043勇者はとても大人げない

 一日で千メートルを超える高低差を上り下りすれば身体が追い付かないのも無理はない。

 それも数時間以内と短時間で、身体ができあがっていない子供ではなおさらである。


「大丈夫かミルム」


 下山を果たしたルシルが、背中でへばるミルムの症状を気遣う。

 帰路は環境の確認にシエルが当りを付けた地点を目指す。

 さっさと適地をみつけて開拓に励んだ方がいいだろうとの判断だった。


「うー……景色がぐるぐるするぅ。軟弱な身体めぇ……」


「酔っ払いみたいな返事だな。まだまだ鍛え方が足りなかったか」


「一カ月ほどで……いえ、ルシル様と同格になるのは無理ですよ?」


「そうか? 結構いい線いってるんだけどな。しっかし山地での行軍って経験ないんだよな。一人で山狩りとか偵察とかはしょっちゅうだったけど」


「偵察はともかく一人で山狩りって意味不明なんですが。ほら、やっぱりエピソードが常人離れしすぎじゃないですか」


「でもシエルは平気な顔してただろ?」


「私はこれでも鍛えてますから」


「ふむ、たしかに。だらしない部分もなく引き締まってるもんな」


「きゅっ、急に何なんですか!」


 関心がないとか言っておきながら、声を掛ければ跳び上がって反応する姿にルシルは「えぇ……?」と困惑してしまう。

 ともあれ今はミルムの方が大事である。

 視線を前に戻して揺らさぬように背中の方に気に掛けながらもザクザクと鬱蒼と生い茂る森の中を歩いていく。

 するとすぐに復帰したシエルが話を続けた。


「空気が薄くて息が続かなかっただけだと思います。すぐによくなりますよ」


「そりゃ重畳。さっさと復帰してもらって雑草刈り頼まないとな」


「休ませて上げてもよろしいのに」


「そうだそうだ、ルシルは幻獣使いが荒いぞ!」


「これは美味い飯を食うための試練なのさ。空腹こそが最高のスパイスなんだぜ?」


「なん、だ、と!? わっちは働かねばならぬ! えぇい、下ろすのじゃルシル!!」


「馬鹿、あんま暴れんなって。仕事は回復してからちゃんと頼むから」


「あぅ……くらくらする」


「言わんこっちゃない」


 高山病は寒さも関係するが、主に体内の酸素不足が原因だ。非常に簡単に言えば『息切れ』の悪化である。

 高地に比べて酸素を多く取り込める平地でも、ミルムは身体を顧みずにはしゃぐので酸素を消費して一向によくなる気配がない。

 背中のミルムをルシルが気にしていると、シエルが「この辺でいいと思いますよ」と声を掛けてくる。

 どうやら気付かぬ内に目的地についていたようで、ルシルは悪戯っ気を出して「それじゃシエルのお手並み拝見だな」と一歩退いた。

 託されたシエルは「任されました!」と元気よく返事をし、深く息を吸って呼吸を整えた。


 鬱蒼と茂る未開の森を拓く最初の一歩は視界の確保だ。

 農夫なら鉈や鎌を使ってザクザクと切り拓くが、もっと早く便利な手段を持つ彼女は違う。

 集中している姿を眺めて「よく見とけよ」と囁けばミルムは「何を始める気じゃ?」と聞いてくた。


「人が何かを成す手段は二種類ある。

 俺はもっぱら身体を使う『技術』の方だが、魔力を使う『魔術』という方法が取れる者がわずかに居る」


「つまりシエルは魔術とやらを使うと?」


「そうだ。実際は山の上り下りにも使ってたんだけど現象としては見えないからな。何か感じるものがあればミルムにも使えるんじゃないのか?」


「わっちは幻獣であるが問題ないのか」


「だってお前、今は人ベースだろ。鉈振る技術あるなら風を扱う魔術も使えるんじゃないの?」


 そうこう言っている間にシエルが一歩踏み出した。

 右手を軽く外に広げ、一拍の間を空けた後に指揮者のように前方へ振るう。


 ――ゴウッ!


 シエルの周囲を風が巻き上げる。

 まさに空気が変わる光景だが、特に何か起きることも……とミルムが口を開こうとしたときにそれは起こった。

 視界を遮るまでに生い茂っていた前方の雑草が、突然はらりはらりと地面に落ちていく。

 驚いたミルムが「おぉぉっ?!」とよくわからない声を上げていると、なぜかしてやったりとした顔で「な、便利だろ?」などとルシルが得意気に笑う。


「何をしたのじゃ!」


「鎌とか鉈と同じさ。たぶん地面付近の草を風で切ったんだな」


「だがっ、だがっ! これだけの範囲を一瞬じゃぞ! 圧倒的に早いではないか!」


「そう言っていただけるとありがたいのですが……少し違うんですよね」


「風になびく草を固定せずに切るにはかなりの鋭さと速さが必要じゃないのか?」


「ご明察ですルシル様」


 落ち着いている二人を見て少し興奮が冷めたミルムが「どういうことじゃ?」と問いかける。

 魔術をよく知る側からするとさしておかしな話でもないのだが。


「簡単に言うとその分めちゃくちゃ疲れるんだ」


「疲れる? 立ってただけなのか?」


「突っ立てるだけで草が切れるかよ。ちゃんと魔力を消費して結果を得てるんだぜ。その分魔力が減るのは当然だろ」


「んん?」


「考え方は体力と同じです。全力疾走したら疲れますよね。魔力も消費すると同じなんですよ」


「ならば速度が際立つのではないのか」


「確かに。魔力の方が早く大きな結果を得られますが、その反面疲れやすく、回復しにくいデメリットもあるんです。これで私はもう役立たずなのですよ」


「なんだと……? わっちの、わっちの感動を返すのじゃ!」


 背中で暴れるミルムを見ると、そろそろ復帰したようである。

 ルシルはそっと地面に降ろして鉈を渡す。お前も加われ、とのことである。

 受け取ったミルムが少し不貞腐れてザクザクと鉈で草を刈っていく。

 楽し気に見るルシルが、シエルに投げかけた。


「おいおい。魔術の万能性を欠いた説明はもったいないだろ」


「ライバルが減るかと思いましたのに」


「ななっ、ずるいぞシエル! わっちに教えぬ気か!」


「いえいえ、ミルム様ならきっとどこかでお気付きになると信じていましたからね」


「む……ならばよいのじゃ。して万能性とはなんじゃ?」


「とても簡単なことですよ。技術……つまり身体を使うことには『手の届く範囲』という制約がありますよね?」


「鉈が届かねば草は切れぬから――シエルの魔術は遠くのものも切れておるのか!!」


「その通り。ものすごく疲れます。けれど発想次第で手の届かないことにも影響を与えられるのが魔術というものです」


「なるほど、なるほど! わっちも使えるようになりたいぞ!」


「今度宝珠オーブを取り寄せましょう。どんな光が出るか楽しみですね」


 にこやかに話している二人にルシルの声が掛けられる。

 振り向くとそこには剣を肩に担いだ得意気なルシルが立っていて、何をするのかと首をかしげていると――


「でもな、俺だと『技術』でも遠くの草を切れるんだぜ?」


 そんなことを言って腰を落として振り切った。

 剣の軌跡など見えない。太陽が反射した剣閃だけが目に届く。


 ―――ドオオン!


 かくて、ルシルの正面にあったはずの草は、十メートルにも渡って自重に耐えられずに地面に伏していた。

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