069策謀と駒

 こうして当事者こそが、アッシュの・・・・・求めていた事態・・・・・・・とも知らずに状況は流れていく。


「そいつは勇者暗殺を企てた人類圏最悪の犯罪者だ。捕まえろ」


「「「「――はっ!!」」」」


「はぁ……? 貴様、何を言って――」


 アッシュの正面に立つ反逆者アラドへ向け、一糸乱れぬ見事な動きで制圧に走る。

 王族の護衛を務める面々だ。実力は保証されている。

 だというのに、大した抵抗もできずに地面に転がされていく。

 どんな武人であっても世界最強ルシルに睨まれれば硬直くらいはする、という感じだろうか。

 いいや、あれはパフォーマンスだ。

 アッシュがここで捕縛を演じ、アラドを取り込む絵図を描いていたのだろう。

 何処までも用意周到なやつだな、とルシルは半眼になって見守る。


「アラド様、失礼します」「口を閉じてください」


「な、なにをする!? 私はシュエールの第三王子だぞ!」


「あまりはしゃがれますと痛い目に遭いますよ」


「待て! 貴様ら気でも狂ったのか?! どういうことだマティアス!?」


 いきなり周囲すべてが敵になったアラドは、その一方的な光景に狼狽えアッシュの名前を呼ぶ。

 しかしその間にも腕を取られ、引き倒されてしまった彼の傍に立ち、アッシュはにこやかに見下ろし穏やかに答える。


「はい、マティアス=リクセト=シェルヴェンですよ。どうされましたアラド様」


「どう、だと?! この状況で何を言っている!!」


「アラド様こそ何を仰っているのでしょうか。ここはシュエールではありませんよ?」


「どういう意味――」


「ここはメルヴィ。ルシル=フィーレが所有する、何処の国にも属さない島です。

 つまりはシュエール国法の『外』。

 王族の末席に座る者として『国際的な対処』をしただけです。何かご不満でも?」


「貴様っ! 本国に帰ったら――」


「ふふっ、帰れると考えている辺りが浅はかですね」


「なんだと?!」


「今まで無傷で祖国に襲撃者を送り返してくれていたのはあくまで勇者かれの温情です。

 本人たちを狙う襲撃だけならまだしも、首謀者自ら人質を連れて乗り込んで、捕縛だけで帰してくれると思いますか?」


 事態をようやく把握したのだろうか。さぁっとアラドの顔が青褪めていく。

 どれほど厚顔無恥で他者の領土を踏みしめていたのか、ようやく思い知ったのだろうか。

 失敗の記憶がぐるぐるとめぐる中、アラドは子供の泣き言にも等しい言葉を吐いた。


「そ、そんなもの、全員が口をつぐめばどうにでもなるだろう!?」


「たしかに。この場の全員が口裏を合わせてくれればそうなるでしょう」


「だろう!? では――」


「えぇ、だからどうだと言うのでしょう。今まさに害しようとした勇者が頷くとは思えませんが?」


「た、対国家間のいさかいにまで発展しかねないと考え、これまで温情を掛けて来たのだろう?

 であれば、むしろ私にこそその温情を与えるものではないか? そう、これからは私たちが手を取り合って……」


「心を入れ替える、っていうならやぶさかではないが……」


 最も被害を受けてる者が許すのならば、他がどれほど言い募ったところで意味はないだろう。

 予想通りの返答に、アッシュは「えぇ、ルシルならそう言うでしょうね」と肩を竦める。

 勇者の言質を取ったアラドは、もう一歩踏み込んだ安全を得るべく言葉を足す。


「ならば私が王を諫めよう! なぁに、私の言葉なら聞いてくれるはずだ!」


「しかし第三王子では国の方針を変えるには発言権が小さすぎます。今回の勅命も失敗したわけですし」


「失敗だと!? 貴様がそんなことを口にするなど――」


「もしも奇跡的に王が頷いたとしても、一番納得しないのがルシルの後ろに控えていますよ」


 ルシルの背後には灼熱を思わせる意思でバカ王子を睨むシエルが居る。

 アッシュの指摘でようやく気付いたアラドは、髪に砂を噛ませながら実に楽しそうに笑う。


「ふはっ、あの小娘が何だというのだ。貴様には金をやろう! どれだけあれば口をつぐむ!?」


勇者の商会バベルを預かるシエル=シャローを相手に、金を条件にするとは……国を傾けても頷きませんよ」


「馬鹿なっ! そんな重鎮がこんな僻地に――な、なら私の愛妾にして……いや、第一夫人にしてやろう! 王妃すら狙える地位だぞ!」


 シエルの背後からより一層立ち上るような怒りの熱量……いいや、極寒の殺意に押され、失言にようやく気付いたアラドが口を閉じるもとっくに遅い。

 ひたすらに煽り倒した後ではどんな行動も意味をなさない。

 並み居る百戦錬磨の商会主を黙らせ、先日ルシルによって研がれた鋭利な視線を向け、ただ一言「汚らわしい」と呟く。

 今度こそ希望は断たれた……いや、それでも勇者が協力的であれば――

 自己保身に全力を振り絞るアラドが視線を上げて見たものは、変わらず朗らかに笑うアッシュだ。


「ところでアラド様、お忘れかもしれませんが『ここには貴方は居ないこと』になっていますよね?」


「は――?」


「それはそうでしょう。王子自ら大手を振って勇者の暗殺に向かうだなんて、国外に知られては一大事です。

 大小さまざまなアリバイくらい確保して出て来ているに決まっているじゃありませんか。つまり『ここに居る貴方は何処の誰でもない』わけです」


「あ、あ、ああああ……ッ!!」


「おっと、絶望に暮れるのはまだ早いのではないですかね」


「どういう意味だ?!」


「だってここには……ほら、見たことある方が他にもいらっしゃるでしょう?」


 アッシュの視線を追って人質たちを見る。

 そこにはみすぼらしい平民の服を着こんだ年老いた男女が――


「ようやく気付いていただけましたか。アラド様、お久しぶりですな」


「け、ケルヴィン殿!? オーランド宰相の!?」


「今はバベルに所属しておりますがね。それでも縁というものは繋がっているようでしてな。

 お隣のこの方はアトラスの外交省をまとめるアイゼン卿。

 そちらはグラフトルの宰相ルークナット卿、あちらは――おっと、今際に・・・覚えても仕方ありませんでしたな。これはとんだ失礼を」


 ケルヴィンはぺちり、と額を叩く。

 その姿があまりにも大根役者の姿であり、ルシルは『こうやって外交って進むんだな』なんて感想を持っていた。


「な、なななぜ各国の重鎮がこんな辺鄙な場所に集って!?」


「だから僕は言ったでしょう。『ルシルへ・・・・プレゼントだ』ってね。

 シュエールの王族が、正式な形で勇者に布告した姿を、国際社会が見られるようにするには随分と骨が折れましたよ?」


「あ、ああぁぁぁぁ……?!」


 アラドは国王から勅命を受けた時点で、何処にも逃げ場などなかったのだ。

 いまさら気付いてもとっくに遅い。それでもなお、気付いてしまったアラドは声を上げる。


「き、貴様のやっていることは許されることではないぞッ!!」


「誰に、かはさておき。もとより許されるつもりもありません。

 ……けれどアラド様、僕にも血縁者のよしみ・・・ってものが少しはあってね」


「今さら何の話だ!」


「協力してくれている間は、集まった彼らに僕が頭を下げて助命してあげよう」


「はっ、ここまで来て身内の首を落とすのが怖いと言うのか!」


「うん? おかしいな。どうにも言葉が正確に伝わらないみたいだ。

 僕は『従う間は生かしてやる』と言ったんだよ?

 既得権益にしがみつき、国を食い潰す方法にばかり頭を悩ませ、何かあればどこかの誰かのせい。

 場当たり的な対応しかできず、責任も取らず、国は世界から置き去りにされていく。

 僕が貴族を始めとした君たち王族にどれほど嫌気がさしているのか、もっと知った方がいいかもしれないようだね?」


 人好きのする笑みを浮かべていたアッシュの視線が細くなる。

 それに合わせるように近衛がアラドの頭を潰すように地面に押し付ける。

 アラドを見下ろすアッシュは、傍に立つ護衛から剣を受け取り、視線の交わる地面にザクン、とを突き立てた。

 視線を遮る金属の刃に背筋が凍り、引き込んだ悲鳴を漏らす。

 見上げた先にある俯き加減の顔に、滲み出る憎悪が垣間見え、あまりの迫力にアラドは二の句が継げられない。


「『勇者ルシルとの激闘で四肢の腱を切られた英雄』とかどうでしょう?」


「な、なにを……?」


「従わなければ死ぬわけですし、多少傷付けたところで帳尻は合いますね。

 あぁそうだ、ちょっと汚して身ぐるみを剥いで海に流したら、ここには居ないはずの王子が助かるか実験してみます?」


「ちょ、ちょっと待て!!」


「待つわけがないだろう。口先だけでも従えないなら今すぐ死ね。

 この場を僕が取り計らうことになっている以上、そうなる・・・・のは当然だろう?」


 肩書きによりかかって生きているアラドに向けて、アッシュはにこやかに脅迫ていあんする。

 本人に大した能力などないのだから、無一文で放逐された貴族の末路など暗澹たるものである。

 それがちやほやされ続けた王族であれば、ただの浮浪者ですら高望み。どう転んでも抜け道はない。


 こうして国家運営はマティアス=リクセト=シェルヴェンという個人の手によって歪められて上滑りし始める。

 重鎮たちが誰も知らない深淵で張り巡らされた数多の罠は、継承権第三位という十分に次代の国王を狙える地位にある王子を絡め捕る。

 絶望に堕ちて、ようやくクズだクズだと見下していた腹違いの深淵やみを知る。

 そう、触れてはいけない禁忌に、アラドは土足で踏み入ってしまったのだ、と。

 気付くにはあまりにも遅すぎたが。

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