039ブラッディチキン
「シエル大丈夫か!」
「はい、え――」
「そうか、よかった。ちょっとまずいことがわかってな」
「おぉ、この短時間で草が刈れておる! シエルもやるではないか!」
「ホントだな。ってそうか。魔術使えるもんな。風属性で木を切るのは難しくても細い枝とか薄い葉なら問題ないのか」
「ぐぬぬ……わっちの領分が侵されておる!」
「そういやミルムも最近じゃ鉈一本で同じような事できるもんな」
急いで戻ったような雰囲気の二人は、出発した時と同じように背中越しに和やかに話している。
シエルの顔を見て安心したかもしれないが、当の本人はそれどころではない。
余りの光景に絶句していた彼女は、手に持っていた草やロープを放り出し、
「血だらけでどうされたんですか!?」
とようやく血相を変えて再起動を果たしたシエルが叫んで飛んで来た。
シエルが駆け寄ったルシルは、白い大きな塊をロープで背中に固定していて、その上にミルムがちょこんと乗っていた。
もちろん落ちないようにミルムの手にはロープが巻き付けられており、その先は何故かルシルの首に引っかかっている。
そして最もシエルが驚いたのは、ルシルの太ももから下が血にまみれ、立っているだけでも地面を濡らすほどだったのだ。
これで驚くなと言う方が無茶である。
「ん? あぁ、これか。カラドリオス捕まえたから急いで戻って来たんだよ」
「全然説明になってませんよ!」
「養殖しようかなって思って生け捕りにしたんだけど、こいつら強くて気配ないから危ないだろ?
ちょっと無理そうだから首を落として逆さに吊るして血抜きしながら持ってきたんだ。肉に血が混じると味が悪くなるからな」
「そんなことはどうでもいいんです! とにかく無事なんですね!?」
「どうで……あ、もしかして血も必要だったか? たしかに蛇とか亀の血って滋養強壮に良いって言うしな……」
「なんじゃとっ!? 無駄にするとはもったいないではないか!」
「さすがに血は美味くないと思うぞ? でももったいないのはその通りだな」
「……拾いに行くか?」
「液体は拾えないって。無茶言うなよ」
シエルの深刻そうな空気を察することなく、やはり和気藹々と続けながらルシルはミルムを地面に下ろす。
その足には真新しい登山靴が履かれている。ようやく制限なく移動できるということで、シエルからもらった服の中でミルムの一番のお気に入りだった。
それももう今朝までだ。森を歩いて土を付け、草を蹴って汁に汚れ、今では血を踏みつけている。いくら汚れるものだとしても余りに早い。
本人が気にしていないならいいのだが――
「そういう意味で「靴がぐちゃぐちゃじゃああ!!」」
「そりゃ森を歩けば汚れるだろ。気になるなら洗いに行くか?」
「……大丈夫そうで安心しました」
「うん? あぁ、やっぱりこんなもの出てきたら驚くよな。こっちこそシエルが無事そうでよかった」
「まさかそのために急いで戻られたんですか?」
「そりゃカラドリオスなんて出てきたらな……俺が来たからには安心していいぞ」
あの勇者が自分だけを守ってくれる。
シエルは感動して「そのお言葉が聞けて安心しました」と頬を染める。
しかしルシルは太ももから下がカラドリオスの血でドロドロで、すぐそばではミルムがへこんでいる。
なかなかカオスな状況である。
「うぐっ、わっちのお気に入りがぁ……ルシルぅ、綺麗になると思うか?」
「やってみないとわかんないけど、服なんてすぐ汚れるもんさ。今まで気にしなかったのに変な奴だな」
「むぅ……そうかもしれぬがまだ心の準備ができておらん」
「しかし伝説の幻獣が物欲に負けるってやばいな……あれ、これシエルが最強って流れじゃね?」
「行くぞルシル!」
「そう急ぐなって。はいはい。お嬢様。シエルもちょっと早いが昼飯がてら行こうぜ」
「ここで作るのでは?」
海側の庭に設置されているかまどを指差して
すると
「サバイバルってのは何処ででもやるもんだぜ」
野性味のある笑みを浮かべて彼女を誘うのだった。
・
・
・
「ルシル! 早く来て洗い方を教えよ!」
「それが教えを乞う態度かよ。とりあえず靴に石詰めて水流に晒しとけ。渇くとこびりつくからな」
「こうだな! わかった!」
「靴流すんじゃないぞ。しばらくしたら取り出してちょっとこすれば大体落ちる。無理なら諦めろ」
「ちゃんと石鹸ありますから! って何脱いでるんですか!」
「水に濡らさないためだが?」「ズボン洗うためだけど?」
服を脱ぎ散らかしたミルムは全裸、それを拾うルシルは汚れのなかったパンツ一枚の姿で不思議そうにシエルに返事する。
なるほど、サバイバル下で羞恥心など育つはずがない。
ルシルが無防備なのは今に始まったことではないが、今でさえなかなか刺激が強いのに、もしも下着まで汚れていたら……?
叫んだシエルはチラチラと視線を彷徨わせながらも、優秀な頭脳でその光景を脳裏に焼き付けるのに忙しかった。
「とりあえず川に浮かべて血抜きながら羽毟るか。ミルムできそうか?」
「鳥が浮くとは思うが流されそうじゃ」
「なら木に足を括り付けて吊るすか。固定できれば毟るのも楽だしな」
いいこと思いついた、とルシルが口にした時には既に大木がシエルの頭上に倒れて来ていた。
直撃すると身を屈めたシエルの手前でルシルが支え、転がる岩の間に転がし川を渡すように固定する。
手早くロープを引っ掛け、二羽のカラドリオスの足に括り付けてグッと引っ張り強度を確かめた。
これで余程のことがなければ流れることはないだろう。
上流側に移動して満足気に腰に手を置くルシルは「そんじゃ頼んだぞ」とミルムに任せれば、太鼓のように「心得た」と軽やかな返事が返される。
パンモロと手際の良さ、それにワイルドな解決策に頭が追い付いていないのに、ルシルは平然と「シエルもやるか?」と問うて来た。
焦ってどもりながらも反射的に「え、あ、はい。やってみます」などと言ってから気が付いた。
――これは私も脱ぐ流れ!?
シエルは衝撃に固まった。
普通は人前で服など脱がないという常識と、押し掛けた側の自分が文句を口にするのは間違っているというマナーがせめぎ合う。
羞恥の心は持ち合わせているので肌を晒すのはありえないが、ルシルが相手なら構わない。
ルシルだけでなく自分まで裸体になるならこの後どうなることやら……。
しかし、同時に裸身で関心を惹ける自信は一切ない。そうでなかったらわざわざ男装を試みることもなかったはずだ。
適齢期で。主従関係は。男女の。裸。
濡れてしまう。服を脱ぐ。毟る。洗う。触れる。冷たい。美味しい。
単語にまで分解されてはもはや何のことかもわからない。
ぐるぐると回る思考の連理は、出口のないまま優秀な頭の中で駆け巡る。
「川が怖いからってそう悩むなよ。そんな時はミルムに頼めばやってくれるって」
「うむ! わっちに任せろ!」
「え、あ……そういうわけでは……?」
「そうか? そうそう、カラドリオスってなんか気を付けないといけないことあるか?
討伐とかはやったけど処理って他の魔物とかと同じなのかね? やっぱり羽根って残した方が良いのか?」
ポーカーフェイスの下で激しく動揺していたのを知らないルシルは衣服を持って川に入り、素材鑑定のスペシャリストをアテに質問を投げかけた。
ザバザバとすすぐ姿を見て心の底から本当に『人の思いも知らずに』なんて苦笑し、聞き耳を立ててるミルムに向けて説明を始めた。
「羽根は根元から綺麗に抜いてください。洗って干せば何にでも使えます。
弾力性・保温性・防刃性・静穏性に優れる天然素材で、クッションや布団、防寒具に最適です」
「え、防刃ってこいつら刃が通らないのか?」
「硬いというよりは滑ると考えていただければ。当然のように摩擦にも強いですよ。
その反面、生息域が魔力濃度の高い地域に限られています。共食いもする肉食で、一度に産む卵の数も少なく個体数が簡単には増えないのが幸いですね」
「こいつらが何処にでも出てきたら人なんて絶滅してるだろうな」
「そうなのか? ルシルはあっさり首を握っていた記憶があるが?」
「俺を物差しにしない方がいいぞ」「ルシル様は特別ですよ」
肉体面も精神面も。人の脆弱性をよく知る二人は口を揃えて例外なのだとミルムに告げる。
とはいえ、ルシルしか知らなかったミルムも、シエルという新たなサンプルを得ている。
その辺りを比べれば多少は人の枠がわかるというものだ。
「とりあえず毟った羽毛は集めた方がいいな。布とか持って来てたか?」
「はい、袋も持ち込んでいます」
「相変わらず抜け目ないな。俺が楽できちまう」
「えぇ、ぜひぐうたらしてください。私が養って差し上げますよ」
「たしかに。バベルの責任者に言われたら説得力ありすぎるわ」
「貴方はその所有者ですけどね。ミルム様、尾羽は別で取っておいてください」
「特別何かに使えるのか?」
「いいえ。むしろ飾りにしか使えません。けれどだからこそ希少価値が高いのですよ」
「宝石みたいなもんか。モノ好きは何処にでも居るってことだな」
うんうんと頷くルシルは「きっと違うと思いますよ」と笑うシエルから受け取った袋をミルムに渡す。シエルが渡すには川に入らないといけないからだ。
川の流れに揺れるカラドリオスはミルムの手によって毟られ、羽根が少しずつ袋に溜まっていく。
それに特別だと言うならばもっとすごいものがある。
「気を付けないといけないのは首元の袋です。特にオスのものは『
「まさか破ると病になるのか?!」
「少し違います。空っぽの時は病を取り込み、入っている場合は他者に移せる優れモノなんです。
カラドリオスはこの性質を利用してツガイと毒や病魔をやり取りして、年を経るごとに強靭な耐性を得ると言われています。
ちなみに袋に入れていた麻痺毒を獲物に渡して狩る、なんて狡猾な手段を用いる個体の発見例もあるのにルシル様って本当にすごいですよね」
「まぁ、俺は身体強いから基本風邪ひかないしな」
「そういう問題ですか」
「メスのはなんじゃ?」
「そちらは卵を孵すための袋です。カラドリオスは狩猟するので、巣を作るより卵を持ち歩く方がよかったんでしょうね」
ほどなくして毟り終えたミルムは、どうだと言わんばかりに袋詰めされた羽根を持ち上げた。
川岸に居るシエルに渡すとすぐに自分の靴に取り掛かる。丸裸のカラドリオスの解体はルシルの役目である。
「肉も美味しいですが、腱を傷付けないように気を付けてくださいね」
「ほっとくと硬くないか?」
「内側に折り畳むような作りになっているので腱を切ると開いて邪魔になります。あと食べたことはありませんが生でもいけるそうですよ」
「たしかに危ない感じはしないな」
「絶品なのは唐揚げです。油もあるので食べてみたいですね」
「一気に豪華になるな!」
血は川が押し流してくれるので、気にせず小刀を翻してするすると腹を開いていく。
シエルが取り出したバケツに
「これどうするんだ?」
「処理の方法までは知らないので少しもったいないですが喉ごと外してもらえますか? 次の船便で加工に出します」
「せせりって美味いんだけど仕方ないな」
「美味い、だと!?」
「ミルムは食い意地張りすぎだ。大人しく靴洗っとけって。首筋側は残しとくから」
「本当だな? わっちに食べさせないなど考えられぬからな!?」
「はいはい。それより袋は別の方がいいよな。ミルムちょっと取りに来てくれ」
パシャパシャと川に入って受け取るのはどう見ても肉の塊だ。
一応くぼんでいるようにも見えるので袋なのだろう。ミルムは落とさぬように慎重に運び、シエルに渡した時に事件は起きる。
突然動き出した袋に驚き、二人して「ぬお?」「きゃっ!」と声を上げてお手玉してしまう。
そしてその袋からは――
「ぴよっ!」「ぴゅー!」
黄色いヒナが首を出したのだ。
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