096幻獣の起床

「腹が減ったのじゃ!!」


 ベッドの上でじたばたと騒ぐ小娘。

 この島に医者は居らず、そもそも幻獣ミルム相手に通用するかも不明の中、昏々と眠りに沈むこと丸一日。

 そろそろ何らかの対応を取るべきだろうか……そんな考えが全員に行き渡ったころ、何の前兆もなくぴょっこりと起き上がったのだ。


 各人の心配をよそに空腹の慟哭を上げ続けた。

 仕方なく薄めたパンかゆを与えながらあれやこれやを訊いてみると、身体に不具合はないらしい。

 むしろよく寝たからか、すっきりと頭が冴えているとさえ言い放ち、何なら先の言動にまで繋がる始末。

 元気で何よりなのだが、心配していた身としては色々と感じることがある。

 皆大人なので苦笑に留めていたが。


 そうして少しばかり空腹を満たしたミルムが、ふんすと鼻息荒くベッドから飛び降りるまで一日足らず。

 回りの大人が「せめてもう一日寝ていろ」と宥めるのも聞かない。

 野生児の自由を束縛するには言葉では通用しないらしい。

 目覚めた日の夕方には屋外をのしのし歩いていた。


「それでミルム、結局あの祭壇は何だったんだ?」


 落ち着きを取り戻した翌日。

 クラリスが島内外の伝令役に駆り出されて留守の時間のこと。

 元気にはしゃぐミルムに、もう何も言うまい、と半眼になるルシルが問い掛けた。

 ヒナたちの相手をするシエルも、傍で聞き耳を立てている。


「知らん」


「……なんて?」


「知らんと言うたのだ。ルシルこそ不調か?」


「不調になりそうな返事を聞いたからな」


 拍子抜け、とはこのことだろうか。

 タイミングを見計い、意を決しての問い掛けはまさかの空振り。

 ギャグのようにルシルはがっくり頭を俯かせ、代わりにシエルが参戦する。


「ミルム様、あの祭壇の前でおっしゃられた『大丈夫』とは?」


「んー? そんなこと言ったかの?

 まぁ、何となくじゃろうな! きっとわっちのカンじゃ!」


「その前後でシエルの魔術を無効化させたって聞いてるけど?」


「おぉ? ……そうだったかのぉ」


「まさかここにきて『記憶にございません』系?」


「そんな政治家みたいな……」


「いや、いやっ! そう、わっちはそんなことをしたはずじゃ!」


 普段言葉を飾ることも意図を隠すこともしないのに、ミルムの言葉はどうにも歯切れが悪い。

 端的に言えばとても怪しいのだが、どちらかと言えば困惑している感じだろうか。


「だがもう一度せよ、と言われてもわからんのが本音じゃ!」


「威張って言うことかよ……まぁ、一応覚えはあるんだな」


「うむ。少しばかり身体から何かが抜ける感覚もあったしの」


「身体から……なるほど、魔力か」


 ふむり、と頷くも、結局何もわからない。

 あの場面で何故「大丈夫」と断言したのかさえ分からぬまま、ミルムは祭壇に近付いたわけである。

 未完成だったとはいえ、全力行使の魔術を潰されたシエルからすると本当に納得いかない。

 そもそも師匠役のシエルが知らない魔術を、ミルムが使った時点でおかしいのだ。

 結局何事も棚上げだな、とルシルは嘆息して話を変えた。


「それでミルム、本当に絶好調なんだな?」


「おうとも!」


「そっか、それならよかった」


 ――ゴツン


 周囲に響いたのは、いつの間にかミルムの前に立っていたルシルが、彼女の額をノックするように打ち付けた音である。

 軽い動きの見た目に反し、絶大な威力を発揮して後方に一回転。

 ミルムは草の茂る地面にキレイにうつ伏せに柔らかく着地した。

 何が起きたのかわからないミルムは、急激に痛み出す頭を抱えて「ぬぉぉぉ?!」とのたうち回る。

 ひとしきり暴れたミルムは、涙目で「な、何をするのじゃルシル!!」と抗議の声を上げた。


「何を、じゃねーんだよ。まったく、心配させやがって」


「心配!? 心配とな! であれば、何故わっちの頭を!!」


「元気らしいからな。たまには鉄拳制裁も必要だろ」


 原因も結果も意味不明な大氾濫スタンピードや祭壇が謎なのは仕方ない。

 何なら本人からしてよくわからないのだから、ぶっ倒れた理由も同じく不明だろう。

 しかし、周囲の心配を無視して遊びまわるような子供には、少しばかりお灸があってもいいだろう。

 本人に非はないかもしれないが、少しばかり安静にする努力くらいは見せてもらいたい。


 そう嘆息するルシルの言葉は、小突かれた額から一向にダメージが抜けていかないミルムに届いたかどうかは怪しいものである。

 心配そうにヒナがすり寄るのもお構いなしに、持続する痛みに「ぐおぉぉ」と、少女にあるまじきうめき声を上げている。

 見かねたシエルが「まったく、何をやってるのですか」と溜息を零した。


「シエル! ルシルが横暴なのじゃ!」


「心配掛けるからですよ。訳も分からず右往左往させられる身にもなってください」


「なぬ! シエルもそちら側なのかっ!?」


「私は常にルシル様の隣です!」


「くそぉ! これはもうクラリスを捕まえるしか!!」


「残念、彼女もこちら側ですよ」


「わっちは、わっちは無力なのじゃ……!」


 絶望の慟哭が天を突く。

 未だ保護される身では反逆を企てるのも難しい。

 幻獣はようやく世間を知り始めた……のかもしれない。

 といった茶番にも飽きたルシルは、現実に目を向ける。


「そういや魔術使えるんだよな? 試してみるか?」


「うむ! わっちの魔術を見せてやろうではないか!」


 額をさすりながらも元気いっぱいで答える。

 そう、シエルを妨害した魔術はともかく。

 今まで不発?に終わっていた魔術のクオリティに変化はあるかどうかは割と重要なファクターである。


 目標は今まさに攻撃をしてきたルシル。

 手を前に出すミルムの肩に、シエルがそっと付き添えう。

 むむむといつものように集中力を高めていく。

 途端に魔力が編まれて鮮やかにも術式が構築された。


 後は魔力を満たせば――などと考える時間もない。

 一瞬で魔力で満たされた術式は、押し出されるようにルシルに向けて効果を発揮した。


 ――ガオンッ!


「うぉ!?」


 構築された《送風エア》は、霧散せずにルシルに直撃する。

 その威力はなかなかのもので、彼の身体を地面から浮かせて後方に数メートル動かすほど。

 とはいえ、攻撃魔術ではない《送風エア》に鋭さも威力もない。

 不意に浮かされた以外の効果はなく、身体を使う天才であるルシルは転ぶことなく着地を決めた。


「どうじゃっ!!」


「正直、びっくりしてるわ」


 ルシルの素直な感想である。補佐したシエルも驚きに硬直していた。

 ちなみに今までのように魔力切れも起こさず、変わらず元気いっぱいのようである。

 何ならシエルの手を離れ、ヒナに向けてバフバフと《送風エア》を撃ちまくって遊びだした。

 イジメのような光景だが、撃たれる側も上手いこと羽に風を受けて刹那の空を体験して喜んでいるように見える。

 まったく器用なものである。


「ちょっとシエルさんや。アレはどういうことだと思う?」


「さ、さぁ……? これまでが異常だっただけ、とも考えられるので……」


「そうなんだよな。せめて何か理由がわかればいいんだけどな」


「術式は同じなのに何故結果が……。

 それにしても魔術の変換効率が80%はありそうですよ」


「……ちょっと待て。一般的な最高効率って60とか50じゃなかったか?」


「魔術式なんて形のない物に、数値化できない魔力を、寸分違わず調整するなんてほぼ不可能ですからね」


「そうだよなぁ。まぁ、あいつは目の前でやってるわけだけど」


 ルシルはよくミルムを成長株と紹介するが、いくらなんでも成長しすぎだ。

 もはや進化に近いくらい過程をすっ飛ばしている。

 とはいえ、そうした『例外』は割とポコポコそこらに居る。

 ルシルしかり、アッシュしかり、シエルだってそうだ。

 飛び抜けた実力は往々にして、才能と一括りにされて例外枠に追いやられる。


 それよりも『何がきっかけなのか』の方が重要だ。

 直近の出来事で言えば大氾濫スタンピードであり、思い至るのは――


「洞窟か」「祠ですね」


 それぞれが違う単語を口にするも、指し示すものは同じ。

 いいや、若干のズレがあるらしい。


「ん? 祠?」


「はい。ミルム様が近付かぬよう、祠に撃った魔術を防がれました」


「祠に何らかの力があったから、って見方か」


「それに対抗魔術アンチマジックではなく、何と言うか位相がズレた・・・・・ように感じましたね」


「そんな不思議な祠からミルムに力が譲渡された……?」


「立証なんてできませんが、おそらく……」


「まぁ、原因の特定はほぼ不可能だし、その辺は良いか。

 今までのスカ・・が異常だっただけで、正常に戻ったってことで納得しておくか」


「そうですね。何かわかることがあればまた報告しますね」


 本来なら理論を解き明かしたいところだが、幻獣ミドガルズオルムは彼女だけだ。

 そんな特異個体を調べても、例外として付記するくらいが関の山。

 再現性のない一度きりであれば、そもそも調べることさえ不可能である。


 そうした現実げんばを知る彼らは、『とりあえずその辺が原因っぽい』と結論付けて、考えることをあっさり放棄する。

 それよりもミルムが元気であることが重要だし、他の魔術についても気になるところだ。

 試験的に構築する魔術は、いずれもが高い精度を誇り、ミルムはますます得意満面になっていくのである。

 こうして寝込んでいたミルムの安否が確認され、メルヴィの防衛は幕を閉じた。

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