042天上の危険
「すごいぞルシル!!」
「ようやく目が覚めたかお嬢様」
「寝てなどおらぬ! それより目の前だ! こんなにも広かったのか!」
「興奮されてますね。しかしたしかにこの景色は素晴らしいものですね」
随分と登ってきたことで空気も緑も薄くなり、まさしく山岳と呼ぶにふさわしい情景が広がる。
そして山頂から見下ろす諸島は絶景の一言である。
周囲は何処までも続く境界線の滲んだ海と空。そして空間が存在する証明に白い雲や波が点在していた。
緑の絨毯のように森が生い茂り、その隙間を縫うようにキラキラと光る川が海まで続いている。
こんな自然の雄大さを見せられれば、今さらながら空を目指した鳥を羨む気持ちを抱いてしまう。
そして何より地を這う人間がいかに小さな視点しか持ち合わせていないかを痛感させられる。
「しっかし、ここまで来たけど湯が見当たらねぇな」
下手をするとオーランドの近衛兵ですら音を上げる行軍についてきたシエルは肩で息をしている。
ここまで来るのに平地では強化を、山地では重量軽減の魔術でフットワーク軽く上ってきていた。
息を荒げるだけで済んでいるのは、ひとえに一般人をしのぐ体力と宮廷魔術士に迫る技量を兼ね備えているからに他ならない。
しかも本人の才能はどちらかというと商売であるというのだから世の中馬鹿げている。
ルシルはシエルに水を渡し、まったく優秀すぎるやつだ、と苦笑いするしかない。
「あの煙は違うのか?」
「違わない……いや、違うか。あそこは海だからな。できれば真水で地面から湧き出してる方がいい」
活火山の高熱が海水を蒸発させているのだろう。見下ろす火口付近は蒸気に隠れて詳しくは見えないまでも周囲を赤く照らしている。
初日に軽くした調査で上がっていた蒸気は、そのまま灼熱の大地が存在している証拠だと考えられる。
もしかすると溶岩が流れ込んでいるのかもしれない。
「ん? 海水が蒸発してるなら簡単に塩が取れるんじゃね?」
「ほう、大鍋で作らなくてよいのか!」
「焦げないように見張るのも面倒だからな。ちょっと後で見に行こうぜ」
「足りなければご用意しますのに」
「岩を掻くだけで塩が取れるなら輸出するのに便利だろ」
「着眼点はよさそうですが、そんなところに行けるのってルシル様だけですからね?」
「わっちも行けるぞ!」
腰に巻く帯を揺らしてミルムが主張するが、問題はそう簡単でもない。
火山では炎で酸素が奪われているため、呼吸することすら難しい。
むしろその熱に加えて一呼吸で絶命に至るような危険なガスも出ていることも思えば、どれだけ過酷な環境かがわかるだろう。
「もしもあんなところで体調を崩して立ち竦んだら間違いなく死んでしまいますよ。
それに溶岩はたしかに流れますが水ではありません。
流れが遅い反面、冷えて固まりますし、本質的には緩やかで静かに周囲を燃やし尽くす土砂崩れです」
「……言葉にすると思ってたよりやばいな」
「しかも溶岩が固まっていても一時的です。いつ溶けて崩れるかも、暴発するかもわかりませんし、かなり厳しいと思いますよ」
「そりゃ無理だな。でもせっかく火山があるなら何かに使いたいよな」
「地熱を利用できる場所があればサウナや温室、塩田なんかも作れそうですが……この島に工場作るのはちょっと違いますよね」
「休暇なのに働くのはちょっとな」
金勘定に疎いルシルだが戦闘で得た報酬は莫大で、余程何かをやらかさない限り食いっぱぐれる心配がないほどである。
ただ、ルシルが行う高額の買い物は管理を担当するシエルが払っているので、外野から見ると完全にヒモであった。
ともあれ今は温泉だ。しかしここまで登ってきても、湯気が上がるのは海ばかり。
どうにも地表には湧き出ていないらしい。
「それじゃその辺はおいおいってことで、適当に掘り返すか」
「地質とか気にしなくていいんですか?」
井戸も温泉も根本はおそらく同じ。地下の何処かにある水脈を見つけるのが第一だ。
しかし何処にあるかもわからないものを掘り起こすのはやはり厳しいだろうと素直な疑問がシエルの口を突く。
「ノリで出るだろ。考えるより感じろってやつだ」
「何故だかルシル様はできそうな気がして怖いですね」
「運はいい方だからな」
「つい先日追い出されませんでした?」
「痛いところを突いてくるやつだな」
「何処を掘るのじゃ?」
「んー……島の中心かな」
「何か理由でも?」
「源泉を掘り当てたとして、中心地ならどこへ流すにも便利だろ」
「流すのなら土地の高い場所の方がよさそうですね。それにいっそ拠点を移すのもありですね」
「あー……中心に母屋作って四方に別荘ってのもアリだな。海見ながらとか山の上で過ごしたいとか日によって思うかもしれんし」
「険しすぎませんかね……?」
「その時は野宿じゃないし、ちゃんとした道を敷けばいいだけだろ。今後のビジョンだよ。そんな真剣に考えなくていいぞ」
「とにかくもう一軒作るのだな?」
「いいや、経験を得た俺たちはもっとすごいのを作るんだよ!」
「おぉ!! 腕が鳴るぞ!」
馬上の騎士のようにルシルの背でミルムが腕を突き上げ、仲のいい兄妹のようにキャッキャと二人ははしゃぐ。
出会った頃の貧弱さは鳴りを潜め、むしろ逞しさが目立ってきたように感じる。
その間シエルは『母屋』に適した場所はないかと眼下を見渡す。
考えられる条件は、温泉を掘ったり浴槽を作ったり家を建てたりするので岩だらけは避けたい。
均さなくていいように平地がいいが、地面が土では木が生い茂って隠れているはずだ。
見えるところなら水を引けて排水も簡単な川が近いところ。ただし少し高くないと逆流の可能性もある。水路が配置できるか確認も必要だろう。
シエルが真面目に考えていると、張り切っていたミルムが途端に困り顔で「ところでルシル」と呼んだ。
「どうした?」
「何だか頭がふらつくのだが?」
「高山病じゃねえか!」
少しは逞しくなったかと思っていたが、ミルムはまだまだ変わらず貧弱で、三人は慌てて山を下りるのだった。
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