040シエルは〇〇の嫁
ルシル一人であればどんな状況下でも生還も迎撃もできるが、他者を守るのは勝手が違う。
純粋な距離の差にルシルの背にぞわりと冷や汗が滲み、恐らく生まれたばかりのヒナを袋ごとミルムの手から強奪して一気に川の中ほどまで離れた。
親は頭を落とした。このまま少しでも力を入れれば握り潰すことも可能だろう。
しかしヒナはルシルに我関せずで、それぞれがミルムとシエルに向いてピヨピヨと鳴いていた。
「……何だ?
「恐らくですが、刷り込みというものでは……」
「親だと勘違いしてるのか」
「ならばやることは一つだな!」
どちらにせよルシルでしか対処できない危険な魔物である。
無力なヒナを殺すのには少しばかり抵抗はあるが、このまま放置はできない以上はミルムの言う通り手は一つだけだ。
「卵を逃したのは残念だが絞めて肉にすr「ちっがーーう!」なんだよ?」
「育てて肉にするのだ! わっちらを親だと思うておるのなら問題あるまい!!」
「危険すぎる。いつでも守れるとは限らない」
「親殺しをするヒナがどこにおる!」
「魔物の生態ってのはほとんどわかってないんだ。刷り込みってのもただの予想だろ?」
「はい。特にカラドリオスなんて狩ろうとか育てようという話になりませんから……」
「気配は追えず、毒も効かないって人の天敵みたいなもんだからな。かろうじて罠って手もあるが、ツガイで居るから大体外される」
捕獲するのも難しく、できたところで隠密性が高すぎて観察も世話もできない。
逃げられれば間違いなく人側が捕食されるとなれば研究が進むはずもなく……と否定を重ねるルシルは自分以外の安全策に余念がない。
「少し試したいことがあります。私たちを親だと思っているヒナにそれぞれ首輪を掛けましょう」
「首輪とな?」
「ヒナの時期の庇護を対価に、成鳥まで育ったなら逆に守ってもらうという魔術契約を交わすのはどうでしょう?」
「そうした契約は魔力を対価に精霊と交わすものだろう? 動物……いや、魔物相手に上手くいくのか」
「どうでしょう。やってみる価値はありそうですが……破棄されたときはルシル様が何とかしてくれますよね?」
やり取りがわからないミルムはぽかんとしている横で、シエルはにこやかで穏やかな笑みをルシルに見せる。
詰めていた息を吐き、握る手を緩めると、袋からヒナが飛び出し川に落ちて流されていく……のをルシルが優しく拾い上げた。
誰でも何物でも破壊しうる力を持つ彼が、気に入らないからと暴力を振るえば誰も止められない。
だからこそルシルは自制して力を振るう先を厳選する。たとえばそれは自分や身内を害する相手だ。
そしてこのヒナは……少なくとも今は単に好意を寄せているだけ。危害など与える素振りはなく、ルシルが命を刈る条件には届かない。
しかし魔物は人では抗えない暴力だ。
何を条件にいつ豹変するかもわからない。もちろん安全策の取り方も不明だ。
だから食べるためでも素材を得るためでもない気の進まない殺しをしようとした
そして打開策まで見出すシエルの強さを毎回痛感させられる。
「……はぁ。シエルにはかなわんな」
「ふふふっ……ルシル様のためですから」
川を渡って手渡されたヒナの一羽を胸元に寄せて自信あり気に答える。
実際そうなので何も言えず、頬を掻くくらいしかできないルシルの横ではミルムがヒナを肩に乗せてキャッキャしていた。
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ちょっとしたハプニングがあったこととは別に、絶品だという唐揚げを食べたいとごねたミルムのために拠点に戻ってきていたのだ。
火起こしはルシルのフィンガースナップではなく、シエルの魔術で落とした火種によって調理は始まった。
まずはカラドリオスの肉の下処理だ。
腱を切って剥がすとふわりと花開くように肉が解れていく。
しっとりとした肉に生姜醤油を掛けて軽く混ぜてなじませる。
その間に薄く切った肉を皿に載せて「これが生ですね。一度そのままで食べてみてください」と二人に出す。
言いつけ通りに食べた二人は思わず仰け反った。
「やわらかっ!」
「うまっ!」
歯を受け止め包むようなしっとり感。
そして薄ピンク色の肉に隠れた脂が濃厚な甘みを伝えてくる。
これだけでも十分に美味い。しかしその奥でわずかな物足りなさが――
「ではこちらも少しつけてみてください」
付け合わせの調味料は塩、ニンニクスライス、そして醤油である。
好きなものを付けて食べろと言われ、よだれを垂らしながらやはり言いつけを守って少量付けた。
「ぬぁ!?」「おぉぅっ!!」
それぞれの感嘆の声が上がる。
塩を付けたルシルはキリっとした辛みを凌駕する強い甘みを。
ニンニクと一緒に食べたミルムは、鼻を突き抜ける香りの中に調和を見出す。
二人はがっつきたくなる衝動を抑え、ゆっくりと咀嚼し飲み込んだところでシエルが囁いた。
「組み合わせは自由ですよ。何なら全部でも構いません」
目を見合わせた二人は、鍋に油を入れて熱しながら微笑むシエルの言葉通り、二種類、三種類と組み合わせを試して生肉を減らしてく。
切っただけでこれだけ美味いのならば、唐揚げはどれほどのものになるのか……。
ひと段落入れた期待に身体を疼かせる二人の前で、シエルは盛り付けに取り掛かっていた。
シエルが手早く作ったのは、カラドリオスの唐揚げと知らぬ間に骨からダシを取ったスープ、主食にフライパンで焼いた薄いパンだ。
これに彩りで持ち込んだ生野菜を使用したサラダが真ん中に置かれ、ドレッシングが別皿で数種類だ。
ごくりと誰かの喉が鳴る。そして食べてよし、とシエルが微笑んで頷いた。
「外カリカリ、中しっとり、味付けばっちり!」
「うんめーーー!」
「シエルの料理は完璧じゃ!」
「ほんとにな。俺らの作る適当ワイルドクッキングとは大違いだぜ!」
「これだけ調理器具と調味料があれば誰でも作れますよ」
「いやいや。食材の味に依存しまくってる俺らでは無理だ。ミルムなんて何かあればすぐにシャークボルトを食わせろって言うんだぜ?」
「アレは別格じゃ馬鹿者!」
彼女は商会運営だけでなく家事でも万能性をいかんなく発揮する。
その結果がこの語彙力のない評価だ。困ったものである。
「ていうかヒナまで食ってるじゃねーか!?」
共食い。それは同族で食い合うという嫌悪すべき所業だ。それが親族……いや、親であればどうだろうか。
ミルムの食べこぼしを突いているのにルシルが思わず目を剥くも、そんな倫理観はあくまで人の枠でしかない。
「美味いものは皆で食した方がよかろう!」
「いや、落としただけだろ! 共食いだってばそれ。むしろ親食ってんぞ」
「自然界では子や卵を食べる親も居るのでなんとも……ルシル様の方が詳しいでしょうに」
「そういう真実は伏せて生きていたかった!」
「美味いものは美味いのじゃ!」
三人と二羽でピーチクパーチク騒いでも、無人島では誰にも迷惑は掛からない。
奪い合うように肉を取る二人は、油まみれの口を流すように濃厚なダシが出たスープにも手を付ける。
それだけで食が進むスープを飲み干したくなる衝動に抗いサラダを口に入れていると、ここでシエルによって食文化の革命が起きた。
薄パンを手に取り、サラダを敷いて唐揚げを乗せ、その上からドレッシングをひと掛け。
残っていたニンニクスライスも添えてくるくると器用に巻いて……パクリと食いついた。
二人は余りの出来事に、もくもくと静かに微笑んで咀嚼するシエルを唖然と見守る。もはや釘付けである。
いそいそと軽く震える手で薄パンを取り、同じようにくるんで口に運んだ。
「肉が急にさっぱりしたぞ!」
「ドレッシングで味が変わるとか最強じゃね?!」
衝撃が脳天を突き抜ける。
瑞々しく新鮮なサラダがいかに素晴らしくとも、やはり唐揚げには劣ってしまう。
そうして唐揚げばかりが減っているが、それもそろそろ飽きも来る頃だった。
ところがどうだ。
全部を巻き込めばバランスよく食べられるばかりか、濃い味付けが爽やかになり新たな食感が加わる。
それもドレッシングだけでなく、塩、醤油、ニンニクの有無でも味が変わる。
それぞれ単品でつまんでも、手軽に巻いて一緒に食べても美味しい優れモノ。
味も量も用意でき、シンプルだが素材の味を存分に楽しめるものに仕上がっていた。
「急ぎでなければもう少し種類も用意できたのですが……」
「これ以上が出てくるだと?!」
「ダメダメ。ミルムを甘やかせるなよ。こいつそれでなくても食い物にうるさいんだぜ?」
「働いたわっちが飯を食うのは当然の権利じゃ!」
「求めるものが高すぎるって言ってんだよ」
「私の料理はそんなに気に入っていただけたのですね!」
「うむ! シエルはわっちの嫁じゃな!」
「えーーー……」
シエルは『相手が違う』と言いた気なジトっとした視線をミルムに送る。
しかし真昼間から望外の食事にありつけたルシルは気付かず、舌鼓を打って消費していくのだった。
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