081訪問の真意

 霧に覆われた謎の海域の面影はとうになく。

 航路を拓いて定期便まで用意されたメルヴィ諸島は発展の一途をたどっている。

 しかし、所有者のワガママから、それらの恩恵がほとんど受けられないような暮らしをしていた。


 たとえば肉や魚。

 ルシルの手により、島に生息する獣や魔物が狩られて食卓に上る。

 果実や野菜は、散策すれば手つかずの自然が提供してくれる。

 そちらはもっぱらミルムの仕事となっていた。


 対して米・麦・芋などの主食や、調味料・香辛料、乳製品などは輸入に頼る。

 担当は言うまでもなくシエルだ。

 ルシルとしては、農業にも手を出したい野望はあるが、知識や技術の面から実現は程遠い。

 また、嗜好品の類も彼女の権限で持ち込んでいた。


 養う人員がたった三人ということもあり、仮にも自給自足が成立している状況だ。

 ちなみに船員や師匠といった来客は、定期船に積まれた物資の使用を許可が下りている。

 もちろん、仕事の経費で免除されている渡航費とは別に請求され、何ならきっちり運送料も乗せられているため、馬鹿にならない価格差だ。

 とはいえ、出先で得られる数少ない楽しみを惜しむ者は少なく、それなりの売り上げを確保している。

 そんな身内にもしっかり商売する、聡いシエルからのありがたい金言は、ご利用は計画的にとのことだった。


 そしてこのほど、本人の強い希望により、クラリスが四人目の自給自足者に名乗りを上げた。

 呑気なルシルやミリムは共に「屋根くらいしかないぞ?」との警告一つで了承。

 共同生活最後の一人、シエルにクラリスの期待が乗った視線が向けられる。

 それを彼女は最大限オブラートに包んだ笑顔で「嫌です」とにこやかに拒否……いや、拒絶・・した。


「え……」


「い、いやって……お前……もうちょっと言いようがあるだろ? な?」


「ふぅ。これでも頑張ったんですよ?」


「どこがだよ! クラリスなんて絶句して震えてるだろ。お前どんだけ圧掛けてんだよ!」


 まさか眼光に意思が乗るとは。

 死の恐怖に竦まないように訓練したはずが、威圧に利用されるなど想定していない。

 総合力では圧倒的に劣るルシルは、使い道が違うんだよ、と今更ながらシエルの才媛さに後悔し始める。


「……え、もしかして力づくで送り返す発想とかあったりする?」


「状況がわからないままなら対策も言い訳もできない、と。いい方法ですね」


「『いい方法ですね』じゃねぇよ。

 まあ、人が増えるだけ安全性は下がるのは事実だ。俺が守れる範囲は知れてるからな」


 たとえばミルムが好き勝手に浅い野山に分け入れるのは、ルシルが影ながら見守っているからだ。

 すでにルシルが本島の生態系を把握していて、シャークボルト、カラドリウスのような危険生物が居ないことがわかっている。

 また、今となってはミルムも随分と逞しくなり、出てきたとしても逃げるくらいは何とかなるだろう。

 少なくともいきなり命の危機に陥ることは激減していた。


 それにシエルは元々手が掛からないし、何なら彼女はここでも仕事を抱えている。

 自炊要員にあと一人くらい大丈夫か、と考えたのだが、対象者が増えるればルシルの負担も当然大きくなる。

 さすがに軽く受け入れたのはまずかったかな、とルシルは頬を掻いていると――


「クラリス様に不満があるわけでは……いや、そんなことなかったです」


「シエル、オブラートが破れてるぞ!」


「冗談はさておき。彼女の受け入れは『クラリス様による篭絡・懐柔』といった国の思惑が透けて見えます」


 ルシルはすいっと視線を向けて「そうなのか?」とクラリスに問う。

 まさかの質問に面喰うが、虚実のどちらでも彼女が頷くことはないだろう。

 ジリッとした空気の中、ルシルが「違うみたいだぞ」と視線を外す。


「ルシル様ならそういうと思いましたよ」


 ふぅ、とシエルは息を吐く。

 結局彼女はルシルの意思を優先してしまう。

 対するルシルは悪いと知りながらも、シエルに甘えてしまう。

 彼女であれば、ルシルが『踏み外す』ことなら、全力で止めてくれると信じているから。


「んー……結論は後回しだな。

 ちいっと魔物が来てるっぽいから狩ってくるわ」


「今日はどっちに行くのだ?」


「砂浜。先に行ってるからミルムは後で水掛けてくれ」


「心得た! 美味い物を狩ってくるんだぞ!」


「そればかりは相手次第だなぁ。

 しっかし食材自ら駆けつけるとか、この島は本当に自然の恵みに溢れてるよな」


 先ほどまでの重い空気など忘れたかのように、手を振ってルシルは意気揚々に出掛けて行った。

 その背中を見送るシエルは、ふぅ、ともう一つ息を吐き手早く身支度を整える。

 大人のめんどくさい話にプラプラしていたミルムもてきぱきと片付けに動き出した。

 呆気にとられるのは未だなじみの薄いクラリスのみ。


「何をしておるのじゃクラリス! ルシルに先に食われてしまうぞ!」


クラリス・・・・、早く行きますよ。ルシル様が待っています」


 さらりと呼び捨てに変わる。

 シエルが唯一格上に置くルシル。彼の保護対象のミルム。その他は基本的にお客様だ。

 しかし共同生活の仲間・・であれば――?

 彼女が『対等』に置いた相手に付ける呼称はない・・


「は、はいっ!」


「上陸してくるような海獣相手に『自然の恵み』ってルシル様らしいですよね」


 シエルはくすりと笑い、クラリスを連れ立つ。

 まぁ、彼女は部下や格下にも様付けはしないのだが。

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