068ルシル=フィーレ暗殺計画

 士気を上げるために勇者と祀り上げられただけとシュエールは侮っていた。

 その代償は、一度目の襲撃で成果を上げられないばかりか恥までかかされて払わされることとなった。

 反省を生かしたはずの二度目でも損害ばかりが広がる。

 失敗を重ねるごとに追い詰められていくシュエールは、この期に及んでようやく理解した。

 それは――


 敵地の最奥に居ただろう魔王を討伐した上で生還してのけた、

 人類史上最高の暗殺者をどうすることもできない、というごくごく当たり前の結論である。


 利益分配に目ざとい各国がしのぎを削るはずの『世界』が認めた勇者が軽いわけがない。

 そんな当然すぎる結論を得るまでに要した損害を思えば遅すぎるが、シュエールは人類圏の大事な大事な『仮想敵国』だ。

 むしろ状況を利用して勇者の戦力を測っていたり、シュエールの勢力を削ろうとしていた国があったに違いない。

 ある意味人類圏にとって有益になる情報しか与えられない・・・・・・状況だったとも言えるだろう。


 ともあれ、そんな常識を得るために、多大な損失を招いたシュエールは、もう止まれる状況ではなかった。

 そう、アッシュがどれほど巧妙に隠しても。上手く勢力を削っても、踏みとどまるにはあまりに恥をかきすぎた。

 しかし暗殺を成功させるのはほぼ不可能。それと同時に失敗は許されない。

 それでも成さねばシュエールの現政権が・・・・崩壊する日は近い。

 多大なジレンマを抱えるシュエールは、ある意味正攻法とも言える、間接的な対処……。

 つまり外交手段を用い、人的・物理的・経済的な制裁を画策した。


 個人に対して外交策を国家が持ち出すにはいささか悪辣な手法だろう。

 しかし所有する商会が大きく経済的には盤石で、各国首脳陣とも肩を組めるほどの超有名人VIPだ。

 勇者の事情を掘れば掘るほど、知らしめられるのはその強大さである。


 世界から爪弾きにされているシュエールが勇者を害するのは非常に難しい。

 勅命のため引き受けざるを得なかったとはいえ、乗り気だったアラドが頭を抱えるまでそう時間は掛からなかった。


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 両開きの広い執務室。中央には訪問者の歓待に備えて応接セットが並べられている。

 ゆったりとくつろげそうな低めのそれらは、密談や会談を行うには確かに最適だろう。

 さらに部屋を見渡せるように、奥には暖かな風合いを見せる、いかにも高級そうな机が鎮座している。

 机上は綺麗に片付けられていて、対になる革張りの豪奢な椅子でさえ気品を感じさた。

 背後の本棚にはごつい背表紙が整然と並んでいる。


 たったこれだけでどれだけの財力と権力を持つかが如実に表れる。

 そう、資金があっても集めるのが難しいランクのものばかりなのだ。

 しかし、よくよく観察してみれば、端々に性格や態度が見えてくる。


 たとえば応接セットは所有者の格を思えば少々高級すぎる。

 隙間のない本棚に刺さるタイトルはどれも学術的なものばかりでジャンルもまちまち。

 これでは『見た目重視だインテリア』と語っているに等しく、意味のなさが筒抜けだ。


 それに調度品アンティークを思わせる味のある執務机も綺麗にすぎる。

 使っていれば出てくる色の剥げや傷といった、クセや味のようなものがまるで見当たらない。

 まさに完璧な仕事をする者が望むであろう理想の部屋モデルルームは、主人の性格をよく反映した場所ともいえるだろう。


「献策したいというのはお前か」


 そんな見栄を押し付ける部屋の中。

 唯一生活感のある応接のソファにどかりと座り、ワインを揺らしてアラドは煩わし気に問うた。

 暗礁に乗り上げていた『対勇者の有効策』を聞き出すために呼ばれた人物は恭しく頭を下げる。

 そして「はい。私は傍系に属す――」と挨拶を始めたのを、聞く耳を持たぬとばかりに「よいよい」と手を軽く振って止められる。

 アラドにとって重要なのはあくまで『勇者をどうするか』なのだ。


「そんなことよりも勇者の話だ」


「……端的に申しますと魔王さえ討ったとされる勇者を打倒するのは不可能です」


「なんだと? 貴様、私の貴重な時間を無駄にしたのか!」


「いえ、正確に申し上げると戦闘能力のみで上回れません。

 拮抗させるだけでも戦争を仕掛けるくらいの被害を覚悟せねばなりません」


「そんなわかり切ったことをわざわざ言いに来たのか! 誰だこいつに案があると呼び出した奴は?!」


「それは経済的にも同様で、これらはただの揺るぎない事実の一つです。まずはそこをご理解ください」


 激昂するアラドを前にしても、平然と淡々と口調を濁すことなく話を進める。

 認めるところから始めて、ようやく見えてくることもある、と。

 つまりここまでは織り込み済みの話だと言いたいのだ。

 口から火を吐きそうなアラドはワインを煽り、二十近くも離れた若者に「続けろ」と呟く。


「さすがはアラド様、度量が違います。私のような卑賤で言葉足らずな若輩者の話を聞いてくださるとは」


「……時間を取らせたのだ、つまらぬ話なら首を落とすぞ」


「ふふっ、滾りますな。では私からも一つお願いがあります」


「この状況で? 傍系の血を絶やすことなど造作もないのだぞ」


「えぇ、存じ上げております。故にまさに命懸け。些細な願いを乗せるくらいはお許しください」


「……胆力は十分なようだな」


「ありがとうございます。この件が成功すれば、次代の王は決定したものでしょう?」


「そこに与した貴様に報いろ、と?」


「はい。次期国王たる貴方に今後も仕えさせてください、という私の些細な願いをご快諾いただければ、と思いまして」


「はっ、案も出さずによく言う。しかし実行に足るものと判断できれば取り立ててやる」


「ありがとうございますアラド様」


 アラドに頭を下げて表情の見えぬ状態でほくそ笑む。

 本来、命には優先度がある。

 分かりやすいのは貴族や王族といった階級を持つ者たちだ。

 中でも勇者はそれら『特別たち』の合意によって選ばれた個人である。


 死なせられないとの思いも強く、だからこそ資金や装備、戦場での人事権までもを明け渡す。

 もちろん、戦力を期待しているので戦場には送り込むし、無茶だとわかっていても魔王討伐を託す。

 そうやって勇者の命を酷使する反面、幾重にも保険を掛けて死なせぬ努力を怠らない。


 言うなれば最優先の個人である。

 そうした二律背反する思いは、葛藤しつつも現実を回さねばならない当事者であれば理解できるだろう。

 そして世間の一般的な見解では、この仮初の平和は勇者ルシルの存在によって担保されている。

 当然、抑止力ゆうしゃが居なくなれば途端に地獄せんそうの日々へと逆戻りだ。

 少しでも先見性のある者なら平民と勇者の命を天秤に掛けることに意味を見出せない。


 しかし最優先の個人たる勇者が下す『優先』だけはこの範囲外。

 それは勇者が力を振るう、もしくはためらう条件を洗い出せば簡単だった。


 個人であるがゆえに『縁故』にこそ弱点が垣間見える。

 彼は自身が周囲から突出していることを知るがゆえに他者の命こそを大事に考える。

 でなければ勇者という偶像に祀り上げられたとて、たった一人で魔王の暗殺になど向かわない。


 つまり人質を使った交渉、および殺害を目的とした手段は、ルシルの性格をよく知る者からすると理にかなった方法である。

 現にアッシュが試験的に行った作戦での反応は劇的であり、実証されたと言っても過言ではないだろう。


「オーランドが抱える勇者、ルシル=フィーレの自己犠牲は英雄譚ストーリーとともに世界に広がりました」


 確かに勇者の英雄譚ストーリーを紐解けば頷かざるを得ない場面がある。

 いいや、むしろ民草に気を掛け不都合が増えた苦労話エピソードは多い。

 たとえば行軍が遅れたり、戦力を分割したり、出費が増えたり。

 それらはすべて英雄譚ストーリーを盛り上げる舞台装置のようなものだと権力者たちは考えていた。

 ゴシップとして聞く分にはいいが、どれだけ脚色されているかわかったものではない。

 勇者の英雄譚ストーリーを鵜呑みにするバカは民草だけで十分だった。


「ゴミをどれだけ拾い集めたところでただのゴミでしかないというのにな」


 たしかに苦労話エピソードで民草の人気を獲得できているが、そのほとんどは成す価値がないものばかり。

 現に民衆は勇者に幻想を抱き、さらに多くの足を引っ張られてしまうことになるだろう。

 だから話は逆。足を引っ張られてなお、多大な功績を打ち立てる英雄ばけものが今代の勇者だと考えるべきなのだ。

 となれば、勇者の全能力とはいかほどのものか。少なくとも暗殺など万に一つも可能性はない。

 そしてだからこそ活路も見いだせる――


「構わないではないですか。それゆえに我が手に落ちるのですから」


 勇者の行動原理は多くの権力者にとっては理解しがたい。

 そう、これが正規の戦争であったなら、人質など見捨てて敵対者の殲滅に乗り出すはずだ。

 しかし仮初の平和の中において人質という手段は、これ以上ないくらい絶好のタイミングである。


 そして今現在ルシルの『外側』で、この事実に正確にたどり着いた権力者は二人だけ。

 旧知のアッシュと今聞かされたアラドである。

 主に人質にされる側・・・・である王族にとってあまりに想定外の案。

 しかし同時に天啓とも思えるほどアラドに突き刺さった。


「だがその案、気に入った! 早速始めるとしよう」


 旧知の仲であることさえ命懸けの献策で語ったマティアス=リクセト=シェルヴェンは、アラドの信用を勝ち取ることに成功した。

 そう、使用人でさえ見向きもしなかった傍系の王子は、ようやく国政に影響力を得られる立場になったのだ。

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