070宴もたけなわ

 戦意を喪失し、捕虜のように引きずられていくアラド。

 今後の人生において、彼は重大な決断を一人で行えなくなった姿に、ルシルは哀愁を見る。

 自由が奪われるとはどれほどの苦痛を伴うのだろうか。


 それにしても。唆されたとはいえ、問うべき天秤にルシルの『善性』を乗せていた。

 ある意味懇願とも言える恫喝には、皮肉にもアラドからアッシュへの清々しいほどの信頼が乗せられていた。

 いいや、単にアッシュがシュエールやアラドを追い込んだ結果だろうか。


 とはいえ勇者ルシルの存在によって担保されている仮初の平和である。

 そもそも『勇者と平民、どちらの命が重いか』など、大真面目に問いに来たのは喜劇にもならない。

 これは自身の価値観を疑わないからこその暴走だが、シュエールの歪みを知るには好例だろう。


「あいつの勇者暗殺は未遂だけどな」


「未遂? 何のことだいルシル。もう起きたことだよ」


「はっ、意趣返しかよ。よくやるぜ。それで、あいつをどう使うんだ?」


「まずは幾重にも首輪を掛けて主人が誰かを知ってもらわないとね。

 逃げる頭はないだろうけど、やっぱり周囲の甘言に乗っちゃうかもしれないからさ」


「怖い奴だな……そうやって俺のことも操ろうとしてるんだろ?」


「親友にそんなことするわけないじゃないか」


「なんかいきなり親しげになっていますが、存分にルシル様を利用していますよね」


 ルシルにすり寄るアッシュを、背後から手でシッシと追いやるのはシエルである。

 事実、ルシルの背後に佇んでいただけの彼女でさえダシに使った。

 わざと泳がせてアラドの失言を引き出したのをシエルは忘れていない。

 しかも知らぬ間にケルヴィンまで巻き込んでいる辺り、他人の・・・総力を勝手に持ち出し使っていた。

 まったく、いったいどんな交渉をすればケルヴィンを釣り上げられるのだろうか。


「そもそもですね。何ですかあの人たちは。ケルヴィン様以外は少し似てるだけの別人でしょう」


「……やっぱり気付いちゃう?」


「なんか要人にしては雰囲気が違うなって思ってたけどそれが原因か。

 上手く平民に化けてるもんだと感心してたのに、俺の感動をどうしてくれる」


「何だルシルも違和感持ってたんだね。よく黙っていてくれたよ」


「確信もないこと口にできないだろ。一応あれでも国際会議みたいなもんだろ」


「本当に。重要な案件なんですから、これこそ事前の打ち合わせが必要だったと思いますよ」


 ただでさえ低い世界的なシュエールの好感度を、王権を掻っ攫おうとしているアッシュがわざわざ下げるなど愚策でしかない。

 そもそも自国の醜聞を世界に広める可能性が存在する時点で論外だ。

 だからそれとなく似ているだけの『旅役者』を集め、「王族の芝居あそびに参加してほしい」と出演依頼と演目だいほんを渡した。

 そう考えれば、この場に連れ出された平民たちが一番事情通だったのかもしれない。


「ダメダメ。ルシルはそういう腹芸下手くそだからさ。

 それなら顔合わせた瞬間殴りかかってもらった方が面白いよ」


「それはそうですが……」


「あれっ?! そこは否定してくれないのかよ!」


 あくまで得意分野がある、と彼らは言っているのだが、ルシルとしては全く納得がいかない。

 とはいえ、腕を組んで少し難しい顔で仁王立ちしていただけのルシルとしては、威張れる場面などあるはずもない。


「しかしアラド? 第三王子ってそこそこ高い地位に居るくせに気性が荒すぎだろ。交渉もあったもんじゃない」


「要求だけ突き付けてくる感じでしたからね」


「俺はこれでも短気な方だと自覚してるんだがな。

 その俺よりひどいって考えると、他の貴族のお歴々には頭が下がる思いだぜ」


シュエールうちは嫌味を垂れ流すしか能のない奴しか居ないから」


「……俺の言う貴族にはお前も含まれてるけどな?」


「おぉ、たしかに。周りが王家の末席に座るだけの下っ端だと思っている奴らばかりで忘れていたよ」


 王族というだけで国内外で最大の権力を持っていることに違いはない。

 傍系王族アッシュからすれば、後継者候補の誰かに攻撃の口実を作らせないために黙っていただけである。

 だというのに、どうにも勘違いが激しい奴らばかりで、貴族やその従者までもがアッシュを軽んじているようだ。

 まったくもって理解しがたい状況である。

 ともあれ、これで主導権はアッシュが握ることになる。

 すごすごと連れられて行く馬鹿ども・・・・に視線を巡らせ、アッシュは口の端を緩ませた。


 今回の作戦は本来なら顔合わせの際にバレかねないほど雑な仕込みだ。

 しかし国王やその直属の貴族に利権が偏り、王子でさえ外交を担う機会が少ないことを突いたものだ。

 特にアラドの様に、無鉄砲で権力を振り回すだけの小物に有効だった。


「でもこれだけやっても結局偽物だろ?

 少し調べれば芝居うそだってバレる気がするんだが……いや、お前なら上手く騙しそうだけど」


「人聞きの悪いことを言わないでくれよ。きちんと事実にする・・・・・さ」


「……どういう意味だ?」


「えーこれ国家機密なんだけどなー、聞いちゃったら後戻りできないんだけどなー」


「それならいい。お前の話は二度と聞かん。俺に損しか見えない」


「しかし、だっ! 親友が気になってるなら教えてあげるよ!

 嘘ってのはね、取り繕うために別の嘘を重ねないといけないのさ。

 だからこれから彼は自然な流れで『正しく国を裏切っていく』だけなんだよ!」


「正しい裏切りってなんだよ。いや、頼むから黙ってくれ。これ以上は――」


「アラドの悪事は既に手の中にある。

 そこをチクチクと周囲に突かせれば、辻褄を合わせるために勝手に『偽装じめつ』していく。

 こっちはすべての証拠を握ってるわけだし、気付いたところで二度と僕には逆らえない」


「……聞くんじゃなかった。なんで教えるんだよ」


「これで勇者様も共犯! 心強いねっ!」


 改めて頭を抱えるルシルにとっては巻き込み事故も甚だしい。

 といってもアッシュからすると、アラドは最初から最後まで敵側に立ってたので関係はないが。


 ともあれ、緊張の大仕事を終えたアッシュは、今回参加してくれた平民たちエキストラを食事に誘う。

 ただしここは人里でもなければ、ましてやレストランであるはずもない。

 見渡す限り森に囲まれたただの原っぱだ。

 戸惑う平民たちを先導していく先は木々の向こう側。

 砂浜に石が組まれた上には石板が乗せられ、火が興されている。


「遅いぞルシル! さっさと始めねば焦げてしまうだろうが!」


 何も乗っていないのにげるとは何事か。

 というかれているのは空腹のミルムだけである。

 頭の上で跳ねるカリスを思えば、あれほど動物的だった彼女が、よくぞ静かに待つことができたものだ。


 それぞれに達成感や緊張の糸を緩ませてバーベキューが始まる。

 それにしても、平民たちの……いや、役者たちの順応性侮るなかれ。

 王族すらいる重鎮ばかりの中で、和気あいあいとバーベキューを十分に楽しんだ。

 守秘義務契約を強いられるとはいえ、彼らの生涯の思い出になるだろう。



 騒ぎ疲れて停泊する船へと皆が引き返した後。

 メルヴィに残ったアッシュは、ルシルと浜辺で杯を傾けていた。

 抜けるような満天の星を見上げ、取り留めのない話の中で、アッシュは語り掛ける。


「ねぇルシル。僕と一緒にシュエールに来ないかな」


「急に何言ってんだよ。俺がここから出たらそれこそ『国盗のっとり』を疑われるだろ」


「王族一同、狂喜乱舞で大歓迎さ!」


「不穏な単語が混じってるように聞こえるのは俺だけか?」


「来てくれるならお迎えまで完備だよ!」


「それって行ったら二度と出れなくなる流れだろ」


「そんな、ルシルが本気で動こうとして止められることなんてあるかな?」


「お前ならどうせ『そういう状況』にするんだろ。

 てかなんでわざわざ狙われるために行くんだよ。それを回避するための引きこもりでもあるんだぜ?」


「世間からすると『世直し』さ。少しくらい僕の国を見て回る気はないかな?」


「そんなこと言って手伝わせる気だろ」


「…………バレたか」


「そらみろ。どうせまた俺を利用する気だったんだろ」


「そんなことないよ! ただよくわからない騒動が起きて、何だかわからないけどルシルが解決するだけさ!

 その時まかり間違って勢力図が変わったりするかもしれないけど、国外から招かれた勇者ルシルの与り知らぬところだよね!」


「完全に俺を矢面に立たせてひと騒動起こす気じゃねぇかっ!?」


「あっはっはっ!」


 楽し気に話しているが、内容は基本的にテロやクーデターの教唆である。

 こんなシエルやケルヴィンが居ない場所での失言は危なすぎる。

 きっとルシルの良心や常識を楯に、どうにかして国に連れて行きかねない。


「とにかく君は、認識する『身内の範囲』があまりにも広い。今回はどうにかなったが気を付けてくれよ」


「仕掛け人自らのご指摘とは頭が下がるぜ。

 しかしつい最近金庫番に謀反を起こされかけた俺には耳の痛い話だな」


「おや、シエルちゃんの怒りを買ったのか。よく生きていたものだね。

 ベルン港なんて、運営できる商会がバベルしか残っていないと聞いているよ?」


「耳の早い奴がここにも居たか。どうにも俺の周りは異常者ばかりだな」


 現役の勇者が口にする『異常者』とは、誉め言葉に違いない。

 現に最初の襲撃からこれまで、ルシルの行動すら読んで無血でことを治めたアッシュに呆れていた。

 戦力、権力は言うまでもなく、財力すらも満足にない中で、智慧とえにしだけでここまでのことをやってのけたのだ。

 これから先、アッシュが権力を持っていくことを思い、ため息をこぼす。

 自分はとんでもないことをしてしまったのではないか、と――

 とはいえ、今更後戻りはできないし、アッシュの頑張りを無駄にする気もない。


「とりあえずお疲れ」


「うん、お互いに」


 今日はとりあえず、この恐ろしき頭脳を持つ馴れ馴れしい旧知しんゆうと酒を酌み交わしたい。

 酒に酔うことはなくとも、気分はとてもいいのだから。

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