084正装の行方

「支給品の外交服ぐんぷくを汚した?」


 力ずくで化け物イカクラーケンを海から引き揚げたルシルの第一声である。

 ちなみにミルムは彼の指示で、重く分厚い身を右往左往しながら必死に小分けしている。

 いかな海魔と名高い化け物イカクラーケンと言えども、死んでしまえばただの海産物イカ

 鮮度が命であることは変わりなく、処理が早いほどに美味いのだ。

 ちなみに化け物イカクラーケンは、腐らないように寝かせられれば、熟成期間が延びるほど美味くなるらしい。

 ともあれ、食欲の権化のミルムに伝えれば、労働の甲斐も出てくるだろう。


「服なんて身体を守って汚れるためにあるんだろ?

 それに洗えば――って、シミもそうだが臭いが結構残りそうだな」


「この場合は『支給品』というところが問題なんです。

 要は代替できない正装なので、外交の場では着なくてはいけません。

 だからと言って外交会談で生臭いなんて言語道断。だから彼女がこんなに困っているわけですね」


「そうなのです!」


「正装、ねぇ? メルヴィうちに不要なもの筆頭だから気にすんなよ」


「クラリスは仮にも外交官ですから、メルヴィ以外の場では必須になるのでは?」


「こっちが出向くならともかく、来客の相手なら普段着で良いだろ。

 メルヴィに住みたいって来たんだし、クラリスも普段着くらいは持って来てるだろ?」


「あ、はいっ! あります!」


「なら汚していい服ができたってことで、お前もミルムの手伝いだ。

 素材に使う核やらクチバシやらの掃除は後でもいいが、食材だけはだめだ。

 アレは命と味にかかわる。何よりミルムの機嫌を損ねると非常にめんどくさい」


 放心していてもいいことはないし、行動すれば気分も上がる。

 一人でわいわいしているミルムを指差し、クラリスに次の行動を促してやった。

 これで少しはこの地に馴染むことだろう。


「では外交服は『汚してしまったので返却します』と添えてアトラスに送り返しておきましょう」


 ぴっと指を立てるシエルは、どうやら何か名案を思い付いたらしい。

 実際この自然豊かな場所では洗いきれるかはかなり怪しい。

 それに一度ついた臭いは取れにくく、強力な魔物であるほどその『死臭』は他の魔物を引き寄せる。

 誰にとっても上位の魔物が美味いのは当然として、一度食せば強くなるための血肉になってくれるからだ。

 であれば、シエルの言う通り送り返せば――


「きっと工作が裏目に出て『クラリスを取り込まれた』って勘違いしてくれますよ」


「なるほどそりゃい――くねぇ!? どういう意味だよ!」


「そのままの意味ですが?」


 ルシルの叫びにシエルが小首をかしげて答える。

 いちいちあざと可愛さを強調してくるシエルに、ルシルは少しばかり呆れが入る。

 ちなみに状況についていけないクラリスは、立ち上がろうと動き出したままの中腰で硬直していた。

 ルシルは『こいつ意外に筋肉質なんだな』と別の感想を持つに留め、ミルムの方へ視線を向ける。

 暗に『あとはこっちで考えておく』とクラリスに訴え、ルシルは彼女の次の言葉を待った。


「アトラスがルシル様に取り入るためにクラリスを寄越したことはお話しましたね?」


「耳の痛い話だよ」


「そしてその策は残念ながら成功してしまいました。

 博愛主義も行きすぎると、八方美人と言って問題になるって誰も教えてくれなかったようで悲しいです」


「ちょっと、とても棘のある言葉が混じってません!?」


「単に難しい話だっただけで気のせいですよ」


「わぁお、ナチュラルに馬鹿にしてくるっ!」


「それで本人が帰還することもなく『外交服を汚されて・・・・、しかも返却される・・・・・』わけです。

 するとアトラスでは不思議なことに、クラリスが『国の方針に従えない』って暗喩に感じませんか?」


「感じないけど?! 単なるトラブルですけど!?」


「それがアトラスに攻め入り、航路を確立した相手であれば?」


「攻め入ってもないし、航路はシエルだろ!?」


「そんないろいろを何とかするためにクラリスを送ったのに、逆に『取り込まれた』と考えたりは――」


「しないだろ!? え、しないよな……?」


「しっかり不安になってるじゃないですか」


 ルシルの反応にシエルは肩を竦めてしまう。

 かなりのこじつけ感のある話だが、全否定するのも難しい。

 むしろルシルとオーランドとアトラスでの関係性を思えば、十分考えられる筋書きだった。

 ファーストコンタクトからこれまで、誤解が誤解を生み続けているので、訂正が非常にややこしい。


「ちなみに。理由付けをしっかりするほど『言い訳っぽくなる』のが最大の問題です」


「うぇっ?!」


「やはり『話せばわかる』なんて考えていましたか。甘いですよ。

 ルシル様とアトラスの間に友好関係なんて築けていません。

 無駄に裏の意図を感じたり、よくわからない好意的解釈されてこじれるだけですよ」


「ならもう諦めて処分しちまうか」


 送り返すことにばかり目を向けていたルシルは、ふとそんなことを口にした。

 するとシエルは「っち、気付かれましたか」とぼそりと囁くのが聞こえる。


「ちょっとシエルさん? 今舌打ち聞こえたんだけど?」


「気のせいだと思いますよ。それも一つの手ですね」


 ふいっとそっぽを向いて答える。

 その様子に会心の案を確信するルシルに、シエルは即座に冷や水を浴びせる。


「けど残念ながら支給品として渡されている以上、今度は『使わない理由』が必要です。

 後付けで『汚したから着れません。捨てました』なんてバレたら余計にこじれそうでしょう?」


「……『交換してくれ』ってのは?」


「クラリスには外交服なんていりませんけど、今回は仕方なさそうですよね。

 しかし汚す度に交換するのは時間も手間も掛かります。こっちで勝手に作るのは偽造になりますね。困りました。

 それにサイズの変化も考慮しなくてはいけません。クラリスも不慣れな環境ですからね。

 ただ、採寸に人を寄越されても鬱陶しいし、ある程度のサイズ幅を持たせて、予備を含めて何着か請求しておきましょう」


 意見を挟ませないよう、シエルが捲し立てる。

 ルシルが仰け反り「いや、いらないって話をだな……」と苦しい返事。


「わかっていますよ。

 こちらは捨てていても、相手側は支給しています。

 となれば外交服が『手元にあるのに使わない』ってなるとどう見えます?」


「……外交、ではない・・・・?」


「世の中って本当に面倒な物ですよね。

 しかし大丈夫です。あったらあったで使用する機会は出てきますから」


「……お前の場合は『作る』って聞こえるな」


「備えあれば憂いなしですね」


「絶対に使い方間違ってる」


 きっとこの会話は溜息を吐くルシルの理解と言質を取るためのプロセスだったのだろう。

 一体どの場面でクラリスの外交服を使われるのか、考えただけで憂鬱である。

 そしてきっとそれは巡り巡って自分ルシルのためなのだろうな、と遠い目をしていた。

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