027暗殺の心得

 鳥でもないのに空を移動するなんて離れ業ができるのは、類稀なる体力とバランス感覚に加え、翠扇すいせんなんて非常識な道具を持つルシルだからだ。

 どちらか一つが欠ければ実現できない奇跡の所業に感動する者はここには居ない。

 むしろ忙しく扇を仰いでバランスを維持するルシルを尻目に、退屈の極致に至ったミルムは随分前からご就寝である。

 クラリスから餌付けされたのも効いているのだろう。


 そうしてそろそろ日も水平線に陰り始めたころ。

 オーランドから船で霧の海域メルヴィを迂回して一週間ほど掛かるはずのアトラスが、わずか半日で見えて来た。

 つまりメルヴィを保有しているだけで二国間の貿易が数日縮まるわけで、これだけで立地のよさがわかるというものだ。


「ミルム、そろそろ起きろよ」


「ん……なんじゃ、飯か?」


「俺ばかり働かせてよく言うぜ」


「まさかっ、今日は飯抜きなのか! 生死にかかわるぞ!」


「そんな非道はしねえよ。それでそろそろ降りようと思うんだが、着地ってどうしたらいいと思う?」


「考えなしじゃと?!」


 まさかの事実を告げられたミルムは衝撃に打ち震えたという。


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 難攻不落と名高いアトラス国が抱える王城は、高い波が打ち寄せる断崖絶壁が背面を守り、正面は見晴らしのいい下りの平野だった。

 陣を敷くには最適かと思いきや、城に向けて上りの傾斜が速度と体力を削ぎ、高い城壁から降り注ぐ矢や魔法に晒されては前に進むこともままならない。

 未だかつて落ちたことのない城として名を馳せていた――のも今は昔。今夜で終わりを告げる。

 何せあの勇者が単身で……いや、お荷物ミルムまで抱えて乗り込んできたのだから。


 一度は空からの侵入も考えたが、やはり遮蔽物がなければ簡単に見つかってしまう。

 たとえ迎撃することは容易くとも、勇者の肩書きを使う気のないルシルに利はないが、代わりに難攻不落の絶壁を抱える城は、非常識な方法を使うには好都合だった。


 着地に悩んでいたルシルは、飛び立った逆をすればいいと思い至る。

 それは伸びきっていたロープを空中で手繰り寄せて帆を潰し、夕闇に紛れてアトラス城の近くの海に落下することだった。

 思惑通り、くるくると手早く巻き取り帆を畳んだルシルは、着水と同時に海上を走り切り、白波が上がる絶壁にがしりとしがみついた。

 無謀すぎる作戦を、汗一つかかなかったルシルは額を拭って「ふひぃ。意外といけるもんだな」などと成功をうそぶく。


「馬鹿者! いきなり落ちるとは肝が冷えたではないか!」


「何も案出さなかったくせに態度がでかいぞ?」


「宙に浮くだけでも驚いたのに無茶を言うな!」


「そりゃそうか。俺も初めてだしな。いや、でもお前さっきまで寝てただろ」


 幻獣の割に肝が小さいらしい。いや、ルシルが無駄に太いのだろう。

 波は高いものの、船があればここへ来るのもそう難しくはない。

 警備の手薄な……いや、必要のない断崖絶壁の海側からの侵入は誰もが考える策である。

 それでもなお難攻不落と言うのは海側に反り立っていて、装備を整えた者が登りきるには余りに高すぎる。


 しかしそれも常人の話。

 ルシルは構わずミルムと帆を抱えたままずんずん登り、城の背面から侵入を果たす。

 まさか純粋な力業攻略されるとは誰も思わないし、居たとしてもごくごく一握りの個人に絞られる。

 そうして苦労して登った先にあるのは単身での無傷の城攻めである。

 どう考えても勝てる戦いではないが、暗殺者ゆうしゃに限った話であれば、単に本領発揮が始まるだけだった。


 硬質で艶やかな大理石の通路は、敵味方の区別なく平等にコツコツと足音が響かせる。

 裸足でさえ注意をしなくてはぺたぺたと音を立て、その硬さから長時間歩くのは苦痛を伴うほどなのだ。

 そんな誰かの存在を知らせる人工の防犯装置であっても、ルシルが歩けば平然と無音のまま進めてしまう。

 そのくせ緊張感のないミルムと他愛のない会話を楽しんでいた。


「なんとも大きな家じゃな」


「家ってか城なんだけどな」


「何か違いがあるのかの?」


「家は生活するもの。城は生活もするけど、主に戦うための拠点だな」


「家の上位互換なのか」


「ちょっと違う気がするけど砦よりは家かもな」


 たしかに足音はない。

 しかし抑えられることのない声は、深夜になって人の少ない城内に小さく広く響いていく。

 警備を任されている者はこぞって兄妹のような声を聞いて駆けつけるも、問題の通路に顔を出した瞬間から意識が途絶える。

 そうしてルシルが通った後には警備たちが死屍累々と倒れ、状況の異常性だけが静かに、そして着実に広がっていった。


 散歩のように二人は王城内を悠然と歩みを進め、ついに護衛が立つ王の居室らしき部屋に差し掛かる。

 二人の声に気付いた護衛がルシルたちに視線を向けて捕捉するより早く、勇者は手に持っていた小石を奥の壁に飛ばして音を立てて注意を逸す。

 そんな意識の空隙にぬるりとすり寄ったルシルは、瞬時に護衛の意識を刈り取り大理石の床に音を立てないように転がしてしまう。

 抱えられていたミルムでさえ何が起きたかわからない早業に感嘆の声を上げるほどだ。


 そうしてドアを押し開いて訪れたのは、随分と遅い時間の謁見である。


「はじめまして、アトラス王」


 部屋の奥でくつろいでいた王の背後を一瞬で取って口を塞ぎ、ルシルは軽い調子で語り掛けた。

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