092苦戦の理由

 上空へと火球の魔術が撃ち上がる。

 無駄に大きな魔力を消費し、必要のない煙を吐き出してさえいる。

 さらには術式が崩壊し、上空で爆音と共に四散してしまった。


 そんな不完全な魔術をシエルが使うはずがない――

 その不自然さに緊急事態を嗅ぎ取ったルシルは、すべての戦闘を置き去りに、彼女の元へと走る。


「何事だ?」


 打ち上げられた魔術の四散とほぼ同時に、少し息の弾んだルシルが現れる。

 その速さに合流していたミルムは「おぉ! いつの間に!」とはしゃぎ、クラリスがわたわたと手足を振って慌てる。


「る、ルシル様! じ、実はっ!!」


「戦力が二分されています。上から見てください」


 慌てるクラリスが口ごもるのを差し置いて、シエルが端的に状況を伝える。

 逡巡しゅんじゅんの間もなく、ルシルは垂直に砂埃も立てずに跳んだ。

 ルシルの討伐・妨害が無くなったことに魔物たちがいつ気付くかわからない。

 一刻も早く戦場に戻らなくては……ここで使う時間は命を削るに値するのだ。


「へぇ、よく気付いたな。道理で戦場が『広い』わけだ」


 見上げる間もなく上空から帰還したルシルの身体を濡らすのは、返り血や体液、海水だけでない。

 熱を帯びる身体を冷やすために額を流れる汗を拭っていた。


「気付いたのはクラリスです。正面に立っているはずの生餌かのじょには向かいませんでした」


「つまりシエルかミルムのどっちか……。

 いや、まて。いくら忙しくても俺が何で気付かない?」


 クラリスが見たことのない険しい視線でくしゃりと前髪を握る。

 理由を探してひたすら思考を回すも答えは出ない。


「おそらく分岐点と距離が近かったためかと」


「後退分の幅が広がったことに気付かなかったわけか。慣らされたと言えば聞こえはいいが……」


「いずれにせよ、目標が二つあるのではルシル様に負担が掛かりすぎます」


「抑えるためとはいえ、無駄な移動距離が出てるからな。このところ俺一人じゃ守り切れないことが多すぎる」


 そう嘆いて握っていた前髪を手放す。

 勇者と祀り上げられても所詮は個人だ。

 手の届く範囲が広いだけで、できることはやはり限られている。

 だから・・・暗くなる時間は一瞬だ。

 意識を切り替えたルシルは決断を下す。


「シエル、すまんが――」


「はい、もう一つの目標に向かいます」


 打てば響くとはこのことか。

 二分されている理由は不明だが、動ける側が目標に近寄るだけでいい。

 ただそれだけで魔物を追うルシルは楽ができるのならシエルに否応はない。

 しかし同時に、向かう先に何かあるかも不明なため、危険性は未知数だ。


 だからルシルとしては苦渋の決断だ。

 ゆえに軍人クラリスの肩に手を置いて「先陣を頼む。シエルとミルムを守ってくれ」と弾避け・・・を指示する。

 もちろん、命には代えられないため、生き残れとの厳命の欠かさない。


「ついでだからこいつを渡しとく」


 そして少しでもリスクを下げるため、モーラの魔核をポーチから取り出しシエルに渡す。

 本来魔核は魔物にとって自らの格を上げるのに絶好の素材である。

 だからこそ目の前で投げ捨てれば、目くらまし位にはなるだろう。


「……随分と小さいですね」


「その分凝縮されてんだろ。何てったってあんな障壁張るんだからな。好きに使ってくれ」


「承知しました。それと戦場がまとまるのは分かりそうですか?」


「こういう認識阻害系は気付けば効果を発揮しない。『気付かせない』のが肝だからな」


「では、戦場がまとまったら合図をください」


「通り過ぎないため、だな。そこで何かあれば教えてくれ」


 こうして作戦会議は終わった。

 きびすを返して海へ向かうルシルは、背後へと視線を送り、三人に「飯楽しみにしてるぞ」と屈託なく笑う。

 そして返事も待たず、いつの間にか取り出した翠扇すいせんを海へと向けて一薙ぎし、暴風と共に戦場へと戻って行った。


 ・

 ・

 ・


 野を、藪を、森を、突っ切り、先を急ぐ。

 警戒を怠らず、上がる息に焦りを感じながら。

 あんなごくごく短い作戦会議でも、魔物の侵攻は着実に進んでいる。

 失った距離は数百メートル……いかなルシルと言えども取り返すだけでも随分と苦労するだろう。

 いいや、押し込まれてる現状では維持さえも絶望的かなのかもしれない。


「わっちも走るぞ!」


「その元気は後に取っておいてください」


「じゃがクラリスが……」


「大丈夫です。彼女はこの程度でへこたれませんよ」


 小柄なミルムは軽く、本人の足も速い。

 しかし身軽な分だけで持久力はなく、今はクラリスが背負っての行軍だ。

 ミルムの上がっていた息も落ち着いてはいるが、疲労はそう簡単に拭えない。

 降ろしたところですぐに体力の限界を迎えるだろう。

 であれば背中への上げ下ろしで時間をロスするだけ無駄だ。


 また、シエルは強化魔術を自らに施している。

 しかし山を登った時のように、ルシルが隣に居るわけではない。

 魔力を節約するためにも、クラリスに遅れず、疲労が過度に溜まらないよう細心の注意を払っていた。

 女が寄ればかしましいと言われるが、今回ばかりは例外だった。


「本当に狙われているとは……」


 ひしめき合う魔物とルシルの戦いが水平線に繰り広げられている様を見てシエルが小さくぼやく。

 クラリスの言葉に疑念があったわけではない。

 しかしあんなにも大きな群れが、蛇行しながら自分たち目掛けて進んでくる。

 どれだけルシルがこちらを優先してくれようとも、この焦燥感は拭えそうにない。


 全ては絶対的強者であるルシルという防壁があるというのに、一心不乱に突き進む狂乱の理由が不明なためだ。

 目的地に何か理由があるのかも――


「シエル急げっ! 目的地は貯蔵庫・・・だ!!」


 周囲を押しつぶすかのような大号令が海上から放たれた。

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