044ミスタードリラー
シエルの説明を台無しにしたルシルがこっぴどく怒られたのは言うまでもない。
そのせいで魔術に興味を持ち始めたミルムの意識は技術に舞い戻ってしまっている。
彼女の巨大な選択肢を奪ってしまったのではないか……ミルムの出自を知るシエルからしても、ルシルは大罪を犯したようにしか感じられなかった。
とはいえ、それも過去の……すでに三十分ほど前の話である。
ここには『後悔するくらいなら好転させろ』と考えるポジティブ野郎しか存在していない。
でなくては勇者と呼ばれることはなかったし、商会も大きくならなかったはずである。
最後の一人に関しては純粋に前ばかり向いている、という凄まじく動物的な感覚ではあるが。
「少しくらい地面やわらかくしてくれてもいいじゃねぇかよ!」
「私、魔術使って疲れちゃったんですよ。ルシル様のその有り余る体力で何とかしてくださいよ」
「宮廷魔術士並みのシエルならあの程度の魔術なんてお手の物だろ!」
「ほら、私って山の上り下りでも魔術使ってるので。けれどご命令とあらば身を粉にして――」
「ぐぬぬ……でも後で手伝ってくれよな!」
ルシルも本気で苛立っているわけではないが、単純にシエルが手を貸せば一瞬で終わるのだ。
それくらい魔術は有用で、それを扱うシエルは万能なのだ。
今も船便で送られてきた報告書をポーチから取り出して確認と決済にいそしんでいる。
こんな机すらない場所まで来てデスクワークを強いられるのは商会長を押し付けているルシルの心にじくじくとダメージを与えていくのだ。
まぁ、シエル本人はむしろ同じ空間でやいやいやり取りしているだけで十分満足だったりするのだが。
「ルシル、これは食えるのか?」
「うーん、お前ってすごいよな。むしろ無知って最強かもしれん」
「――ひっ!?」
ルシルの感想に顔を上げたシエルの引き込む声を聞いて思いをはせる。
ある程度発展した都市では昆虫食は完全に廃れてしまっている。
もっと見栄えがよく、飼育・収穫しやすくて美味しいものは多いからだ。
しかし寂れた農村なんかでは、むしろ栄養価の高さや捕獲の手軽さから一般的でもある。
ちなみにミルムが手に持っていたのはミミズだったのだ。
「どちらかというと魚とか鳥の餌だな。食べてもいいけど臭いだけだと思うぞ」
「ふむ、こやつにやるかの。いや、獲ってくるんじゃ!!」
「うぉっ、まさか投げ捨てるとは。てかヒナに森の中走らせるのはどうなんだ?」
「ふ。大丈夫じゃ。あやつなら無事に、無事に……無事に帰ってくるかのぅ?!」
「さぁ……餌になってなきゃいいが」
「る、ルシル?!」
「一丸となって動かないといけないって言ってるのにそんなことするからだろ。ま、方向音痴じゃなければ帰ってくるさ」
周囲に危険な気配は感じられないし、ミルムの肩ではそう遠くまで投げられるわけがない。
どこかで足止めを食らっていない限りすぐにでも戻ってくるだろう。
なんて話をしている間にちょこちょこと跳ねて戻ってきたのを見たミルムは、
「美味かったか? ならばよい。わっちも危ない目に遭わせてすまぬ!」
ヒナに飛びつくように抱き上げた。
何事にも全力なミルムを眺め、シエルはため息を零してしまう。
「私よりもちゃんと親していますね……」
「感情的な話か? シエルは理性的なだけだろ」
「そう言っていただけると……そうですね。この子にも自力で餌を獲らせましょうか」
「まだ腹いっぱいじゃないのか?」
「ヒナの時期はどれだけ食べても足りないでしょう」
制御利かないくらい大きく育っては困るんだがな、とルシルは頭を掻いた。
自分に何かできることはないか。ヒナを殺すことばかり考えていた胸中に、父性的な感情が生まれていた。
いつかその思いが押し殺さねばならない日が来ないことを、ルシルは祈るばかりである。
「そうか。温泉を掘ればいいのか」
ルシルがふと気付くが、最初からその予定だったはずである。
何を言い出すかと思えば、とシエルが視線を向けた頃には、ルシルの手にはスコップが握られていた。
驚く間もなく、がつがつと掘る、掘る、掘る。あっという間に掘り返され、どんどん土砂が増えていく。
それに伴い――
「おぉ、ミミズとやらがうようよいるぞ!」
「あ、なるほど。そちらが目的でしたか」
「どうせ掘り返すんだしな。せっかく狩猟に目覚めてるなら丁度いいだろ」
「ありがとうございます。道具もなく一体どうやって掘るのかと思いましたよ」
「道具がない!? 俺が手に持ってるのは何なんだ……」
「いえ、たしかに掘る道具ですが……あれ、ルシル様って井戸堀ったことありませんでしたっけ?」
「戦場で水が必要だってんで掘ろうとしたけど、始める前に敵に襲われてなぁ。結果的にはそいつらの糧食奪って万々歳だったんだが」
あっという間に十人分くらいの働きをして汗一つ流さずにスコップを突き立てるルシルがぼやく。
それにしても何とも野蛮なエピソードだろうか。
ルシルは「ならツルハシ持てば……」なんて視線を彷徨わせているものの、問題はそこではないのだ。
「人が日常的に使う道具は、農耕用だったり採掘用だったりするので、基本的に地面より上で使用するものなんですよ」
「そうなのか?」
「ツルハシは掘削はしますが、土砂を運ぶものではありません。
スコップは地面を掘り返し土を運べますが、柄が届く範囲までです。つまり自分も一緒に潜っていかないといけません」
「それが?」
「常に自分以上のスペースを確保しながら深く掘り、出た土砂を掘った分だけ高く上げないといけないんですよ」
「……無理かな?」
「ルシル様ならあるいは……ですが空気が巡らないので息ができないと聞いたことありますよ」
「無理かなぁ……」
ではどういう道具があれば掘り返せるのだろうか。
話しながらもザクザクと掘り進めていたルシルが、ガンッと随分と硬くなってきていた地面の底にスコップを突き立てて手を止める。
人の手が届かないところを掘り、土を上げる。言葉にすれば簡単だが、深くなるほど難易度が上がっていくのだ。
「掘るのは槍みたいなやつで突けばいいか。崩せば……なるほど、
「ご明察です。けれどさすがに井戸を掘れるサイズのものはありません。それに工具を作るのはさすがにここでは難しいですよね」
「次回の……いや、次々回の船便に期待するしかないのか」
「それまでに周囲を綺麗にしておきましょう」
「そうだな。温泉掘り当てたらこの辺水浸しになって楽に整地できるとか思ってたんだけど残念だな」
「そんな勢いで噴き出したらルシル様以外は全滅ですからね……?」
間違いなく危険なことなのに、何故かルシルがしていると安心できてしまう。
これが勇者の風格か、それとも単なる心酔かはシエルにはわからない。
猪突猛進のルシルもさすがに諦めたらしく、突き立てていたスコップを肩に乗せて穴を出てくる。
穴の傍には掘り起こしたばかりの山盛りの土砂があり、二羽のヒナとミルムがキャッキャとはしゃいでいた。
「そんじゃ、今日はこの辺して飯にする――」
――どおん!
慌てて背後を見れば、穴から湯柱が上がっていた。
勇者は運にも恵まれているようである。
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