045主従は共にとにかく早い

 海を眺めるシエルが『もう少し定期便を増やさないといけない』と考えるのは現実逃避である。

 何故なら丸太を砂の奥深くに突き立て、潮の満ち干きに対応する高さに木材を渡して板を張った、れっきとした『桟橋』がいつの間にかあったからだ。

 シエルが初めて来た時、ベルンの舟屋を買い漁って戻ってきたとき、そして島に住み始めて三日後にアトラスへ渡ったときには絶対になかったはずだ。

 最後に島を出た時に船に乗り込むのに手間取ったので間違いない。


 だというのに、往復の定期便でシエルが戻ってきた本日、何故か桟橋が浜辺から海に向かって伸びていた。

 また、その桟橋の先には草木が開け、積み荷を検品するための広場があった。

 しかも恐ろしいことに垂直に突き立つ柱と日や雨を凌ぐための屋根が乗った休憩所まで完備である。

 荷物の受け渡しくらいならばここで十分成り立つだろう。


 驚く……というよりも呆然と立ち尽くすシエルの背後で、ミルムは得意気に腕を組んで胸を反らす。

 頭に乗るカラドリオスのヒナも真似ている。

 褒めろということだろうか……しかしアレを作ったのは間違いなくルシルだろう。


「ルシル様、どういうことですか」


「荷下ろしに必要だろ?」


「そんな簡単に作れるものでは……」


「そこなんだよなぁ。見た目は似せる自信あるけどさすがに強度まではなぁ。下手すると柱が沈むかもしれないし」


 少し……それもたった三日間、目を離しただけでこれである。

 温泉開発の件も決定からほんの数時間で掘り当ててしまい、かなり慌てることになった。

 余りに多くのことが起きたその日は、いかなシエルと言えど受け止めきれなかったので一度拠点に逃げ帰ったほどだ。

 翌日、改めて現地に向かい、調査と改修を行った経緯がある。

 何にせよ、ルシルに動揺などなく、ミルムは相変わらず元気にはしゃいでいたので、二人の異常なタフさに驚くばかりだ。


 ちなみに掘り当てたのは水で薄めないと入れない程度には高温の温泉で、今後は水路の確保が必要になる。

 計画も立てずに思い付きだけで建設しないとは思いたいが……と、桟橋を見るシエルからするといろいろ不安で仕方ない。


「……早急に大工を招き入れましょう」


 即断即決なのがシエルの美徳だ。

 しかしそんな者を入れるとやることがなくなるルシルは「自分で作る方が楽しいだろ?」などと難色を示す。


「誰かが怪我してからでは遅いですよ」


「む……なら見習いでもしようかな」


「わっちもわっちも!」


「勇者が見習い……」


 シエルはがっくりと肩を落とすも、休暇どころか隠居に等しいルシルは我関せずだ。

 ちなみに今回の船には契約を補助する人員が乗り込んでいるため、ベルンに戻ることなくヒナと契約ができるか確認できる。

 もはやシエルはルシルにオーランド国の地を踏ませない気なのかもしれない。


 ・

 ・

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 三日前、シエルは温泉発掘に沸き立つ二人を残してメルヴィを出た。

 溜まっていた商会長の仕事の処理とカラドリオスの契約を行う司祭を探すためだ。

 しかし彼女が向かったのはホームであるオーランドではない。対岸にあるアトラスだ。

 それもルシルに黙って向かう商談である。


 時間に余裕が生まれるようにオーランドからの定期便に護衛を忍ばせれば、一往復分の準備時間を短縮できて安全も確保される。

 大きな天候不順もなく一日ほどで到着したシエルは、そのまま王城へと足を踏み入れた。

 本来なら数カ月単位で待たされるはずが、準備のいいシエルはすでに前触れを出している。

 アトラス国王との謁見はあっさり通り、案内されたのは謁見に使われる大広間ではなく議論を練るための会議室である。


「アトラス王。お初にお目にかかります。バベル商会を任されているシエル=シャローです」


 恭しく膝をついてシエルは頭を下げる。背後には武器を預けた三人の護衛も、シエルと同様の礼をしている。

 どれだけの者が、従者……それも真価を発揮するのが荒事の護衛にまで、これだけ洗練された礼をさせられるというのか。

 アトラス王の比較対象は言うまでもなく自身の子供である。これだけの器量を侍らせる勇者ルシルに底知れぬ何かを感じる。

 バベルが擁する高水準の人材に軽い嫉妬を抱くアトラス王は、一瞬忘れていた口上を投げかけた。


「ここは非公式の場ゆえに楽にしてもらって構わない」


「ではお言葉通りに」


 意図を汲み取ったシエルは護衛を控室へと退出させた。

 ここに来るまでの護衛は必要でも、城に入れば『アトラス国の責任』になる。

 敵対しているわけでもないし、人が増えるだけ情報漏洩に繋がりかねない。

 そうして部屋に残ったのはアトラスの国王と宰相、それにシエルのたった三人だけ。

 テーブルを挟んで席に座り話を始めた。


「意図を汲んでもらえて幸いだ」


「暑苦しい護衛が何人も居ては話も進みませんからね」


「しかしそちらは一人だけ、かね?」


 巨大商会の重鎮とはいえ、たった一人で国と話ができるのか、と宰相が強気に攻めるがシエルが動じることはない。

 既に目的に至る商談の流れは決めていて失敗すら想定の範囲内。あとは叩きつけて帰るだけである。


「補佐官を連れて来てもよかったのですが、聞かせる者も厳選しなくてはいけません」


「……そんなに、かね?」


「少しデリケートなお話ですから。誤解は多大な損失になりかねません。我が主の言葉は世界に届いてしまう・・・・・・ので」

 

 そんなことはお首にも出さず、シエルはたおやかに笑んで魅了する。

 こほん、と咳払いを入れた宰相は即座に「……少し待ってもらいたい」とシエルを止め、壁を叩いてから話を続けさせた。


「情報漏洩はお互いのためになりませんものね」


 妖艶に笑うシエルに、宰相は背筋に冷たいものを感じる。

 シエルは『こちらは共も連れずに胸襟を開いたけど、そっちは違うらしいな。勇者のしもべ相手に舐めてんの?』と暗に告げていたのだった。

 何かカードを隠しているわけではない。むしろ前面に押し出しているくらいである。

 だからこそ訊くしかなく、聞かされてしまえば後戻りもできないと本能が訴えている。


「私の主は先日の式典で、魔王討伐の褒章にメルヴィをオーランドより正式に譲渡されました」


「そんな話は過分に聞いていない。何か思惑りゆうでもあるのかね?」


「わざわざ他国に身内の褒美を話して回らないだけでは?」


「国の端を与えて放置するのは隣国との摩擦をもたらすと考えるが?」


「主は個人であり、我々は一商会です。オーランドくにではありません。そのような確認は国家間で行ってください」


思惑りゆうを知らぬと?」


「無知、既知の話ではありません。国家に介入する商会があれば早晩潰されてしまいますからね」


 国家という背景をもってしても、シエルが出していいと判断したもの以外の情報を引き出すことは難しい。

 それに『顔が気に食わない』なんて真実を伝えても、間違いなく信じないのだから。

 ともあれ、諦めた宰相は「どうだかな」と息を吐いて話を進める。


「それで? 勇者の商会が出張ってきたということは……」


「はい。バベルはルシル=フィーレからメルヴィ諸島及び海域の使用権を『貸与』されています」


「身内間で貸与、だと?」


「アトラスは個人の持ち物を無償で利用できるのですか?」


「そういうわけではないが……つまりバベルとの交渉次第でメルヴィを通れると? だがあそこには霧が――」


「話が早くて助かります。たしかにこれまでオーランドとアトラス間には航行不能の霧の海域メルヴィがありました」


ありました?・・・・・・ 過去形だと?」


「おや、宰相様でさえ聞かされておりませんか。先日軍船の責任者が左遷されませんでしたか?」


 眉根を上げてどういうことだ、と問う。

 よくよく考えればあれほど扱いに困る海域を褒章として与えるなど左遷どころの話ではない。

 むしろ厄介払いの色合いが強いはずだが、勇者が激怒した話もなければ、他国へ渡ったという報せもない。

 つまり現状に満足しているわけで――


「海域の霧を晴らして出てきた陸地に住んでいて、そこへこちらの軍船がちょっかいを掛けた、と?」


「ご明察です。その件で我が主がお忍びで王に謁見させていただき見事な差配をいただきました」


「うむ、争うのは不毛だからな。勇者と和解できてこちらも胸をなでおろしたものだ」


「ふふ……度量の違いを見せつけられたとルシルは感心しきりでしたよ」


 王直々の差配による厳罰に何かあるとは思っていた宰相もこれには寝耳に水である。

 トップ同士で結ばれた密約は、たった数日ほどでナンバーツーによってあっさり暴かれ利用されてしまう。

 この勇者の商会長シエルから利益を引き出すのがどれほど難しいことだろうか……事前準備が何らできていない宰相は内心で頭を抱えた。


「ともあれ。メルヴィの霧が晴れた今、貿易は遥かに早く経費は膨大に浮くでしょう。その利益の一部を我々にお支払いいただければ、ですがね?」


 やはり余裕のある笑みで条件を投げ始めた。


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「ふぅ……少し時間が掛かってしまいましたね」


 交渉のために王城に出向いている間、シエルの胸元に隠れて大人しくしてくれていたヒナの頭を撫でながらそんな呟きを漏らす。

 いくら無力な子供とはいえ肝の太いことをするものであるが、ヒナが離れようとしないので苦肉の策だった。


 ともあれ大筋で合意にはありつけたので後は内容の詰めくらい。

 それらは優秀な現地スタッフにお任せして、シエルは当初の目的を果たすべく、アトラスの王都の散策を始めた。

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