087メルヴィ防衛前哨戦

 ルシルは津波のような魔物の群れを前に、落ち着いた様子で波打ち際に立つ。

 海面に見える数はざっと五十ほど。

 いかなメルヴィが遠浅とはいえ、あれほどの沖合では水深はかなりある。

 そんな海域でも海面から顔を出すとなるとかなりの大型だと予想される。


 つまり海中には中・小型が潜んでいる可能性が高く、それらまでを相手するとなると……今回の大氾濫スタンピードの深刻さがわかるというものだ。

 これを一人で抑えようというのだから、その無謀さはない。

 相変わらずの無茶な戦場に、ルシルの口の端が知らずに上がる。


 ちなみにルシルと訓練したことのあるシエルの方が、指揮官デスクワークのクラリスよりもきっと上手く戦える。

 けれど彼女はあくまで『商人』だ。

 後方支援を任せることはあっても、戦場に……それも前線に連れ出していいはずがない。

 だから戦場を担うのは軍人たるクラリスの仕事だ。

 彼女にルシルが望むのは、目と囮の役割と、ほんの少しの足止めだった。


 ルシルの感知能力は破格であっても、大群相手では漏れが出る。

 防ぎきれないそうした穴を、彼女が一人立ちはだかるだけでルシルの補佐として機能する。

 できれば戦力を期待したいが……きっとそれは高望みだろう。


「クラリス、気楽にな。それじゃ行ってくる」


 滑るように砂を蹴り、シュパッパッと水切り音を残して静かに消える・・・

 いや、現実には遥か沖合いに居たはずの水馬ケルピーの群れが、四方に吹き飛ばされていた。


 ――ゴガンッ!


 後から押し寄せる大気を震わせる衝撃音。

 まさか音と魔物が巻き上げられる様子で所在が分かるとは……。

 神話を思わせる戦いの始まりに、振り慣れない剣を握るクラリスはごくりと喉を鳴らした。


 ・

 ・

 ・


 ルシルの一手目は、深々と踏み込んだ魔物の中央。水面への震脚だ。

 衝撃が伝わりやすい水中では、爆心地に近い魔物の感覚を混乱・麻痺に成功する。

 また、水上に立つ速度あしの速い水馬ケルピーを上空へと吹き飛ばした。


 宙に浮かせたケルピーの群れを追い、ルシルは震脚の反動で飛び上がる。

 矢のような速度で迫り、交差の瞬間に首を切り落とした。

 いや、そんなことでは終わらない。

 討伐したケルピーの胴を足場に見立てて蹴れば、別の個体を巻き込み肉塊へと変えた。


 打撃でも致命傷を与えられると確認したルシルは、もはや切ることもせず、傍に浮かぶ別の個体を直に蹴る。

 ケルピーの強度を確認し終えたルシルには、宙に浮くそれらは『肉の足場』でしかない。

 水面すら地面に代えるほどの脚力であれば、ただの蹴りが巨人のフルスイングに匹敵するのだろう。


 そうして肉の足場を得たルシルは、着地と玉突き事故のすさまじい激突音が響かせ、空を立体的に飛び回る。

 ものの数十秒でケルピーの群れの生存反応は消え失せた。

 血飛沫で空間を染め上げた血煙を掻き分け、ルシルが水面へと高速で落下する。

 それは化け物イカクラーケンとためを張るほどの水の巨人、水にまつわる邪念寄り集まりである海坊主の頭上だ。


 ――ガオンッ!


 その鋭い音は空気を割いたか。はたまた着地か。それとも剣閃か。

 ともあれ水上に出ていた海坊主の頭蓋に剣を突き立て貫いていた。

 体格差を考えれば、少しばかり長い針を刺された程度のはずだが、何一つさせないまま冥府へ送る。


 傍に浮かぶのは飛水鳥ヒスイドリの群れ。

 しかし翼に羽が生えておらず、首が短く、足には水掻きが。

 流線形のちんまりとした見た目に反し、水中を自在に泳ぐ。


 飛ぶために身体を軽くした一般的な鳥と違い、浮力を味方にする彼らに重量の制約はない。

 水中において猪のような突進力に加え、中・小型の魔物や魚を狩るだけの速度と転回力を持つ。

 しかも数分しか潜水できない人に比べ、十倍以上呼吸が不要だ。


 反面、陸地に上がれば、成獣であってもひょこよことヒヨコのように歩くためほぼ無害。

 ただし水中を駆ける原動力になる強靭な翼は、殴打によって人の骨を軽々へし折る。

 何より厄介なのは低級ながら水系統の魔法を扱うことだろうか。

 とはいえ、生息域は魔族領や極地のため、人との接点はあまりない。


 どうしてこんなヤツまで押し寄せているのかわからない。

 が、他の魔物の餌になったり、集団で魔法を使い始めては非常に迷惑だ。

 ありがたいことに奴らは美味く、ミルムへの土産にちょうどいいだろう。


 そんなことを考えるルシルは水中を猪のように進んでいたはずの飛水鳥ヒスイドリ見送る・・・

 飛水鳥ヒスイドリは、ルシルの初撃の震脚で伸びていて、慣性で流れているだけなのだ。

 それより別の……凶弾魚ダーツフィッシュの大群の方が緊急性が高い。


 大群で航行し、小型でありながら大型魚でさえ狩りの対象にするほどの凶暴性。

 口先に矢じりダーツのような貫通力の高い凶器を持ち、矢玉のように敵を貫き、身をよじって食い破る。

 それが群れを成して押し寄せれば、触れられた時点で逃げようもない。


 しかも逃走・狩りの際には水上へ飛び出しては滑空し、空からまさしく矢玉ダーツのように降り注ぐ危険な魔物である。

 バシャバシャと水を掻き分けていたのはこいつらだ。

 生息域はあくまで水中であるため、上陸した時点で全滅は必至だが……。

 そんなものが陸地に押し寄せれば、人の身では耐えられず、穴だらけにされてしまう。

 ルシルは魔物討伐以上に、背後うしろを守らねばならないのだ。


 水面を鳴らして走るルシルを獲物と見なしたのか、凶弾魚ダーツフィッシュが自らを矢玉に殺到する。

 空をはしる大群は万軍の飽和攻撃にも等しい。

 しかしそれらを見ても対峙・接近するルシルは慌てない。

 剣や手足だけでなく、柔らかく引っ掛かりやすい布地で覆われた胴ですらも、凶弾魚ダーツフィッシュの体当たりをいなす・・・

 一体たりともルシルに傷をつけることすらできず、触れるだけで射角を変えられ飛んでいく。

 ましてや背後で身を縮めるクラリスになど届きようがない。


 いいや、割を食うモノは間違いなく居る。

 ぷかりと海面に浮かぶ飛水鳥ヒスイドリをはじめとした他の魔物である。

 貫通力の高さを買って、自身の遠距離攻撃に利用する……かつてルシルがオーランドの近衛兵たちに披露した絶技だ。

 魔術ですらも逸らしてしまうルシルからすれば、跳ねてしまえば変化もできない体当たりでは、キャッチボールよりも優しい。

 ちなみに初めて目の当たりにするクラリスには、殺到する凶弾魚ダーツフィッシュの群れが、ルシルの周囲にばらまかれているくらいしかわからない。


 ルシルが耐えた……いや、攻撃に使った凶弾魚ダーツフィッシュの凶悪さも、水中でこそ発揮する。

 また、普段であれば大群の突進力で水中に引きずり込むためどうにでもなるが、ルシルは一体につき最大でも数匹になるようにいなしていた。

 つまりは深く刺さり、絶命させた水上に浮かぶ飛水鳥ヒスイドリの身からは、どうやっても逃れられない。

 早晩窒息によって全滅する。


 そうした死の暴風とでも呼べる大群を一蹴するも、未だ数の暴力は健在だ。

 もう少しこのまま掃討戦を続けたいが、どうにもそうはいかないらしい。

 海面に浮かぶ魔物に蹴り混じりの着地を決めたルシルの目に、もっと優先度の高い相手が留まる。

 怨嗟に満ちた悲鳴へんじを上げる魔物に、突き立っていた凶弾魚ダーツフィッシュを踏み入れて黙らせぼやく。


「……モーラか。また珍しいもんが顔を出したな」


 戦いはまだ始まったばかりだった。

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