073副官の訪問

 交戦の意思がないからか、それとも航行不能にでも陥ったのか。

 件の軍船は連絡旗を揺らして沖合に停船した。

 きっとそこから小舟でも出して上陸するのだろう。


「ま、旗出されても誰も読めないんだけどな」


 そんなルシルの言葉通り、旗を読める者がこの場には一人も居ない。

 ミルムは当然のことながら、ルシルはケルヴィンが考えていたように猪武者。

 シエルは利益に目敏い商人であり、アッシュにしても内輪揉めが上手いだけ。

 それぞれ突出すべきことはあっても、船に関してはド素人である。


 ちなみにこの地に防衛設備はない。

 ルシル一人が居れば戦力的に十分だからだ。

 また、元々人を呼び込む想定をしていないので、入国管理的な手続きや関所も存在しない。

 今後のことを考えると、灯台や管理者の常駐は必須かもしれない。

 いや、アッシュが侵入している事実から、今すぐにでも対応が必要だとシエルは密かに心のメモに追記した。


 それにしても。

 元々影響力があるのである程度は仕方がないが、ルシルの平穏が脅かされている状況に危機を感じる。

 いっそのこと海上封鎖も……などとシエルが暗い笑みを浮かべていたりすることを誰も知らない。


 ともあれ。近海を軍船にうろつかれるのは心理的によくない。

 何かあればアッシュの船員が呼びに来るだろうが……とルシルは海岸へと歩き始めた。

 その後ろをシエルだけでなくアッシュも追い掛けていく。


 ・

 ・

 ・


「お久しぶりです。ルシル様。先日はポターニンが大変失礼しました」


 島の船着き場に上陸したのは、アトラスの海軍と初対面した際の副官。

 そう、進軍してきたポターニンのお目付け役の女性だ。

 確か名前は――


「副官のクラリス=マルモルだったか。こちらこそミルムが世話になったよ」


「勇者様に名前を憶えていただけるなんて嬉しいですね」


 厚手の軍服を凛々しく着こなす女性士官とルシルが握手を交わす。

 まさしく外交の場ではあるが、どうにもラフすぎる格好のルシルは、町のチンピラに見えてしまう。

 この島に気にする者は居ないのだが、アッシュはポーカーフェイスの下で『不正の現場』などとタイトルを付けて爆笑していた。

 世界で最も功績を上げた勇者に対して失礼にもほどがある。


「それで本日はどうされたのです? 特に何も伺っておりませんが」


「貴方は……」


「この海域を取り仕切る、バベル商会のシエル=シャローです」


「なるほど。それはご挨拶が遅れました」


 差し出したクラリスの手を握り、挨拶もそこそこに「要件を訊いているのですよ」と問いただす。

 背景を探るシエルにしては珍しく性急な対応である。


「なぁ、アッシュ。何か当り強くね?」


「そりゃぁ大事な勇者様が名前まで憶えてた女の子なら警戒もするさ」


「えぇ……この新たな出会いが絶無なところで?」


「まぁ、彼女が追いつくよりも前に出逢ってるわけだしさ」


「タイミングの問題か。なるほど」


「違うと思うけどなぁ」


「ちょっとそこうるさいですよ」


 シエルは、ルシルと顔を寄せて内緒話をしていたアッシュの顔をむぎゅっと押しのける。

 嫉妬がゼロとは言わないが、人のいいルシルの露払いはシエルの仕事の一つなのだ。

 この世には騙そうとする者が多すぎる。

 それが個人の暴走とはいえ、侵略行為を働いたアトラスとなれば対応が厳しくなるのも仕方がない。


 対するクラリスは、音に聞く偉業から想像していた人物像との乖離に困惑してしまう。

 もっとこう『巨大商会を運営するシエル=シャロー』という屈強な女傑をイメージしていたのだ。

 突出した功績を持つ『歴史上の偉人』であっても、当人は意外にも普通なのかもしれない。


「この度、このクラリスがメルヴィ諸島との外交官に任命されたのでご挨拶に伺いました」


「へぇ、そりゃまた……」


「随分と出世されましたね」


「出世? ただの配置換えじゃなくて?」


「ただの外交官ならわざわざ相手に警戒される『軍船』なんて使いませんよ」


「そりゃそうか。え、なら指揮官になったわけか」


「前回の件でポターニンが更迭され、空席を私が埋めることになったのです」


「なるほどな。あんな上司だとお前も面倒だっただろう?」


「ははは、その質問への返答はご容赦を。

 ただ……上司も部下もお互いに相手を選べませんから、とだけ」


「たしかに。俺もシエルには苦労ばかり掛けてるからな」


 クラリスは繰り上がり人事だと口にするが、現実はそこまで甘くない。

 いくら若くして副官を担うほど実力が高かろうとも、目立つ功績がなければ引き上げられる道理はない。

 むしろ官位を欲しがる者は多く、足の引っ張り合いは日常だ。

 順番待ちの状況にも関わらず、特使に任命されたのは、ルシルが国王に『優秀だ』と口にしたからだろう。

 シエルはこの短いやり取りでそうしたアトラス側の対応を正確に読み切っていた。


「友好的なのは結構ですが、私としてはやはり『軍船』は気になりますね」


「すみません。その辺は少しややこしいのですが、私が軍籍にあるからです」


 クラリスは申し訳なさそうに眉尻を下げて笑った。

 ルシルが「どういうことだ?」と問えば、クラリスは意気消沈して話を進めた。


「お恥ずかしい話ですが、本来なら軍籍にある者を外交官に任命することはありません。

 下手をすると敵対行為とみなされませんから。

 しかし、先日の一件で奇しくも面識ができましたので、籍を置いたまま私が対応することになりました」


「なんだ厄介払いか?」


「でしょうね」


「ち、違いますよっ!」


「もしかしてそれで『軍船』なのですか?」


「……はい。現在外洋に出れて使用可能なのが旧ポターニン隊が所有していた軍船だけでした」


「なるほど。わざわざ新造するわけにもいかないだろうしな」


「軍部の尻拭いなんて誰もしたくありませんよ。

 むしろ軍部の上官がメンツ惜しさに頭を下げない結果と考える方が妥当です」


「どこも縄張り争いに忙しいもんだな」


 クラリスは消え入りそうな声で「全く、お恥ずかしい限りで……」と再度呟く。

 だからと言って、交戦が可能な船で外交に来るとは、敵対行為を疑われてもおかしくはない。

 いくら国交のある国でも、抗議文の一つや二つは届きそうなものだ。


「それとポターニン隊から私のマルモル隊に再編成時に規模を縮小しました」


「ん? あぁ、そういや船の数も減ってたよな。

 それにしても内部情報をぽろぽろ出していいのか?」


「はい。これらはルシル様方に伝えるように申し付けられております」


「それはまたよくわからない配慮だな?」


 不思議そうに首を傾げるルシルに、クラリスは「他言無用でお願いしますね」とほほ笑んだ。

 その冗談めいたお願いは、メルヴィという閉ざされた島に部外者が存在しないからこそ言えることだ。

 思わず視線を反らしそうになる一同は、一時的にアッシュの存在をなかったものとしてアイコンタクトを済ませる。


「実は本題は別にありまして」


「強硬偵察が目的じゃなかったんですね」


「シエル、それ完全に敵対行為じゃねぇか」


「はは、、、すみません。ご挨拶に加えてユル=ポターニンの処遇についてご相談に伺ったのです」


 他国の、それも軍の指揮官相当にある者の進退問題を、外交のテーブルに乗せる。

 わけのわからない提案に、二人は疑問符を浮かべるしかなかった。

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