086ドル箱航路の封鎖

「シエル、航路を封鎖だ」


 唐突に海に顔を向けたルシルが、シエルに向けて『命令』を下す。

 すでに確立し、多大な収益を上げている航路である。

 それを封鎖などすれば……どれだけの損害が出るか考えただけで恐ろしい。

 傍で聞いていたクラリスは、国益を抜きにしても寒気を感じるような事態だ。

 しかし――


「期間はいかがいたしましょう」


 何故とも問わず、シエルは応じる。

 周囲のブレーンたちに比べれば劣るルシルの頭も、世間一般から見れば十分に聡い。

 わざわざ理由もなく、ましてや周囲に被害を出すことも承知している。

 それでも封鎖せざるを得ない何かがあるのであれば、優先すべきは理由ではないだろう。


「とりあえず一週間。海に出てる船は近い方の港にすぐに戻るよう手配を頼む」


「承知しました」


 先日の化け物イカクラーケンのバーベキューから数日後。

 ようやくクラリスもメルヴィに慣れ始めたばかりの頃合いだった。

 急に慌ただしさを増した二人の動きに、クラリスはソワソワと居心地の悪さを感じる。


「ミルム、今日の山菜取りは海産物に切り替えだ」


化け物イカクラーケンはまだ余っておるぞ。これ以上取っても仕方なかろう?」


「アレはもう加工場行きが確定してて島外に出荷予定だよ」


「何じゃと!? おのれシエルめっ! わっちを差し置いて勝手に決めおって!」


「どんだけ大食漢でも化け物イカクラーケン丸ごとなんか食いきれるかよ。

 保存するにも限界はあるし、同じ味ばっかじゃ飽きるだろ。他のを食えよ」


「むぅ……仕方あるまい。わっちはルシルに飼われておる身だしの」


「あの、その言い方そろそろやめてもらえませんかね……」


 てきぱきとミルムの支度をしていたルシルは手を止めて、まなじりを下げて嘆く。

 何というか、今までの緊迫した空気が台無しだった。


 ・

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 メルヴィは人工物の極端に少ない島だ。

 豊かな自然はルシルに癒しと作り手の楽しみを与えくれる。

 それに海にぽっかりと浮かぶこの島は、船がなければ辿り着けない。

 つまり何をするにも容量や重量の制限が重くのし掛かるのだ。

 陸地を隔てる海や川というのは、存在するだけで非常に強固な防衛設備と言えるだろう。


 そして勇者が守護する世界でも有数の安全な場所でもあった。

 未開の地だけあって、陸海空問わずそれなりに出現する魔物も、ルシル一人が居れば十分だ。

 最近でも化け物イカクラーケンをルシル自ら水揚げしたり、とその防衛力は盤石である。

 が、身支度を済ませ居住区から貿易に使っている島に移動したルシルたちが見たものは――


「こ、これは大氾濫スタンピード……?」


 緩い弧を描くはずの水平線がデコボコと歪んでいる光景を目にしたクラリスが、えずくように零した言葉である。

 その歪みは、陽光にきらめく海面の合間から、飛び跳ねる魔物たちのせいだ。

 しかも簡単に数えられる程度ではない。


「さてな。周辺国でも魔物の襲撃が多くなってるんだろ?」


 準備運動のつもりか、ルシルは身体を沈めて足腰をぐっぐと伸ばす。

 腰に佩いているのは切り拓くために普段使っている鉈ではない。

 敵を切り裂くための剣をしっかりと携えている。

 しかし装いはいつもと変わらない、防御力皆無の普段着のままだ。

 あれだけの魔物を相手にする気だとは到底思えない。


「ですが海でこんなことが……!」


「たしかに種族をまたいで群れを成すことは陸でもあまり聞かない話だ。

 でもまぁ、縄張り争いなんかで環境が変わることもあるさ。

 竜種に追い立てられたら我先に逃げ惑うのは陸も海も空も変わらない。人でも領土を求めて争ってるだろ?」


「しかしあんなもの――」


 多くの外敵を阻むメルヴィの自然の防壁うみも、相手が『海魔しぜん』であれば意味を成さない。

 魔物の中でも海に属するモノは浮力によって重量の制限が弱く、化け物イカクラーケンのように陸に比べて巨大化しやすい。

 そればかりか人の手の及ばない深海にはまだ見ぬ特殊性を持つ魔物も潜んでいるだろう。

 クラリスが『対応のしようがない』との言葉を飲み込んだのは、そんな難敵が万国旗のように押し寄せる絶望的な状況だからだ。


「あぁ、運がいいのは・・・・・・『俺が居ること』だな」


 だというのに、ルシルは口の端を上げて軽い調子でクラリスの後に続いて笑う。

 あの絶望的な光景を前に、勇者かれは平然と語るのだ。

 その言葉にクラリスは、化け物イカクラーケンの時と同じように瞠目させられる。

 そんな素人・・のやりとりに参加していなかったシエルは、「数が多いので陸に上げないでくださいね」と注文を付ける。

 もとよりそのつもりだったルシルは、大袈裟に肩を竦める。


「海で迎え撃てってか」


「海上の方が周囲を気にして手加減しなくていいでしょう?」


「なかなか無茶を言ってくれるぜ」


私の・・勇者ルシル様は世界一ですからね」


「ハイハイ、承知しましたよ」


「ふふっ。よろしくお願いします。あ、素材は・・・あそこですよ」


 と、海流が遅くなる諸島の凪いだ内海を指差す。

 あそこなら一時保管の場所にするには最適だろう。

 血の匂いでむせ返らないかだけが心配である。

 シエルの無茶な注文にも、ルシルは苦笑するだけ。


「解体はミルム、指示はシエルがしろ」


「わっちの出番か!」「承知しました」


「俺の討ち漏らしはクラリスに任せる」


「は、はいっ! 命に代えても!」


 ビシッ、と背筋を正すクラリスに、半眼になったルシルはザクザクと砂を踏みしめて彼女の前に立つ。

 いつの間にか額にルシルの二本の指先が添えられ、ついっ、と額を突いてきびすを返す。


「勝手に命を使うな。俺のために生きていろ。

 無理だと思ったらシエルのところまでさっさと退けばいい」


 ルシルの言葉に呆けるクラリスは、押された分だけバランスを崩して尻もちをつく。

 一部始終を見ていたシエルは、あからさまに『ああ、またか』と内心で溜息を吐く。

 放心するクラリスの肩を叩いて正気を取り戻させたシエルは、


「他意はありません。額面通りに受け取ってください」


 と忠告した。

 きっと彼女は『誤解だ』と気付いている・・・・・・

 けれど、この絶望的な場面で、あんな勘違いしてしまう言葉をもらえば?

 相変わらずややこしい物言いをするものだと呆れ、シエルはミルムを伴い目的地に歩き出した。

 そう、勇者は『他人の命と幸せ』を大切に思っているだけなのだから。

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