094狂騒曲の終わり

 真っ暗闇の洞窟を歩くために、ミルムはいつぞやの片眼鏡モノクルを得意気掛けた。

 しかし暗くて困るのは皆同じ。

 この中で夜目が効くのは船乗りで夜景もこなすクラリスだけで、それでもルシルには遠く及ばない。

 結局シエルが背後から魔術で光を出すことで落ち着き、今は奥へと進む。


 つまりミルムが渡されたこの片眼鏡モノクルは、一人かルシルと来る時しか使えない。

 ちなみに彼女が一人で行動できる場所は限られていて、この洞窟は範囲外。

 悲しい現実を今さらに痛感したイベントだった。


「これは……?」


 前を歩くクラリスが呆けたような言葉を零す。

 最奥と思しき場所には地底湖が形成され、その中央には石を刳り貫いたらしき祭壇が沈んでいた。

 温暖な島の気候からは信じられない、肌寒ささえ感じる温度にブルりと身を震わせる。

 確かにここなら貯蔵庫に使われてもおかしくないだろう。


「ミルム様が発見された場所です」


「うむ! ルシルに救助されたのじゃ!」


「救助……? 無人島で?・・・・・


「その話はまた後で。ひとまず安全を――」


 クラリスには伏せていた『ミドガルズオルムミルム』の説明をしている時間はない。

 シエルが意識を周囲の確認に向けた時、沈んだ祭壇が仄かに色付いた。


「何じゃ?」


 最初にミルムが反応した。次いでクラリス、最後にシエルが。

 暗闇で淡く光を放つ祭壇は光量を増していく。

 その異様さにクラリスが前に立って二人を隠した。

 そしてシエルの手を引き、ミルムの肩を抱こうと手を伸ばす。


 ――ガッ


 壁を掴んだかのような重量感。

 引かれた手につんのめるシエルとは対照的に、ミルムは微動だにしない。

 魅入られたように祭壇を凝視している。


「大丈夫じゃ。放せ」


 肩を掴むクラリスに一瞥もせず、ミルムは祭壇へと歩を進めた。

 動き出した馬車を綱引きで止めようとするかのような、絶望的な感覚を味わう。

 慌てたクラリスはシエルの手を放し、そのままミルムに掴みかかった。


 しかし彼女の手は届かない・・・・

 壁のように遮断されるわけも、ミルムが避けているわけでもない。

 なのに伸ばした手がぬるりとはぐらかされる。

 どれだけ手を伸ばしても距離が縮められず、掴んでいたはずの肩もいつの間にか空になっていた。


「行ってはダメです!」


 思いの外反響する洞窟内で、クラリスが放つ静止の声は意味をなさい。

 代わりに決断力という意味で特筆すべき商会長シエルは、祭壇へ向け手を突き出し風の魔術を放つ。

 後先考えない行動だが、原因らしきものはそれ以外になかった。


 ――パキンッ!


 しかしそんな決断力も、成果に繋がらなければ意味がない。

 光が立ち昇る祭壇もミルムと同じなのか、何かに守られ魔術が逸れた。

 魔力の残光を眼に宿すシエルが、ならばと土系の《破鋼槌ストンプハンマー》を選択。

 彼女が手を上げた虚空に、魔術で大質量の金属製の杭がメキメキと生成され――


 その完成を待たず、釣鐘つりがねを突くように振り子の軌道で射出された。


 未完成でも洞窟自体を崩しかねない過剰攻撃だ。

 いや、あえて・・・未完成のまま、速さを追求した技量に、クラリスの理解は及ばない。

 なのに――


めよ」


 ミルムがフッと手を翳せば、その動作と言葉だけで紙を丸めたように空間が・・・ひしゃげる。

 シエルの未完の魔術は、内側に折り込まれて暴発すら許されず、痕跡もなく消え失せた。

 これにはさすがのシエルも膝をついて愕然とする。


 この理不尽こそが『ミドガルズオルムの化身』なのかもしれない。

 二人にはもう打つ手はなく、ミルムが自然体で祭壇に向かって歩く姿を見送るしかない。

 しかしそんなことをしでかしても、ミルムの雰囲気は変わらず同じまま。

 そこには神々しさも、怖気に苛まれるような禍々しささえ抱けない。


 地面は途切れ、地底湖の端に差し掛かるも、歩みは止まらず地底湖の上を進んでいく。

 ぴとん、ぴとんと足跡の代わりに残るのは、水面を一粒の水滴を落としたような静かな波紋。

 水面が鏡面のように反射し、淡い発光も相まって神秘性を醸し出す。


 そんなミルムに二人が見惚れていたのはどれだけだったろうか。

 時間の感覚すら怪しくなる中、祭壇から光が溢れてミルムに移動し――


「無事か!」


 その後、間もなくして到着したルシルが大氾濫スタンピードの『防衛』に戻ることはなかった。

 外での騒ぎは沈静化に向かいつつあることをルシルは気配で察していたからだ。

 そうして冷たい地底湖から引き上げたミルムの身体を、女性陣に拭いて着替えさせてもらう。

 そうしてルシルがミルムを背負って全員で洞窟の外に出れば、遠方から吹き付ける風に血臭が満たされていた。


 どうやら捕食者は遠方の島よりも近くの獲物が。

 被食者は餌場そこから逃げ出すことが最優先に変わったらしい。

 ルシルの想像通り、島への大侵攻スタンピードは終わっていたが、局所的にはむしろ激化していた。

 そんな惨状を確認をしたシエルの指示は、


「クラリス、島に残る方々に安全が確保された、と報告をお願いします。

 しかし島外への渡航は別命があるまで変わらず禁止とします。

 また、解体及び運搬の仕事が近日発生するため、準備を進めておくことも合わせて伝えてください」


 というように、ミルムの件を棚上げして伝令を頼んだ。

 強い血の臭いに顔を青くするクラリスを外し、様々な意味で口裏合わせが必要だからだ。

 それにこちらに向かってこないだけで、近海では血に染まって死骸が浮いている。

 自然の摂理に従い、いつか小魚などが処理してくれるが、死骸は臭いと陰気、疫病など、別の脅威を呼び寄せる。

 対外的にもこの凄惨な光景をこのまま放置するわけにはいかない。


「俺は大氾濫この後始末に行ってくる」


 状況を理解したルシルは、盛大な溜息を零して残業を宣言する。

 シエルはミルムを抱えて微笑み、


「はい、私はこちらでお待ちしています」


「……そうか、家は距離がありすぎるな」


「守ってくださいね」


 眠りこけるミルムをすぐにでもベッドに寝かせてやりたいが、それも少しばかり後回し。

 ルシルとの距離が開くほど、不測の事態に対処できなくなってしまうからだ。

 結局、彼女を毛布で包み、シエルと共に岸でルシルの帰りを待っていた。


 ・

 ・

 ・


「後はルシル様も知っての通りです」


 ミルムを寝かせたベッドの横で、シエルが洞窟での出来事を語り終えた。

 聞き入っていたルシルは「なるほど」と一言入れて考え込んだ。


「なるほど、違和感の理由に一応の説明がつくな」


 今回の騒動で最も疲労しているであろうルシルは、溜息と共にそう口にした。

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