090巨艦侵入

 島へと向き直ったモーラが、ゆったりとこちらへ進軍を始めているのが見える。


「まったく、向きを変えただけでこれ・・とはな」


 常在戦場の心得があるルシルと言えど、津波とのタイムトライアルはなかなか経験できるものではない。

 しかもそれがただの方向転換となれば、規模が違いすぎてやってられない。

 ともあれ、被害は何とか防げたわけだが、その余波が収まるにはしばらく掛かりそうだ。

 つまり魔物たちにとって危険で不快な海は、ルシルには足止めに最適かつ超不安定な足場となる。

 それにしても――


「やらかしたかもな」


 とにかく全身が怠い。

 クラリスに強がったが、さすがに本調子とは言い難い。

 集中力を即座に最高潮に上げることはできても、パフォーマンスにまで反映させることは難しい。

 それを無視して全力稼働すれば、温まっていない身体が悲鳴を上げるのは当然の事態だった。

 クラリスが神話と見まごう動きでも、ルシルとしてはまだまだジョギング程度だったのに。


「ま、何とかなるだろ」


 海面に浮かぶ死体の上で首をぐりぐり回してルシルは不敵に笑う。

 島全体を押し流しかねない津波を防いだ代償と考えれば無いに等しい。

 何よりまだ誰一人零していない。

 それにどれほど追い込まれていても、ルシルは生き残ってきたのだから。


 海面を歪ませてアメンボのように浮かぶモーラの全体像が憎たらしい。

 あんな巨躯を浮かばせるほどの障壁を平気で維持してると思うとバカバカしいにもほどがある。

 というより、奴に津波を起こした自覚がないだろうことが腹立たしい。

 まったく、いちいち規模がでかすぎ――


「うそ、だろっ!」


 モーラの口がカパリと開き、ルシルが思わず言葉をこぼして慌てて駆け寄る。

 というのも、巨艦モーラの体内にはおびただしい数の寄生魔物がひしめき合っている。

 それは開いた口から寄生している魔物たち・・・・・・・・・・が、わらわらと這い出していることからもわかる。

 共生関係にある寄生魔物たちは、宿主であるモーラの敵対者を許さない。

 つまりは早急にあの口を閉じないことにはいくらでも討伐対象が増えていくことになる。


 だが、今回は例外だ。

 三々五々に飛び出してくる、寄生魔物あれらの目的は『避難』で――



 ――カッ!!!



 視界を暗くするほどの閃光が迸る。

 近くで雷鳴が轟いたように、空間そのものを揺さぶるような大きな衝撃が身体を貫く。

 閃光の行方は、遥か後方の積乱雲に大穴が穿たれていることで、クラリスにもようやく理解が及ぶ。

 その吹き飛んだ雲を埋めるように稲妻を迸らせ、大量の雨粒と暴風によって抗議する。


 何処にも被害を及ぼさなかったものの、人智の及ばぬ現象と大音響が、絶大なまでの破壊力を物語っていた。

 それほどの攻撃がモーラの口から発すると知っていれば、口内に住まう寄生虫たちが我先に飛びにげ出すのは当然だろう。


「ぐはっ、まったく……慌てさせやがって」


 モーラの光線が発射されるよりも一瞬早く、障壁の下へ潜り込んだルシルがザパッと海面へ顔を出す。

 まさか海上をスライディングすることになるとは本人も思っていない。

 しかも海面を蹴り、あの巨体をわずかながらも持ち上げて、射角を上げることに何とか成功したのだ。

 そんなルシルの献身で絶望的な破壊力を秘めた攻撃は逸れ、だからこそ彼は窮地に立たされる。

 そう、口から這い出した魔物の群れの中に単身で乗り込んでしまったからだ。


「モーラとこいつら、一緒に相手するのはちときついな」


 嘆く言葉もそこそこに、海面を叩いて身を跳ね上げ海中から脱する。

 海水を浴びたことで熱を持つ重い身体も少しは冷えた。

 それに出てきた魔物を除けば、口内はほとんど焼失しているだろう。

 つまりこれ以上は口から出てこない。


 絶望的な状況をポジティブに解釈するルシルは、海面を蹴って高く跳ぶ。

 未だに間抜け面のモーラ口内へと突入を開始した。


 そのルシルを追ってか。それとも住処に戻るためか。

 周辺海域に避難した魔物たちがモーラへ近付くも、目指す口は水面からは遥か上空。

 そして障壁にまで阻まれれば、落ちることは容易くとも、戻るのは非常に難しいだろう。

 運よく追っ手を振り切り侵入したルシルは、悠々と巨艦モーラの攻略に励め――


「くっせぇえ!!」


 まだ生きていて鮮度が高いとはいえ、魚に触れれば……ましてや中に入れば当然生臭い。

 むしろ生き物は悪臭を放つものだ、と飲み込めはするものの、最大の問題は暗さである。

 夜目がどうとかの話ではなく、単純に光が存在しない暗黒の地だ。

 だというのに、ルシルは文句を言い放つだけで、平然と食道を駆けて一刻でも早く魔核を探す。


 外の様子が見れないだけでなく、ここは巨大魚モーラの中だ。

 つまり通常であれば体内は海水で満たされている。

 それが障壁によって浮いたことで流れただけで、いつまた海水で満たされるかわからない。

 しかも何処から浸水するかも、その時間さえも不明である。


 さらに言えば喉奥ここを越えればすぐに胃袋であり、その先も延々と消化器官が連なっている。

 進むほどに肛門でぐちに近付くわけで、このまま道なりに進むわけにはいかなかった。

 極めつけが――


「これだからモーラはっ!」


 クラリスから借りた短剣を暗闇の虚空に振るえば、周辺に血の臭いが広がった。

 何かを発射した口先はともかく喉奥は安全だったらしい。

 いかな洞窟にも等しい広さがあってもここは体内。

 そして寄生する魔物に満たされた閉鎖空間だ。

 真っ暗闇の中、四方八方から『異物』を排除・捕食するべく、寄生する魔物が次々に襲い来る。


 元より疲れ、視覚も機能しないルシルに余裕はない。

 視覚の代わりとなる筆頭は聴覚。自身が発する音の反響音を捉え、環境を立体的に体感する。

 次に触覚が湿気、温度、風などを掴み取り、その情報を補完する。

 そうしてバリエーション豊かな魔物たちが近付く速度よりも一段速く駆け抜け、正面を塞ぐ相手以外は無視していく。


 しかし行き過ぎるのも問題だ。

 この先には間違いなく消化液に満ちた胃袋が待ち構えている。

 魔物に構う時間はないが、そろそろ魔核しんぞうの近くに差し掛かるはずだった。


 ルシルは短剣を下に向け、握る手を腰で添えてぬめる地面にスライディングを決める。

 体表の障壁が何だったのか、と感じるほど短い剣身がモーラの身に深々と沈む。

 不思議なことに、鉄壁の障壁を持つモーラの体内は意外なほどに脆い。

 いや、でなければ侵入した魔物の巣窟にできるわけがないか。


 だからこそ・・・・・、柔らかい切り裂いた身からも、魔物が這い出して来る。

 これほどまでに肉の内側にまで侵されながらも、モーラは悠然と存在する。

 巨大さ、頑強さに加え、数の暴力まで保有するモーラは、まさしく災害指定巨獣の名に恥じない難攻不落さである。


「んにゃろっ!」


 裂け目から溢れ出た魔物の頭を掴んで勢いを殺し、そこを支点に体勢をくるりと反転させる。

 迎え撃つような対面は一瞬のことで、掴んでいた魔物を握り潰す。

 悲鳴を上げる時間もなく討たれた魔物の牙を引きずり出し、飛び掛かって来る他へと苦無クナイのように投げ込んだ。


 いくら肉を食い荒らすために鋭利な牙であっても、所詮は手のひらに収まる小さなものだ。

 それでも扱うのがルシルであれば、どんな矢玉よりも正確かつ迅速に目標物を撃破する。

 ただの投擲で爆散させたルシルは、抉ったモーラの身をさらに掘り進む。

 できればもう少し刃渡りが欲しい……そう何度も切り裂けるほど、短剣は鋭くも頑丈でもないだろう。


「いや、違うか――」


 にやり、と短剣を沈めながらルシルは笑う。

 認識が違うだけで、ここには十分な武器が存在している。

 そう、先程もそれ・・で攻撃したではないか。


「お前らはモーラを抉れる・・・・・・・んだろ?」


 ルシルが往復してモーラの身を短剣で抉った深さはわずか1メートルほど。

 短い刃渡りでよくもこれほど、と褒められてもいいだろうが、これではいつまで経っても終わらない。

 いつまたモーラがあの光線を放つかもわからないのに。


 だから・・・モーラここに居る、ルシルが借りた短剣よりも巨大な魔物を利用する。

 ふらりと立ち上がったルシルは短剣を腰に戻し、殺到する魔物たちに向けて拳を握った。

 こいつらを使えば、より早く、より深くモーラの深部を目指せると理解して。

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