第四章:勇者と幻獣の魔術

072繰り返される惨状

「……俺の目がおかしくなったのか、それとも暑さにやられたのか。それが問題だな」


「私にも信じがたい光景が見えています。残念ですがルシル様の目は正常なようです」


 どんな修羅場においてもほとんど動じることのない二人が、揃って現実逃避をしてしまう。

 その程度には信じがたく、かつ受け入れたくない現実がそこにはあった。


「やあやあ、二人とも久しいね?」


「うっさいわ。最近帰ったばっかだろ。遊んでないでさっさと仕事しろよ」


「ひどい物言いだね。僕は傍系とは言え、これでも王子だよ? 少しくらい敬ってくれてもいいじゃないか」


「許可もなく侵入してくるような不届き者にそんなもの持ち合わせておりません」


「うわぁ、切れ味抜群。二人してカリカリしてどうしたのさ」


「お前が居るからだよ」「貴方が居るからです」


 二人がハモるのは、ルシル暗殺を画策したアッシュが、ミルムとワイワイ遊んでいたからだ。

 先日帰ったばかりで事態の収拾が終わっているはずのない首謀者である。

 ルシルたちからすると、のうのうと目の前に居るとは思うまい。

 むしろ全部を放り出してこの場に居るというのなら、一度締め上げる必要がありそうだ。

 シエルが密かに心の腕まくりを始めているのを察したのか、当のアッシュが意味ありげに口を開いた。


「落ち着きなよ二人とも。例の件はもう終わった話さ」


「王の意見がそう簡単に曲がるのか?」


「そこはほら、リターンの問題さ。このままルシルを狙っても損が膨らむばかりだからね」


「それがわからず突撃していたのでは?」


「うん、ぼくが『わからないようにしていた』からね。


 手を離せばどれだけ甚大な被害が出るかはすぐにわかるんじゃないかな」


 情報を止めていただけ、と事も無げにアッシュが告げる。

 しかし一国を相手に情報を選別することがどれほど途方もないことか……聞かされたシエルは押し黙るしかない。

 不穏な空気を察したルシルは、さらに突っ込んで問う。


「だとしたらお前が擁した第三王子? は大丈夫なのか?」


「それは大丈夫。一応、失敗はしてない体になってるからね」


「あんなに大々的に来たのに?」


「うん、大々的に来たのに。ほら言ってたように『アリバイ』は用意してるからね。


 同行した部下たちも事実が漏れれば全員物理的に首が飛ぶわけだし、必死だよね」


「比喩ですらないのがやばい国だな」


 そう簡単に人の首が飛んで溜まるか、とルシルは呆れて息を吐く。

 救うのがどれほどの難易度であるか知らせてやりたくなる思いだ。

 ともあれ、この王子。腕っぷしはない分、知略に全振りしてる化け物だ。

 何事もなくこの場に居るとは到底思えず、相変わらず白けた視線を二人は送る。


「それで何の用だよ?」


「むぅ、理由がないと来ちゃいけないなんて冷たいな」


「問題ごとを持ち込むお前に言われたくない」


「仕方ないなぁ。それじゃ一つ理由を作ってあげるよ。どうやらそろそろ魔族側の王が決まるみたいだよ」


「――ルシル様ッ?!」「へぇ……?」


 小さく絶叫するシエルと、薄く笑うルシル。

 魔王討伐から一年足らず。余りにも短い休戦だった。

 いいや、むしろ王の選出に一年もの時間が掛かったことを幸運に思うべきか。

 ともあれ、このまま平和が維持されるとは――


「軍船ですね」


「アトラスか。シエルよく気付いたな」


 シエルの言う通りに視線を向ければ、遥か遠くの水平線にポツンと盛り上がるように点が見えなくもない。

 判別がつかない距離なのに、シエルは「軍船だ」と断定し、ルシルは所属を口にする。

 アッシュからすれば信じられないことである。

 シエルは着々と人外へと足を踏み外しているような気がしてならない。


「『軍船』だとすれば随分と穏やかじゃないですね」


「釘が足りなかったかね」


「海域の見回りならありがたいのですが」


「そっか、海賊がゼロってこともないだろうしな」


「船ごと鹵獲されては港の出入りを管理してても無意味ですからね」


「なるほどな。しかし……賊どもは何でそう『賢く勤勉』なのかね。もっと他に仕事がありそうなもんだが」


 言い得て妙な話だが、ルールは守るだけでなく、破る場合にも知る必要がある。

 そうして得られる利益を大きくしようとするなら、何処かの段階で賢さが条件に入ってくる。

 ルシルは『頭の使い方がもったいないな』と考えていると、


「海賊、捕まえに行ったりしないでくださいね?」


「どうしてそうなる」


「いえ、何となく。ルシル様だと『バベルに引き入れれば海賊減りそうだな』って考えてそうで」


「……ははっ、これ以上シエルに負担を掛けないさっ!」


「その言葉、信じてますからね?」


 メルヴィでゆっくり過ごすルシルの機先を制することにシエルは成功した。

 先日もシュエールを相手に外交を行ったばかり。彼女の勇者は働きすぎなのだ。


「あれー、二人とも僕のこと完全に無視してたりする?」


「頭いいんですから、そろそろ空気読んで帰ったりしないんですか?」


「え゛……それはひど――」


「そういやアトラスにアッシュが居ることバレていいのかな」


「……やっぱり埋めときますか」


「ちょっと、最近シエルちゃん暴力的にすぎないかね?!」


「訓練のせいでしょうか」


「それなら回りまわってアッシュが原因だししゃーないな」


「えぇ?! どういう意味さっ!」


「すべてマティアス様が悪いって意味です」


「しっかし、アトラス軍が何の用事なんだか……」


 罵り合いを続けるシエルとアッシュの二人を放置して、近付いて来る軍船を眺めてルシルはつぶやいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る