097大氾濫のあとしまつ

 青天の霹靂とも言える報せは二国を激しく動揺させた。

 内陸部からも救援要請を受けており、端的に言って経済それどころではないのが本音である。

 特にアトラス側の港は首都にも近く、自国の防衛を固めることに忙しかった……のはもう昔の話。

 多くの船が慌ただしく出航の準備を急いでいた。


 そんな中――


「積み荷が全部だめになっちまった!」


「商売上がったりだぜ!」


「こんな損失どうすりゃいいんだよ……」


 不幸な天災だと嘆いて終わり、では終わらないのが商売というものだ。

 誤報が疑われるほどの素早い解決ではあるものの、目的地を前に停泊を余儀なくされた船は多い。

 物流の停滞は、連なるすべての関係者に大きな影響を波及させていく。

 そうして運に見放された者が規模を縮小し、上手く波に乗った生き残りが空いたシェアを奪い合う。

 少しばかり間接的になっただけで、人の世も野性と変わらず十分に弱肉強食である。


 まずは足の早い生鮮品が市場に溢れて価格が下落。

 発生した損失の穴埋めに、身近の様々な物が売りに出され、連れ安を引き起こす。

 その負の連鎖は港に速やかに蔓延し、暴落する品目が瞬く間に増えていく。


 特に航路封鎖によって『物を運べない船』は、この瞬間だけはほぼ無価値。

 一応、積み荷の倉庫になるものの、港の係留にも安くない金が掛かる。

 港に長居させたくない後ろ暗い取引と同じように、お荷物でしかない『積み荷満載の船』も丸ごと販売されるのだ。


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「本来ならば国や領主が救済するのが筋ではあります。

 しかし彼らが致命的に遅いのは、現状のオーランドを考えれば明らかでした。

 そのため勇者の商会バベルの資本で買い支え、物価全体の暴落を食い止めています」


 市場を買い支えるなど狂気の沙汰だ。

 それほど市井しせいの規模は大きく、市場はあらゆる影響を受けて変動する。

 しかしその報告者が元宰相のケルヴィンであれば、言動から滲み出る謎の説得力に、商いに聡くない側は頷くしかできない。


「アトラス側でも同様の対応を執っています。

 事後報告になっていますが、今後収益が見込めるのでご容赦ください」


 対峙するのは未来の相場を予言する、バベルの長シエルである。

 断言するのは、問題となっている運搬のだぶつき・・・・は、メルヴィここで起きた大氾濫スタンピードが発端だからだ。

 つまり原因は既に取り除かれており、数日中には終息が確定している……。

 いいや、航路の封鎖も解放もバベルの活動であることを思えば、まさしく自作自演が疑われかねないだろう。

 それにしても。『バベルの資本』がルシルの借金サイフを指す暗喩――になっている気がする。


「俺の財布ってそんなに金あるんだな……」


 頭を抱えるように零すのは、お小遣い制が敷かれている当の本人である。

 もちろん、彼の要望は商会長たるシエルが資産の許す限り実現する。

 それがたとえ全てを売り払おうとも、だ。


「知名度世界一の商会の持ち主ですからね」


「資産も十分持っているがね」


「その分負債が大きくて。今回も借金増えちゃいましたよね」


「まったくですな」


 わはは、と和やかに話すが、やってるのは例外処理されただけの脱税だ。

 これでは誰が悪人かわからなくなってくる。

 思わずルシルは「だったら手出ししなきゃいいだろ」などとぼやいてしまう。


 彼は戦場では兵士よりも民を救う。

 剣を持てば自他ともに命のやり取りをする覚悟と見なされるからだ。

 ひるがえって、商人にとっての戦場は市況だろう。

 それらを過度に救うのはどうなんだ、というのは命を懸けるルシルらしい意見だろう。

 しかし――


「それが今回の事態って私たちバベルが発端でしょう?」


「……んん?」


「原因は大氾濫スタンピードです。

 けれど発見者も、航路を止めたのも、鎮圧したのも、航路の開放も勇者ルシル様の言葉めいれいです。

 予期せぬ事態に市場が荒れるのは当然なのですが、そのせいで市場操作を疑われかねません。というか、客観的に見てしてます」


「ま、マジで……?」


大氾濫スタンピードをたった一日で鎮圧。それも単独でとなると、虚偽うそにしても吹きすぎですよ」


「あれ、俺あんなに頑張ったのって幻だったのか……?」


「大丈夫、現実ですよ。

 それに多くの証拠から、公式に『罪に問われる』ことはありえません。

 ですが、多大な損失を被った者たちは、それで納得できると思いますか?」


「それで市場操作って話が出てくるって?」


「はい。こちらとしては暴落で誰が身を持ち崩したところで腹は痛みません。

 何ならすぐに市場は安定しますし、勝手に踊っていればいいとさえ思います。

 しかしそうした輩に限って『○○を潰すために市場を暴落させた』なんて吹聴して回るのですよ」


「……えらく断言的だな?」


「経験済みですから。なので可能な限り対策を取っています。

 まぁ、少しばかり授業料として利益をいただくのは仕方のないことですよね」


「むしろそんなことするから市場操作って思われないのか……?」


 利益を得ることこそ『操作』だろうとルシルは恐る恐る思ったことを口にする。

 そこへ見かねたケルヴィンが参戦する。


「暴落と言っても我々の処置で20~30%ほどに抑えられます。

 本来なら無価値ゼロになりかねない中ではかなり良心的です。

 それにバベルは『買い付け』ではなく『売りつけられた』のです。

 感謝はあっても、そこに不平・不満が生まれるはずはありますまい」


「……その違いって?」


「今回はわかりやすいほどの供給過多なので、購入者が圧倒的に有利です。

 つまり言い値で買える環境にあるので、過剰分だけ価格が切り下がっていきます。

 対するバベルは『無制限の買取価格』を提示して、この暴落に『底』を設定しました。

 それ以下で買い叩かれそうになった場合、バベルに売った方が得になりますからね」


 そりゃ半値や腐敗ゼロよりよほどいいだろう。

 説明を受けたルシルは、ふんふんと『感謝』の意味をようやく理解する。


「んー……? となると出回ってるほとんどのもの買っちまったんじゃね?」


 そう、供給過多から一転、今度は需要激増が考えられる。

 何せ市場に存在する物品のほとんどがバベルが掌握している。

 そして『次の便』は、早く見積もっても数日後……。

 たった数日で莫大な利益を積み増す算段わるだくみを聞かされていたのではないか。

 ルシルのそんな懸念に、シエルとケルヴィンは話は終わったとすっと背を向け、部屋を出ていく。


「さぁ、ケルヴィン様、そろそろお仕事しましょうか」


「うむ、忙しくなりそうじゃわい」


「え、ちょっ! お前らやっぱり価格操作する気だろ!?」


勇者の商会バベルは世界一クリーンな商会ですから、そんなはずありませんよ!」


 そう叫ぶシエルの言葉はとても信用に足るものではなかった。

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