083世話焼きの性

「あぁ! こんなことって!

 どれほどの犠牲を覚悟しなくてはいけないことかっ――!!」


 眼前で起きたあまりにも鮮やかすぎた情景を思い返して叫ぶ。

 まな板に乗るほどのサイズで行う解体と同じことを……。

 数十、いや。数百倍サイズの化け物イカクラーケンで実演して見せたのだ。

 言葉だけでは伝えきれない驚愕を、身振り手振りで表現して悶えても不思議ではないかもしれない。


「……なぁ、なんであんなことなってんだ?」


 とは、仔竜の頭ほどの黒光りするクチバシと、それに連なるルビーのような核を肩に担いで戻ったルシルの言葉だ。

 普段は軍人らしくクールビューティな見た目のクラリスだが、あまりの変貌ぶりに明らかに引いている。

 実際の彼女は冷静ではあるものの、おっちょこちょいで状況に流されやすいタイプでもあるのだが。


「ルシル様の活躍が常軌を逸してるからですよ」


「そうか? たかだかでかいイカを解体しただけだろ」


「普通のイカなら料理人でもできますけどね。

 化け物イカクラーケン相手に討伐をすっ飛ばして解体できる人なんかいませんよ」


 このメルヴィでは事情や素性を知る者か、尺度のわからないミルムしか居ない。

 ある意味でクラリスの反応は当然で、かつ新鮮なのである。

 それにルシルの戦う姿を見れるのは、拠点を持つ野盗や山賊などの対人がほとんどだ。

 これではどれだけ隔絶した差があろうとも、そうそう人の枠から逸脱する評価にはならないだろう。

 逆にこうした遭遇戦や討伐では、ルシルについて来れる者が限られ、素材だけが持ち帰られている。

 ルシル以外であれば偽装を疑われるくらいだ。


「呆けているクラリスなどどうでもよかろう! その黒いのは何じゃ!」


「こいつは『くちばし』って部位だな。

 普通のイカなら珍味になるが、化け物イカこいつだと食材より素材になるんじゃないか?」


「なんだ食えぬのか。後生大事に持ち帰ったくせにつまらんのぉ」


「ひでえ! 綺麗に切り分けるのって意外に難しいんだぞ!?」


「討伐自体が難しいですからね。

 ところで化け物イカクラーケンの食べるところ流されてません?」


 ルシルが素材を置けるように、シエルは大きな布を二枚取り出した。

 砂地に広げ、海辺に浮かぶ化け物イカクラーケンの杯の部分の様子をルシルに伝える。

 よくよく見れば、食材と化した化け物イカクラーケンに小魚を始め群がり始めている様子。

 何とも動きが早い。慌てて振り返るルシルは「うわっ、マジだ!」と走り出す。

 その背をミルムが追って海辺へ向かう。


「こらルシル! 食べ物を粗末に扱ってはいけないのだぞ!!」


「嘘だろ、まさかここで使う言葉かよ!?」


 変わり身についていけていないクラリスは「る、ルシル様?!」と戸惑うばかり。

 一緒に置き去りにされたシエルは、


「クラリス、メルヴィうちはいつもこんな感じです。早く慣れてくださいね」


 と忠告した。

 きょとんとするクラリスに、シエルはクチバシと核の繋がり部分を指差し「そこ切ってください」と指示を伝えた。

 軍人で帯剣しているとはいえ、彼女はどちらかと言えば指揮官……文官タイプ。

 慌てる姿を見かねたシエルは、クラリスの腰の剣を勝手に抜いて真ん中で切り分けた。


「自給自足が基本ですからね。魚から肉まで『生もの』に慣れないと大変ですよ?」


「は、はい……一応野営キャンプの経験もありますから」


「それならいいんですけど。それじゃ素材の切り出しお願いしますね」


「はいっ! ……はい?」


 軍人らしく元気な返事をしたクラリスは、ふと疑問に感じて素材を見下ろす。

 ルシルの手によって既に切り出され、シエルが分断した素材が二つ。

 これをどうすればシエルが望む形になるのだろうか――。


 慌てて顔を上げたクラリスだが、シエルは二人に合流するために海岸へと歩いて行ってしまっていた。

 触腕やゲソ、杯など処理する部位はまだまだあるのだ。

 これはまずい、とクラリスは核とクチバシを慌てて布に包み、シエルを追って走り出す。

 現場の状況について行かなくてはいけない軍人は行動あるのみである。


「シエル様! これどうしたら!」


「素材を傷つけないように、くっついてる肉とか筋とか剥がして――え?」


「なるほど! 『切り分ける』とはそういう意味だったのですね」


「く、クラリス。楽しそうなところ悪いのですが……」


「はい、何でしょう?」


「……着替えってありますよね?」


「え? えぇ、私服であれば……急にどうされたんです?」


核やクチバシそんなものを抱えたら服が……」


 目の前でさばかれた、鮮度抜群の化け物イカクラーケンである。

 大きくてかさばる上に、かなりの重量を誇る素材を背負い、小脇に抱えて走って来た。

 華奢な見た目に反して膂力は強いらしく、彼女はたしかに軍人なのだろう。


 しかしそんな重量物を包むのは防水性などついていないただの布である。

 つまりは布地を透かしてじわりと服に侵食……する感触をクラリスは味わう。

 それと同時に肩と背中に感じる重みは信頼と同義だ。

 大切な素材を投げ捨てるわけにもいかず、一瞬硬直したクラリスは「シエル様ぁ」と砂浜にへたり込んでしまった。

 まったく、これでどうして野営キャンプができるというのだろうか、とシエルは軽く頭を振る。

 どうやら彼女が面倒を見る相手が増えたようである。

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