」
「違う違う。なんでその二人は立ち位置が違うのに
諸外国の要人たちに挨拶はしても別段強い結びつきはない。
癒着を疑われる、なんて話ではなく、単にそんな時間など取れなかったのが大きい。
だから要人たちとは面識くらいで実務は別の者が担当していた。
逆にアッシュなんかは例外で、当時は本人しか人を使えなかったのが理由だ。
そんな不運すらも縁にするとは恐れ入るが。
「ルシル様の認識がかなーり緩いので誤解しがちですが、バベルは世界規模の商会ですよ?」
「え、うん。そりゃ、な?」
「……実感があまりないようで。
いくら
特に国や軍部が管理する『戦地』へ介入されたいはずがありません。
ある意味で『一番の弱点』をさらしているわけですから、摩擦の解消は必要不可欠です。
そこでルシル様のマネジメント業務も受け持つバベルが、前に立って交渉するのは当然でしょう?」
「あれ? オーランドが口利きしてるわけじゃ……?」
「あー……対国家間の外交にはケルヴィン様を始め、内務官が対処していましたよ。
たとえば勇者の派遣を決めたりは国際議会の承認が必要だとか。
ですが現地での戦略などは派遣先の軍部が握っています。
そうなると結局密に話をするのはバベルと軍であり、国は現場の報告待ちになりがちですね」
戦功を最も積んだルシルは、多くの戦場を駆けていた。
その分、裏方は誰かが……それこそシエルがすべてを取り仕切っていたのだ。
今更ながらに知る大戦の舞台裏はまだまだ出てくるのだろう。
「それで支援が遅れたりするのか」
「そこは
「戦時中に構う余裕はない、ってことか。世知辛いもんだ」
「それだけでなく、復興させるにも片付けからスタートでしょう?
崩壊した都市の区画分けも大変ですし、土地の所有者を確定させるのも困難です。
特に死傷者で溢れているので、相続を考えると誰のモノかがわからなくなっちゃうんですよね。
そこで不毛な争い……まぁ、当人たちにとっては死活問題なんですが、といったことが起きるわけです」
「おぉぅ……町に乗り込まれると大変だったんだな……」
「なので町をいったん放棄した方が、あと腐れなくていい場合もあるんです。
ですが、捨てる神あれば拾う神ありなんて言葉もあるようで。
どうやら勇者とかいう頭のおかしい人が何とかしてる場面も結構あったみたいですよ」
「そっか、たまにはそんな頭のおかしいやつが居てもいいよな」
「えぇ、まったく」
交わされる世間話の次元が高すぎてついていけないクラリスは思わず目を背けてうつむいた。
先ほどまでの陳腐な愚痴が恐ろしく恥ずかしい。
涙目でプルプルと震える彼女を知ってか知らずか。
すすすと傍に寄ってきたミルムがクラリスの肩をぽんと撫でていた。
「そんなわけで。
普通なら必要な時間や根回し……賄賂なんかもいりませんでした。
バベルが比較的不正から縁遠いのはこのためですね。
戦時中のバベルは、最高権力者であってもほとんどノーチェックで謁見できたんですよ」
「オーランドからはしっかり脱税してるけどな」
思わぬ情報にクラリスは「えっ!?」と顔を上げる。
気まずい顔のルシルは、シエルに助け船を求めるように問いかけた。
「……あ、これ
「この場合、問題なのはどちらかというと表現ですかね。
外から見れば英雄への優遇措置、単なる一代限りで免税対象になっているだけですよ。
別段怪しい話でも何でもありません。内情はともかく……あ、クラリス。もしかして
「いえ、結構です! 巻き込まれたくありません!!」
「あら……情報収集に来てるのでは?」
くすくす笑うシエルに、バベルの闇は深そうだ、とクラリスに謎の畏怖を植え付ける。
からかわれたと気付くのはいつになるのだろうか……。
ルシルはごろんと寝そべり、穏やかな潮風を味わっていた。
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