028一夜の伝説

 王がジタバタと暴れたところで柔らかく添えられただけのようなルシルの手は微動だにしない。

 どうあっても外すのは無理だろう。


「害する気はない。落ち着いてくれ。声を上げないと誓うなら手を放そう」


 ルシルの声は何ら変わらず軽いまま。むしろその軽さが自身の命と同等に感じられ、状況のわからない王がガクガクと頷いた。

 了解を得られたことで手を離す。バッと慌てて振り返った王は、いつかのお披露目で見た勇者が佇む姿に改めて驚愕してしまった。


「声を上げないとはさすが王の器だ」


「冗談を言うでない。貴殿が本気なら我が声を発するより先に首が飛ぶであろう?」


「お忍びで来た甲斐があるよ」


「して、この乱暴な訪問は何事だ? 事と次第によってはオーランドの勇者と言えど噛みつかねばならぬぞ」


 礼儀とは、外交とは。

 武力による解決を持ち込んだ相手が吹けば飛ぶ道義でも、意地は突き通さなくてはならない。

 震える身体を叱咤して気丈に振る舞う王は敵意を見せた。


「わかっているさ。しかしね、俺の土地に土足で踏み込んでくるばかりか、奪おうとされればさすがに黙っていられないだろう?」


「わざわざこんな時期にオーランドを狙うわけなかろうが」


「てことはやっぱりあいつの独断か? まぁ、誰がやっても責任を取るのは上の役目だな」


「何を言っている?」


「俺は先日、メルヴィ諸島をオーランドから割譲された」


「メルヴィ? 諸外国に名高い霧が蔓延する魔の海域を?」


「あぁ、厄介払いかと思って憤慨したんだが、霧を晴らすとあちこちに島が点在してたんだよ」


「勇者は魔の海域まで制圧するのか」


「たまたま道具が揃っていてね」


 明後日の方向に向かう話とルシルの変わらぬ気楽さに、王のわずかに緊張も緩む。

 だからこそ不敬にも王を前で欠伸をする、左腕に抱えられたミルムがものすごく気になっていた。

 聞くに聞けない王は「それでメルヴィがどうしたのだ?」と話を進める。


「アトラス王、貴国の軍船が侵略してきたぞ」


「馬鹿な……ただの現地調査ではないのか?」


「最初はその名目で交渉を持ち掛けてきたな」


「では――」


「断った途端、ポターニン……軍船の指揮官は、アトラスくにの名を出してメルヴィおれに戦争を吹っ掛けて来た。

 そしてまともな武装をしていないおれと、年端も行かない子供ミルムを相手に、十人の騎士で囲って口封じをする気だった」


 緩んでいた空気が一気に重く冷たいものに変わり、王の喉が引き攣り声がれて出せない。

 国に命を捧げて金を受け取る騎士たちが戦いで死ぬのは仕事だろう。

 しかし領土侵犯を正当化するために、ただそこに住むだけの者を皆殺しにするのは話が違う。

 そればかりか、たとえ負けても自身の身分から殺されないと高を括った、一方的な虐殺を命じてさえいる。


 相手が勇者ルシルでなければ、きっと何事もなかったかのように闇に葬られていたはずだ。

 誰にも気付かれず、新たな土地が血によって地図に書き加えられていただけだろう。

 これでは魔族領に侵攻してまで勝ち取ったわずかばかりの平和さえも疑わしいと無力感に苛まれる。

 勇者なんてもてはやされても、できることなど戦うことだけなのだと思い知らされる。


「警告は今回限りだ。俺に『武力解決』を選択させるな・・・・・・よ」


 押し殺されたルシルの声が耳に届く。

 王は一向に治まらない肌のざらつきを無視し、渇きに喘ぐ喉を無理やり動かし「もちろんだ」と何とか声を絞り出す。

 その言葉に空気が急激に軽くなり、今さらになって王の身体から汗が大量に吹き出す代わりに少しだけ余裕を取り戻した。

 もちろん、勇者の言に嘘はないと思っているが、王として脅迫に屈するわけにはいかない。


「帰港次第、説明を求めるとしよう。頭越しの処分となりそうだな」


「そうしてもらえると助かる」


「しかし責任者二名で足りるのか?・・・・・・


「あれは指揮官の暴走だろう。副官はまともだったから、巻き添えを食らってしまうのは後味が悪い」


「何だね、人事にまで口を挟む気か?」


「まさか。だが俺と対等に話せる士官は貴重だと思ってね」


「……ふむ、一考しよう。進言に感謝する」


 話は終わったと、ルシルは手をひらひらさせて「このことはお互いに内密にな?」と部屋を後にする。

 残された王は完全に抜けた緊張感に、息も絶え絶えがくんと膝をついてうなだれた。


「オーランドの勇者か。あれには勝てんな」


 放心する王はそれだけつぶやき、自身を奮い立たせる。

 わざわざ口止めしていたが、最も警備の厳しい城内の、それも王の居室に勇者が顔を出すなど口が裂けても言えるわけがない。

 それはつまり『勇者は単騎でアトラスを落とせる』と、被害国として証明することと同義である。

 勇者の異常さと共にアトラス国の脆弱さを晒すことになり、非常に重大な汚点にしかならない。誰が好き好んで口を割るというのか。


 とにかくまずは城内、そして敷地内の被害状況の確認から。

 加えて侵入経路の特定に、警備体制の見直しや軍備の増強にまで口を挟まねばならないだろう。

 しかしそれにどれほどの効果があるだろうか……個人で運用されるには大きすぎる戦力に頭を悩ませる。

 それもこれも――


「たかが将校風情がやってくれたな……」


 たった一手でここまでの窮地に追い込んでくれた指揮官への怒りで奮起させた王は、命令を下すべく腰を上げた。

 あんなもの、人ごときが抗えない天災だ。いや、会話が通じて思考する分、他者の思惑が反映されて天災よりも遥かに質が悪い。


 勇者が本気になれば誰の首を掻くのも簡単だろう。であれば自身の命は諦めた上で手を打つしかない。

 まずはオーランドとの関係をどう取り持つべきか……アトラス王の頭の中では様々なことが過ぎっていく。

 そして――驚愕するにはまだ早かったと知らされるのであった。


 ・

 ・

 ・


 訪れたときと同じように、城の廊下を悠然と歩いていく。

 邪魔する者、できる者など何処にもいない。

 後に残るのは死屍累々の警備兵たちと、完全敗北に打ちひしがれるアトラス王だけである。


「いいか、ミルム。あれが王だ。力でねじ伏せるばかりが世界じゃない」


 外交という名の脅迫を終えたルシルは、得られた成果を腕に抱くミルムに語る。

 さすがに気軽に国を潰すわけにはいかなかったので、退いてくれたアトラス王の評価はルシルの中で爆上がりだったりする。

 しかしそこは社会情勢や群れのトップを知らぬ一匹狼ぼっちの幻獣は、一刀両断で「震えておらなんだか?」と辛辣な言葉で迎え撃つ。


「言葉一つで殺されるような状況なら当然さ。それでも平然を装って対等に話しただろう?」


「ふむ、見栄っ張りということだな!」


「王様が聞いたら間違いなくブチギレ案件だな」


 ルシルはケラケラ笑いながら断崖を跳んで帆を広げ、翠扇すいせんを振って空を駆ける。

 ただの思い付きだけで空を飛んだルシルは常識外れだが、そこから得られた内容もおかしなものだ。


 たとえば腰にロープを結ぶと、頭とミルムを抱えている分だけ上半身が重くなり、何もしなければ逆さ吊りになってしまう。

 もちろん、ルシルがそんなことを許すはずもなく、姿勢を無理やり安定させていたわけだが、大変なことには違いない。

 そこで足にもロープを引っ掛けられるようにし、上体が持ち上げやすく改良を施している。

 それでも空に身投げするような運用は、大半の人類からすると『頭がおかしい』と唖然とするだろう。


 ともあれ、ルシルの武力を背景に、メルヴィへの不可侵を確約させた。

 内容は大したことはないが、この密約は国外と初めて結んだ外交であり、これにより本人とは与り知らぬところで密かに『国家』として認められてしまったのだった。


 △▼△▼△▼△▼△▼△▼


 アトラスの城にはこんな伝説が残っている。


 それはある明るい月夜のことだ


 王城の広く冷ややかな廊下に、若い男と幼い少女の語り合う声が聞こえてくる


 その声の強弱や反響の具合から、ゆっくりと移動していくのがわかったのだという


 しかし不思議な事に、歩き慣れた兵士ですらも足音がする、大理石の廊下で聞こえるのは声だけだ


 警備を任されている兵士は不安を抱えながらも姿を改めるため、声の聞こえる方向へ急行した


 ―――コッ、コッ、コッ


 やはり抑えようとしても自身の、そして同僚の足音を響かせてしまう


 あともう一歩、次の角を曲がれば声の主が見える位置に……そこで兵士の意識は途絶えた


 それは知恵の回る宰相でも、か弱いメイドでも、屈強な近衛兵でも変わらない


 ある者は廊下で、ある者は自分の部屋で、そしてある者はドアに背を預け…………


 兄妹のような二人の掛け合いに、近付けば同様の結果が待ち受けていた


 そんな不思議な月夜も王様の声によって終わりを告げる


 どうやら全員が『同じ夢』を見ていたらしく、その後楽し気な兄妹の声が聞こえることはなかったそうな

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