025略奪の時間

 霧の立ち込める『帰らずの海域』として知られるメルヴィを、貴重な軍船で横断する蛮勇は将校にはない。

 それでも第一陣に乗り込んでいるのは、士気の挙げ方を心得ているからだろう。

 約一キロほど離れた場所から手漕ぎボートを下ろし、おっかなびっくりそろそろと近付いていく。


 目指すは中央に座する巨大な島ではない。

 まかり間違って強力な魔物が出ないように、そして現れたとしても数が揃わないように、まずは外周に散らばる小さな島だ。

 それも極力穏やかそうな砂の海岸を目指して船を進めていった。


 じゃぶじゃぶと服の膝までを海水で濡らして上陸する。

 将校の指示により、木々に布を結んでシェードを張って日陰を作った。

 そこに積み荷を固めて置き、部下は全員島内への調査に向かわせて将校が見張りの役目を担う。


「やはり少し暑いな」


 小さな船に揺られて来たことに加え、軍服とはそこそこ厚手のものを使用している。

 シェードの下で上着を脱ぎ、滲む汗を手で拭って見渡す。

 日差しは強いがシェードで遮れば風は心地よく、砂浜と海が見渡せる。控えめに言っても絶景だった。

 避暑地にやってきたと言われても納得するほどである。

 そこへ――


「やぁやぁ、始めまして軍人さん」


「なぁっ!?」


 唐突に声を掛けられ、将校は驚きの余りひっくり返った。

 腰を強かに打ち付けて悶絶していると手が差し出され、視線を上げれば人好きのする顔が覗いていた。

 将校は「だ、誰だお前は」と不信感を露骨に出して立ち上がり、出した手を無視された若者は頭を掻いて返答する。


「連れない態度だな。俺はルシルだ。で、軍人さんは誰だい?」


「何者だ!」


「あれ、話通じてる? 同じ言語っぽいけど方言とかで意味違ったりするのかね」


「縄張りに入ったのなら消せばよかろう?」


「過激な意見ありがとよ。でもな、ミルム。もしかしたら漂流って可能性もあるし、無暗に粛清ってのはどうかと思うぞ」


 青年は左腕に抱える少女と物騒ながらも和やかに会話する。

 しかしこの地が欲しい将校は、早くも暗礁に乗り上げた目論みに気が気ではない。


(霧の中の島に先住民だと? ありえんっ!)


 だが視点を変えれば活路も見えてくる。

 任意か強制かはわからないが、彼らが鎖国をしていたのは間違いない。

 先住民……つまり『現在の所有者』から、正式に島を譲渡してもらえた方が好都合だ。

 さすがに世界的に通用する契約書を用意するのは時間が掛かりそうだが、島外の情報に疎い相手ならば、不平等な契約でも結ばせるのは簡単だろう。

 それに『島を警護する』と言って二隻の軍船を哨戒させれば、他国の介入を防ぐこともできるはずだ。


 将校はルシルの気兼ねない物言いに無作法を感じているものの、金の生る木の機嫌を損ねるわけにはいかない。

 溜まりつつあった怒りの熱を吐き出し心を落ち着かせて静かになった将校に、ルシルは重ねて問いただした。


「それで。あんたは何処の誰で、うちになんの用なんだ?」


「私はアトラス国の中佐、ユル=ポターニンだ。この島には調査に入っている」


「アトラス……ってオーランドの対岸だろ。そこの軍人が何で調査に?」


「メルヴィの霧が晴れたと報告が上がってな。ちょっと待て『ルシル』だと?」


「そうだが? 何か引っ掛かることでもあるのか?」


 青年が勇者の名前を口にしたことで将校の動きが固まる。

 警戒心が肖像画にも似ている気がすると訴えても、つい十日ほど前に国王自らが開催した魔王討伐の褒章式典がオーランド王都であったはずだ。

 そこに主役が参列していないわけはなく、どんなに早い移動でも二週間は掛かる計算だ。出ているならばこんなところに居るのは状況的にありえない。

 何か拭いきれない不安が付きまとうポターニンは「いいや、気のせいだ」と自分に言い聞かせるように返事をした。


「急に霧がなくなれば調査にくらい来る。原因や危険の判断ができなくては航行も難しいのでね」


「それもそうか。霧の中に島があるなんて誰も知らなかったんだしな」


「もともとここに住んでいたのではないのか?」


「いいや? だが住んでいたというならこのミルムだな」


「わっちか?」


「一応そうなるだろ。ま、今は俺の島なんだけど」


「うむ、わっちは縄張りを口にするほど強くはないのでな」


「そういう素直なところはいいと思うぞ」


 二人の仲のいい掛け合いを見せつけられるポターニンは、周囲の言葉に耳を傾けずに出世に邁進したことで家族とは絶縁状態で配偶者もいない。

 仕事でもプライベートでも空虚な人間関係しかない彼の苛立ちを掻き立てるには余りある光景だ。

 それでも交渉を、そして領土を、と怒りで歯ぎしりを立てたくなるのを抑え、にこやかに対応するよう努める。

 まぁ、本人が必死にそう思っているだけで何ら隠れていないのだが。


「この島には君たち二人きりかね。他の島には?」


「さぁ? ちゃんとは調べてないけど居ないんじゃないかな。あとは軍人さんたちだね」


「なるほど。ならば聞くが調査に協力してくれるか?」


「調査には協力してやりたいが、踏み荒らされるのはごめんだな」


「ふむ……ならばこの島の調査は打ち切って、我々は邪魔にならぬように他の島を回るとしよう」


「ところがそれも難しい」


「どういう意味だ?」


「この辺の島は全部俺のものってことだよ」


 調査とはどういう意味か。終えれば何をする気か。

 軍船を待機させている時点で要求は目に見えているが、言葉で退いてくれるのならばそれでいい。

 まるで値踏みをするかのようにルシルはゆったりと笑んで飄々と話す。


「……では島を譲渡して欲しい場合は貴君と話をすればいいのかな?」


「そうなるな。けど残念ながら手放す気はないぞ」


「満足できる対価を約束するが?」


「それが俺はこの島で満足してるんだよ。むしろ放っておいてもらいたい」


「不便ではないのかね?」


「飯を獲って調理をし、生を楽しみ景色を遊び、気まぐれに開拓して夜は寝る。ストレスフリーな隠居生活さ」


 話から察するに出自はどうやら都会で、何かがあって逃げてきたのだろう。であれば戻れるわけがない。

 しかもポターニンよりも早く先住民ミルムを発見して飼い慣らし、取り付く島もない状況では交渉など夢のまた夢だ。

 内心で歯噛みするポターニン……だが・・、所有者が誰かなど、この場に居ない者ではわかるはずもない。

 そして『逃げてきた』という推論が正しければ、頼る先もないはずで、ガサガサと木々を揺らして『手段』を取るための部下がちょうど・・・・調査から戻ってきた。


「中佐、お待たせしました。住民は居ないようで……す?」


「よっ! ごくろうさん」


 小隊長がルシルと抱え上げられたミルムを見て首を傾げる。

 その顔にはどうしてだ、と疑問が浮かんでおり、その理由は


「どうして部外者がここに? 生活の痕跡など見付からなかったはずだが……」


「現状がすべてだ。この島も狭くはない。見落としたのだろう」


「はっ! 申し訳ありません」


「構わん。それより――捕らえろ」


 悪巧みをする笑みを浮かべてポターニンは命令を下した。

 しかし相手は帯剣しているだけの言葉が通じるどう見ても民間人だ。

 いきなり拘束するには何かしら理由が必要だという常識が動きを止めるのも、練度の高い軍人では一瞬だけ。

 即座にルシルを囲うように散会し、腰を落として腰の剣に手を伸ばす。


 じりじりと狭まる包囲陣に、ルシルは思わず息を吐いた。

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