076処遇の代案

 アトラスで軟禁状態のポターニンの運命は、彼の預かり知らぬところで決まってしまった。

 そう、シュエールでの諜報活動スパイを名目に、アッシュの手駒になることだ。

 アッシュならば下剋上をものともせずにポターニンを上手く転がすだろう。


 思わぬ人材カードの確保にホクホク顔で帰国していったアッシュの船を見送る。

 きっと国内外で『アトラス』の名を使い倒されることだろう。

 今ルシルにできることは軟禁状態よりもマシだと信じる他にはない。


 同じく、クラリスの軍船も軍と国への報告に一時帰港すると出発していった。

 メルヴィの決定を伝え、ポターニンに選択肢のない決定を促す予定である。

 しかし窮屈とはいえ、衣食住が揃っている軟禁状態というのも悪くない。

 ポターニンが縦に首を振らない可能性を考慮して、報告は彼の判断を経てからとの取り決めだった。


 賑やかだった二隻の船が離れていく姿を見送る。

 横に並ぶシエルが「まったく」と溜息を吐く声が聞こえて来た。

 これはきっとお小言だろう。


「ルシル様は甘すぎますよ」


「状況によって人は優しくも残酷にもなれるって知ってるだけさ。そう言うなよ」


「いいですか。マティアス様がやったのは恩の押し売りです。

 放っておいてもポターニンを悪いようには扱えませんよ。処分はこちら持ちなのですから」


「え、どういうこと?」


「ルシル様が『処分保留』ってことで突き返せばいいのです」


「……つまり?」


「処分の権利を使用しないまま『軟禁状態を維持しろ』っていう命令・・ですね。

 しかもこの案の利点は、後々手札カードが必要になった時にいつでも召喚できることです。

 わざわざ他に持ち出してリスクを負うより、使うまで国に飼わせた方がメリットは大きくなります」


「飼わせるって……」


 人を数と見なす、商会長の意見にルシルは言い淀む。

 シエルが口にしたように『処分保留中』のポターニンが死ぬことは許されない。

 本人には長期の精神的苦痛を与えられる上、管理者には健康面を含め細心の注意が必要なのだ。

 ある意味もっともコストが高く、嫌がらせ効果の高いクリティカルな解決策なのだろう。


 しかしシエルはそのことを最後まで口にしなかった。ルシルの心を慮ったからである。

 また、今になって告げたのは『次からはそうする』との宣言とも言える。

 もちろん、『次』なんてそうそう起きることがないのも、シエル自身わかっている。

 実に頭がいいヤツだなとルシルは内心で唸っていると、矛先ががらりと変わった。


「それにクラリス様にもですよ」


「え、今度はそっち?」


「彼女の境遇はあくまで軍部の『外交』です。

 ルシル様が手を差し伸べるなら、彼女をダシに何か画策してきてもおかしくはありません。

 特に今後は何かしらの失態があれば、彼女を通じて報告させて手心を期待する可能性は非常に高いですね」


「顔見知りにブチ切れるのは確かになぁ」


「情に厚く対応しすぎると心労で潰されますよ」


「つらく当たれ、って?」


「本人にではなく、クラリス様を通じて上に・・、ですが。

 そういう意味ではマティアス様の案はとても面白いものですよね」


「今の流れだと激甘って怒られるかと思ったわ」


「ふふ、それもいいんですけれどね」


 水平線に消えゆく船から視線を戻し、シエルはルシルを見て笑う。

 彼女が望むのは英雄ルシルの平穏だ。そして勇者ルシルが望むのは世界の平穏である。

 規模感の差に寂しさを感じるが、だからこそ勇者ルシルであるとも言える。


「これでマティアス様は、鎖国状態にあるはずのシュエールにおいて、二国の外交を成立させました」


「――は?」


「大国オーランドとメルヴィ、それにアトラスです。

 しかもアトラスに関してはルシル様の管轄外。要は何を仕掛けてもいいわけです」


「いや、全然よくないんだがっ!?」


「さらに幸運なことに、目の届く範囲に諜報員スパイを配置できました。

 つまりこれからアトラスが受ける報告は、すべて『マティアス様が選んだ情報』だけになります」


「そりゃ……ヤバいな?」


「えぇ、とても。ルシル様に分かりやすく伝えるなら……そうですね。

 『北の砦を攻めるぞ』と報告を受けたのに、首都に大軍が押し寄せるような作戦が簡単にできます。

 偽情報の流布は、大局を動かす政治に置いて計り知れない優位性を発揮するでしょう。

 たとえのような大嘘は一度だけの切り札ですが、逆に疑心暗鬼に陥らせられます。

 流す情報は『嘘』だけに留まらず、『真実』であってもマティアス様の神算鬼謀はメリットを引き出すはずですよ」


「……実はあいつが一番ヤバい奴なのでは?」


「かもしれませんね。もしも今後私たちが世界から排斥されたら、あの人を疑った方が賢明ですよ」


「中に入り込もうとしている節があるのはそのためか」


「それでもマティアス様の目線は国家的なものです。

 放っておけば100年後には死んでるようなルシル様こじんを相手に、無用なリスクを負う必要はありませんからね」


「なんとも壮大な話だな。ところでシエルはポターニンが欲しかったのか?」


 ルシルは本当にふとした疑問だったが、シエルは冷笑を浮かべていた。

 これから聞かされるのは、きっとよくないことだろうと覚悟して。


「仮にも軍船を任される指揮官でしたから、情報は随分と持ってるでしょうね。

 たとえば取引業者の一覧でも手に入れば、アトラスの地に粛清の風が吹きそうですよ?」


「そんな天気予報みたいに……」


「多かれ少なかれ。人が集まれば『ルールの適用外ふせい』は発生します。

 ルール自体の不備もありますが、人は『楽』に流される生き物ですから。

 たとえ勇者の商会バベルにおいてもゼロとまでは言い切れません。

 それらの被害が外に出る前に発見・対処するのが肝要です。

 ですが、軍や国と繋がりを持つ組織となると、自浄作用は恐ろしく働きづらくなります」


「そうなのか?」


「ルールを敷く側が味方に居るんですよ?

 黙認や隠蔽の加担だけでなく、そもそも法の適用対象外なんて設けていても不思議ではありません」


「なかなか腐ってんなぁ」


「必要悪な部分もありますから一概に非難もできませんけれどね。

 ともあれ、逆に考えれば『保護』されている分、脇が甘いんですよ。

 裏帳簿どころか表の帳簿上に明らかな不正の記述があってもおかしくありませんし」


「で、ベルンみたいなことになるわけだな……」


「ルシル様を利用しようとする相手に容赦はいりません」


 ぎゅむ、と拳を握り込む。

 いつもの暴走気味のシエルは、世間知らずのルシルには相変わらず頼もしい。

 ただ、もう少し手加減というか、手心というか。

 そういう『処世術』を学んで欲しいと、ルシルは切に願うのだった。

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