093目指すべき場所
疑問はいくらでも浮かぶ。
どうしてわかったのか。
分かったとしてなぜ今なのか。
そして急いだ先で何をすればいいのか。
だが、そんなことは些末なことである。
シエルは乱発される疑問を即座に切り捨て、クラリスの肩を掴んで身体強化の魔術の強度を上げた。
二人の身体が軽くなり、歩幅が倍に伸び、ぐんと速度が上がる。
クラリスも急激な変化にバランスを崩すことなく呼応し、あっという間に目的地に到着した。
そこは以前シャークボルトを保管するのに使っていた洞窟である。
今もなお冷気をまったりと吐き出し、周囲には石柱がそそり立つ。
石造りの神殿が朽ちればこんな風貌になるだろうか。
郷愁を抱かせそうなものだが、何故だか感情が動かず印象に残らない。
初見のクラリスはその不可思議な威容に混乱しきりだ。
その背中から降りたミルムは、
「もうシャークボルトもなくなってしもうてなぁ」
と非常に名残惜しそうに口にする。
いかに保存に適していると言っても、せいぜい数か月だ。
未だ記憶に残る味に、幻獣は哀愁を漂わせていた。
息を整えるシエルが海上へと視線を送る。
ルシルの水柱は未だ海上を縦横無尽に巻き上げているが、大きな分岐はなくなっている。
また、別れた先からもバラバラと集合して一本化しているようだった。
守る範囲が狭まったことで、ルシルも随分と戦いやすくなるだろう。
「入るか?」
「……入りましょう」
ミルムの何気ない問いに、シエルは意を決してそう告げた。
何があるかはわからない。
けれど数の暴力は順調にルシルの気力・体力を削っているのだ。
自分たちが狙われやすい開けた場所に居るだけで邪魔になる。
クラリスも無言で頷き同意を示して前に立つ。
「後ろを頼みます」
クラリスは壁に向かうように無感情で歩み始めた。
奥さえ見通せない、初体験で未知の真っ暗な洞窟に。
・
・
・
「まったく、どっから湧いて来るんっだ!」
無駄な体力を消費することを理解していても、思わず鬱憤を口にしてしまう。
当然、魔物が相手では返事も来ない。
どのような戦場であれ、目立つ者が居れば寄ってたかって多勢に無勢の攻撃が行われる。
一騎当千の英雄や、雑兵をまとめる指揮官が真っ先に狙われるのは世の常だ。
とにかくそいつさえ倒せば後はどうにでもなるからだ。
もしくは敵わないと見切りをつけて、蜘蛛の子を散らすような遁走だ。
自らの命は他の何よりも尊いのだから仕方がない。
以上の二択が基本だが、ルシルが相手取る
もちろん、
しかし、大勢としては気持ちの悪いことに進軍が優先だ。
その相反する印象は、まるで我を失うほどの『お目当て』に突撃する消費者のようである。
同時に、こうして一心不乱に侵攻する
ルシルがたった一人で築く粗い防衛網では、あちこちから魔物がポロポロ零れている。
まるでザルで川を堰き止めようとしているかのような錯覚に陥っていた。
戦闘に没頭すれば、すぐにでも危機感が
必至に意識を繋ぎとめての戦闘は、頑丈なルシルの肌に傷を残し始めた。
それでも分岐は解消され、行軍の幅も小さくなって来ている。
この分ならシエルたちが到着さえすれば――
「到着、だと……?」
自らの希望に『一体どこへだ』と浮かんだ疑問に違和感を持つ。
いや、逆だ。島の地形は大体把握している。
分岐までして方角が明確になっているのに、目的地がわからないなどありえない。
何せルシルが食い止めている場所は海である。
海底の高低はあっても、森や崖、道などない。
好きなところを、好きなように移動できるのだから、この
それが盲進しているのならばなおさらだ。
未だ拭いきれない違和感の正体。それは――
「シエル
貯蔵庫とは、シャークボルトをはじめとした、本島の食料保管庫である。
それと同時に『違和感さえ起こさせない完璧な偽装』が成された、ミルムとの出会いの場だ。
ゆえに未知の洞窟にも関わらず、クラリスが『無感情』で歩を進める。
そして勘の鋭いルシルが、ここまで『
そう、貯蔵庫として利用しているだけなのだ。
船員が来ても、シエルやケルヴィンが増えても。
話題に上がってさえ、調査さえまともに行われていない。
いいや、むしろ貯蔵庫に
だから彼女以外が、洞窟に対して何か行動を起こした事実はほぼない。
唯一、洞窟の前でシャークボルトを討伐したルシルが利用を思いついたくらいだろうか。
違和感や疑念を抱けず、持ったとしても持続させられない異常な隠蔽空間。
今なお、抱いた違和感を繋ぎ止めるために、ルシルはかなりの意識を割かれていた。
そうして時間を稼ぎ、三人の気配が背後の海岸から
「なるほど、
口にした途端、ルシルの思考が一気にクリアになる。
動きにキレが戻り、振るう一撃の重みが増す。
最適化された動作が上がっていた息を整え始める。
どれほどの負荷が掛かっていたのか、と空恐ろしい。
これならまだまだ戦える。
いいや、すべての魔物を駆逐することさえ可能だろう。
解放感と全能感が、疲労困憊のはずのルシルの後押しをする。
「おら、掛かって来い! 全部まとめてぶちのめしてやるよ!!」
ルシルの大声量は
何かを盲進する後方の魔物にまで伝播し、惹きつけるほどの脅威を抱かせた。
そうしてルシルは、三々五々に散らばる魔物たちに『前に進むには、あいつが邪魔だ』と強烈に刻み込んだのだ。
まさしく一騎当千。
敵の強弱をいとわず、ルシルは
見学者の居ない殺戮は、近付く魔物は当然のこと。
遠ざかるものにまで、今まさに相手をしていた魔物をぶつけて死傷していく。
逃すわけにはいかない。
今後、周辺海域で悪さをするかもしれないのだ。
防犯意識の高いルシルとしては、集まった分だけでも殲滅するのは当然だろう。
「ははっ! 命を削るってのは久々だなっ!」
好きで危険に飛び込んでいるわけではない。
それでも生を感じるには、相反する死に触れる必要がある。
肌がチリチリとひりつく感覚は、かつて行われた人vs魔の正面戦争を思い出させる。
ルシルの剣が名工の作から量産品に変わった、あの酷い戦場を。
ただ、あの時と違うのは、ルシルの隣で命を散らしていった味方が居ないことだ。
広い戦場では、味方を守るよりも敵を減らす必要があった。
相手方にもルシルと同じような『切り札』はあったし、そもそも魔族というのは単体でも強靭だ。
対する人類は、殺すための道具、守るための装備を携えた、夥しい人員で対抗した。
両陣営に甚大な被害が出たのは言うまでもな――
「
魔物の行軍を押し返し始めたルシルが、ようやく致命的なことに
瞬時に反転し、彼女たち三人が入って行った貯蔵庫へと駆け込んだ。
そう、今の今まで『隠蔽されていた』彼女たちの下に急ぐ。
「無事か!」
貯蔵庫の最奥。
そこには祭壇の前……
そしてルシルが入ってきたことにさえ気付かず、食い入るように彼女を見つめる二人の姿があった。
足音も隠さずに踏みんだルシルの声に気付いたミルムは、ゆっくりと彼を向いて――。
「遅かったなルシル。もう終わったのか?」
シエルの出した明かりが、そう告げたミルムを闇の中から妖艶に照らし出す。
まず気配の質が……いや、これまでとは存在感が違っている。
しかし
故に本質的な問題は彼女がいかに変化したかだ。
静まり返る洞窟で、ルシルが自然体で「あらかたな」と返す。
するとミルムはふふっ、と微笑み「そうか」と告げた。
何事にでも対処できるよう、思考が極限まで加速するルシルの前で――
――バシャーン!
ミルムは立っていたはずの地底湖に、盛大な水音を上げて落ちた。
さすがのルシルにも予想外で、思わず呆気に取られる。
そのままぶくぶくと気泡を浮かべて沈んでいく幻獣様を、
「うそだろっ!?」
と叫んで急いで飛び込みミルムを引き上げるのだった。
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