088巨艦モーラ

「……モーラ、ですか」


 ルシルの戦いぶりを遠くから観察していたシエルがつぶやく。

 魔力による視覚強化でようやく見えるかどうかの遥か沖合に、帆船のマストを思わせる背びれが海面からせり出している。

 霞むほどに遠方にありながらも形が見えるサイズに、もはや生物であるかも疑わしい。

 いいや、海中に沈む持つ身体が、どれほどになるのか……。

 氷山の一角とも表現される全体像は想像もしたくないのが本音だ。


 ルシルであればとっくに気付いているだろう。

 現に今まさに狩りの手を止め、海面に浮かんでいた食材を蹴り上げ、こちらに運ばれる・・・・


 ――ドパーン! ドパーン!


 凪いだ内海に落下した『食材』が水飛沫を上げ、衝撃で血が流れ出る。

 まだまだ近海に敵は残っているが、これ以上『モーラ』の接近を許してはならないとの判断だろう。


「何じゃそれは」


「災害指定巨獣の一つです」


化け物イカクラーケンみたいなやつか?」


「扱い的には似ています、想定される規模がまるで違いますね」


 そんなものがゆったりとも言える速度で水飛沫を上げて近付いて来ている。

 その威容に神聖さを感じてしまうが、近付くほどにその認識が間違っていることに気付かされる。

 アレはあまりに巨大なために、遠くに見える山の稜線のように遅く見えるだけであることに。

 そして恐ろしい速度で迫ってきていることに気付く頃にはとっくに手遅れになっているとも。


「上下対象の形状で、尾びれを使って舵を取ると聞いています。

 サイズに比べて肌は弱く、人が触れるだけで火傷を負うそうです」


「脆弱な?!」


「魚類はだいたいそんな感じですよ。

 しかしモーラは強固な障壁が保護膜のように常時展開していて近付けません。

 船がぶつかれば間違いなく沈没ですね。まぁ、島に匹敵するほどの巨大魚、と考えていただければ」


「おぉ! それは食いでがありそうじゃな!」


「それはあまりお勧めしませんが……」


「なぜじゃ?」


「討伐後すぐに悪くなるので食材とも素材とも扱いにくいのが一つ。

 もう一つが割と致命的で、寄生虫とか病気を持っている可能性が高い点ですね」


「きせい……? 何じゃそれは」


 内海に投げ込まれた食材や素材を、シエルは泳いで岸まで引き寄せる。

 ミルムに係留を指示しながら、『災害指定巨獣』なんて物騒な名前を付けられた魔物の話を続けた。


「寄生虫は生物の中に棲む生き物のことですね。

 なのでこの場合の『虫』は、単に母体に対してサイズが小さいって意味だと思ってください」


「なるほどの。それが何の問題があるのじゃ?」


「この寄生虫って寄生主が死んでしまうと自らも危機に瀕します。

 つまり長期に渡って繁栄するためには、お互いに・・・・助け合わないといけない共生関係にあります。

 逆に言えば、寄生主に危機が迫ったり、居心地の悪い寄生先に変わったりしたら、攻撃してきてもおかしくないですよね?」


「ほほう、たしかにの。だが小さいのじゃろ? そんな大騒ぎするほどのものか」


「単純に体内に入った寄生虫との相性が悪いと調子を崩すわけなんですが……」


 ――どおんっ!!


 シエルの説明が佳境に入ってきたとき、遥か遠くで轟雷の声が上がった。

 耳を覆いたくなるような底冷えのする音は、周囲に伝播して一瞬の静寂を強いる。

 身を竦めていたシエルが、ミリムに


「その寄生虫って、その寄生先の生物のサイズにると思いません?」


 と囁いた。


 ・

 ・

 ・


 あちらは大丈夫そうだ、とシエルの指定した内海に着水することを確認したルシルは、僅かに投げた視線を戻す。

 遥か遠方から接近する巨艦・・モーラに向け、ルシルは海面を蹴って迫る。

 互いの存在を知るための一合目は、十分に加速した身を投じた、重量差をものともせずに放つ剣閃だ。

 しかしそんなルシルの神速の斬撃は、モーラが常時展開する障壁に阻まれ霧散する。


 その接触は周囲に轟雷のごとき振動おとを伝えた。

 遥か遠くにまで届いたその響きは、海面を揺らがせるだけでなく、一帯に一瞬の静寂を強いるほどだ。

 注視しなくてはならない――そう感じさせるだけの、何かを発して。


「くはっ、やっぱかってえなっ!」


 何事もなかったのように過ぎ去るモーラの横を、走り抜けたルシルがぼやく。

 久方ぶりの戦場に口角が上がる。

 これまでの島の生活が楽しくなかったわけではないが、こうしたヒリつく環境も自身に必要なのだと思い知らされるように。


「しかし剣が持たないな……」


 勇者ルシルが歴代手にした剣に特別な物はほとんどない。

 いいや、むしろ彼は量産品ばかりを愛用した。

 それは本人の技量はさることながら、どんな武器でも使っていれば、いつかは欠けるし折れもする。

 大事な場面で『あの武器があれば……』など、誰が聞いていくれるのか。

 そもそも武器の性能で戦果が大きく変わるのなら、逆説的に所有者など誰でもよくなる。

 さっさとその技術を使って量産すればいいのだ。

 だからルシルは、ある程度の品質が保証され、数の用意が容易く、戦場でさえ補充できひろえる量産品を愛用した。


 ともあれ、それはあくまで武器を有する者同士の理論。

 今回のように大した補給もなく、ひたすら討伐を強いられる場合には当てはまらない。

 たとえば水馬ケルピーを足場にしたように。

 たとえば凶弾魚ダーツフィッシュを武器にしたように。

 戦場に存在するすべてのモノを利用して目的を達するのがルシルの……勇者の責務・・なのだ。

 とはいえ、余りの障壁の硬さに量産品の剣が悲鳴を上げている。

 モーラのような災害クラスを相手取るなら、せめて強度だけでも一線級が必要だったと悔やむばかりだ。


「こんなことなら一振りくらい強請ればよかったな」


 ないものはない。嘆いても始まらない。

 ルシルはきびすを返してモーラに追い縋る。

 並走するルシルは、翠扇すいせんを取り出し横合いから無遠慮にぶん回した。

 あれほどのサイズの背びれだ。十分に『帆』の役割を果たしてくれるはず。


 ――ごぉっ!!


 巻き起こる暴風によってルシルの直感は証明される。

 背びれに風を受けてゆっくりと横滑りを始め、進行方向までもが曲がっていく。

 いかな防御力の高い障壁と言えど、攻撃力のないただの風さえも遮っていれば泳ぐことさえ不可能だ。

 また、もしも障壁が機能したとしても、受ける面積が広がることで、より結果は大きなものになっただろうが。


 ルシルは翠扇すいせんを担ぎ、暴風と共に海面を蹴ってモーラを追う。

 沖合いだからこそ取れる戦法だが、それでも島には高波や強風の影響は大きい。

 海水に濡れ、暴風に揺れる髪を抑えるクラリスは、その天変地異にも等しい戦いに身震いする。

 いきなり眼前に台風サイクロンが現れたようなもので、たった一人による戦闘にしてはあまりに破格すぎる余波だった。


 ようやく進行方向がズレていることにモーラが気付いたらしく、舵を取る尾びれを動かし始めた。

 暴風に負けていた傾きがゆっくりと戻されていく。

 思わず舌打ちをするルシルの横で、目的の進路に戻すためか、大きく旋回を始めた。


 このまま去ってくれれば互いの損失……ルシルは時間や労力が。モーラは生命・・が残る。

 しかしそんな人側の思惑など魔物が汲み取めるはずがない。

 距離が大きく離れて行っても、結局メルヴィを目指す進路を取ってしまう。

 そしてモーラは、バクン、と海面をバウンドさせたかと思うと、その身を空中へと跳ね上げたのだった。

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