026空に舞えば
「交渉って名の不平等契約が結べないからすぐに武力制圧か。残念だが侵略ってのはそういうものだよな」
十人もの武器を手に掛けた騎士に囲まれてなお、臆することなくルシルは話し掛ける。
その出で立ちは、威圧感こそないが暴力を生業にする彼らからしても堂々たるもの。
それだけの自信や自負を持つ相手だと考えれば油断している場合ではない。
取り囲んでいる側の彼らの肌に湿り気を帯びていくのを感じていた。
とはいえ、左腕に抱えられたミルムがふんふんと頷く姿が、どうにも緊張感を欠いてしまう。
アンバランスな光景に、踏み出すべき足が止まる不思議な状況だった。
「ふん、何とでも言え。我が国にはこの土地が必要なのだ」
「おかしなことを言う」
「何がだ」
「霧が晴れてまだ一週間くらいだ。国の判断を仰ぐために往復したとして、アトラスで下される『戦争』の判断は一日足らずで決定するのか?」
「戦争だと? 何を言っている?」
「領土争いなんて国がする
「はっ! お前たちが国だと!? 笑わせてくれる!」
「そうか? なら存分に笑えよ」
「言わせておけばッ! かかれっ!!」
ポターニンの号令と共にまずは五人の兵が前に出る。
統率の取れた動きで近寄り、剣に添えていた手を引き抜――くことすら叶わない。
ルシルの傍を走り抜けたかと思えば、背後の砂浜に力なく倒れて突っ伏していく。
「――なっ!!」
「はぁ、こうやって争いはなくならないんだろうな」
「何をしたっ!?」
「俺もそれなりに修羅場をくぐってるとだけ。しかし敵対者に答えを求めるなんておめでたい頭だな」
「ふざけるな! お前は地面に転がって私を悔しそうに見上げていればいいのだ!」
「そうか。本当に残念だ」
空いた右手で顔を覆う斜に構えたような体勢。
目も合わせておらず、剣を薙ぐだけで仕留められそうな隙だらけに見える姿だが、そんなことは絶対にないとも確信させる。
しかしその感覚も命のやり取りを強いられるカンのいい者たちだけの『特権』だ。
対峙する五人は背筋を這う怖気が止まらないのに、ポターニンは「早くやれ!」なんて激昂していて、そんなに死にたければ勝手に突っ込めとさえ感じるほどだ。
「さて、ポターニン。今、
「何をやっている! 早くあいつを黙らせろ!」
「無茶を言うでない。こやつらでは荷が勝ちすぎる。まぁ、ルシルを害せる者がどれだけ居るかは疑問だが」
「馬鹿な上司に従って健気にも命懸けなあいつらに無慈悲な現実を告げてやるなよ」
「そうは言ってもあの阿呆が喚いてやかましいだろう。どうにかならぬのか」
「私が阿呆だと!? クソガキが!」
「ガキ……ガキだと!? このわっちに――」
ぎゃいぎゃいと
ルシルは溜息を一つ入れて不憫な部下たちに視線を送れば緊張に身を固めてしまった。
今度は苦笑を浮かべたルシルは、ミルムを抱えたままポターニンへ無遠慮に足を踏み出した。
「おい、早くあいつらを捕らえろ!」
「成果の見込めない特攻に誰が参加するんだよ。無駄死には騎士道とは別物だぞ」
「精強な我が配下がそのような甘言に惑わされるはずがない!」
「その割に
「ふざけるな! 私が貴様ごときにっ!」
「言われて前に出るなんて子供か。あぁ、他は手出しするなよ。こいつさえ黙れば命令に従わなくていいんだろ?」
「はぁ!? アトラスを背負う私を害せばどうなるかわかっているのか!」
「そりゃすごい。お前ごときが背負える国なら随分軽いな」
「今さら命乞いなど遅いと知れ!」
ポターニンは後退する足を引っ掛け無様に転ぶのをルシルが見下ろす。
そして近くまで来たルシルが「なるほど、そりゃよかった」と投げ掛け、
「では
それはポターニンの意識が途絶える前に告げられた最後の言葉だった。
・
・
・
ルシルは勝手に動かないよう釘を刺し、ポターニンたちが上陸する際に使った船に乗り、沖に停泊している軍船に渡った。
そこで異彩を放つミルムを抱えたルシルが、メルヴィの所有者だと告げれば丁重に船室へと案内される。
しばらくすると軽食と飲み物を持つ者を伴い、軍服を着た見目麗しい女性が現れた。
「アトラス国所属、クラリス=マルモル少尉です。この隊の副官を務めております」
初めて体験する文明の味に隣に座らせたミルムがはしゃぎ出し、丁寧な挨拶に面食らっていたルシルが宥める。
やはりポターニンのようにいきなり強硬な手段に出るのはおかしいのだろう。
ルシルが諸事情でオーランドから譲渡されたことを説明すれば、クラリスはあっさり納得して島に取り残している者を回収した後、軍船を下がらせる約束をしてくれた。
「ありがとう。有意義な時間だったよ」
「いえ、こちらこそご足労いただきありがとうございました」
「ところで二つ頼みがあるんだけどいいかな?」
「叶えられるものであれば」
「小舟用の帆とロープを分けてほしい。それとアトラスの方角が知りたいんだけど」
何の関係があるんだ、と疑問符を浮かべながらも「承知しました」とクラリスは頷いた。
和やかなムードで甲板へと戻った三人の下に航海士が呼んでくれる。
航海士はわざわざコンパスと海図を広げて方角を指して丁寧にルシルに教えてくれ、その間に帆とロープが持ち込まれた。
端に開いている穴に対称になるようにロープを結び、それらを一本に束ねてルシルの胴に巻き付ける。
ちょっとした風で飛ばされかねない危険な所業にクラリスは慌てるが、ミルムを抱え上げたルシルは平然としている。
「しっかり掴まってろよミルム」
「うむ。して何を始めるのじゃ」
「ちょっと遊覧でもしようかと思ってな」
「遊覧?」
「まぁ、楽しめると思うぜ」
甲板に立って自身満々にニカッと笑うルシル。
何が始まるのかアトラスの面々も興味津々の視線を送っていると、ロープを束ねた箇所を軽く引くと柔らかな風が入り帆を上げる。
さらにルシルが道具入れから取り出した
『なぁっ――!?』
アトラスの面々は一様に顎が外れたように落として目を剥く。
そんな都合よく風が吹くはずがない。であればルシルが振るったあの扇の効果だろう。
ぎっちりと握っていたロープを軽く離して帆を凧のように空に上げたルシルは、さらに扇を振るって強風を起こす。
二度に渡って風が起きれば偶然でないことを証明したも同然だ。
いつでも簡単に望む方角に欲しいだけの風が起こせる扇など、帆船が主流の現在では垂涎の代物である。
思わずクラリスが「ルシル様っ!?」と呼びかけるも、既にロープは腰までピンと張った状態だ。
後は踏ん張りさえ外せば――
「おう、そんじゃ、またな。会うことがあれば、だけど」
「世話になったな、クラリス。次はまた別の馳走を持ってくるがよいぞ」
さらに
欄干を軽く蹴って宙吊りになったかと思った頃には上空へと一気に昇り、黒い点となってしまっていた。
「……なんとも豪快な方だ」
額に手を添え眩しそうにクラリスは呟き、船を用意するよう指示を出す。
彼女にはまだ行ったきりのポターニンたちを回収するという雑務が残っている。
同時に領地を手にできないと知った彼を宥めて本国へ帰ることを思うと気が重い。
お目付け役を命じた本国の上官を恨めしく思いながら、島に向かう船に乗り込んだ。
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