第二章:勇者の商会、国を買う

029新たな船出?

 未だ種族間戦争の終わりは見えないが、魔王討伐のしらせは世界を瞬く間に駆け巡った。

 そしてこれまで生き残るために費やされていた消費から、よりよく過ごすための浪費に切り替わって早三カ月。

 人・物・金が世に溢れ、各地では多くの式典や祭事が行われ消費を喚起した。

 どの国も等しく恩恵を受け、好景気に沸く状況に目を向けるほど、宿敵の討伐を果たした『ルシル=フィーレ』の功績を称え、同時に嫉妬した。

 中でも最も早く吉報を聞いた勇者の輩出国であるオーランドの発展は目覚ましく、発言力が拡大していくのも面白くない一つだったろう。

 何故我が国にあの英雄が生まれなかったのだ、と。


 しかしこの好景気による人・物・金の急激な変化は、今まで隠れていた問題を溢れさせた。中でも深刻なのは税収だ。

 特にオーランドでは発展速度に対して想定している額にまるで足りていない事実に直面する。

 原因として考えられるのは、新規産業への課税が追い付いていないことや単なる申告漏れ、果ては脱税まで上げられるが、拡大した需要に対して調査官の数が少なすぎた。


 対応するにもコトは国家の根幹を成す徴税に携わる仕事だ。人選には厳正な審査が必要で、おいそれと増やすわけにもいかない。

 また、それらがやらかしてしまうだろう不正を暴くための監察官も同時に必要だが、もちろん何の目途も立っていない。

 結果、オーランドでは違法性のないモノについては、産業を育てる名目で課税を見送ることで決着している。

 しかしこの結論に至るまでにどれほどの紆余曲折があったかは言うまでもない。


 こうした問題が各国で規模の差はあれ噴出している中、オーランドではさらに勇者の話も加わってくる。

 外交的には勇者を国賓で招く打診に始まり、謝辞や贈与があちこちから寄せられ、果ては側妻でもと婚姻を迫るなど、様々なものが国内外から持ち込まれる。

 特に最近は隣国のアトラスから名目を変えて何度も持ち込まれる。その熱心すぎる態度に疑念を持つものの、勇者の立ち位置を考えれば不審にまでは至らない。

 いずれにしても長期に渡り上手くかわし続けるられるのは、発言力が大きくなったことに加えて宰相としてのケルヴィンの手腕だった。

 そしてもっと極地的な話でならば……


 ――だんっ!


 個人が使うには広い部屋に静かに、そして重く響く。

 重厚な机の上に、感情のままに固く握られたこぶしが振り下ろされた音だ。

 それは報告に訪れた者を飛び上がらせるのに十分な重みが乗っている。


「あまりに、早すぎるっ……!」


 もちろん誰も悪くはない。ましてや報告者は情報を持ち込んだだけなのだ。

 だが内容が……それにタイミングもあまりよくなく、歯を食いしばって留めた言葉が漏れ出てしまい、部屋の空気をさらに重くした。

 極度の緊張を強いられる沈黙はどれほどの時間だっただろうか……。

 あまりの空気に耐えられなくなった報告者が、勇気を振り絞って「いかが、致しましょう……?」と口にする。

 ただ、本人にしても驚くほどのか細さで、静かすぎるからこそギリギリ届くような声だった。


「密に、報告をあげるんだ」


 声を拾ってくれたことを喜ぶべきか、それも悲しむべきか。

 感情を押し殺したような力強い声で返され、部屋の空気に重みが増したように感じる。

 何せ出された指示は解決策ですらないのだ。


「しかしもうメルヴィに渡っているとなると……」


「今後の報告内容には期待できないのだろう? そんなことはわかっている。

 だが解せない。あそこは貿易や遊覧の航路もなく、しかも領主が侵入を禁止している・・・・・・。船を出す者などいないはずだ」


「ですが現実には……」


「その通り。ルシル=フィーレは滞在一日で出航を果たした。そしてその情報を駐在者が得たのは出航し、帰港を果たしてしばらくしてからだ」


「まさかこちらの動きを読んで……?」


「行き先を指定したのはこちらだ。彼の所在を追う通達を事前に出していると判断したのだろう。

 実際に勇者の追跡に失敗している我々が情報を得られているのは根回しの成果だ。

 それでなくとも各地に情報収集を目的とした駐在者を派遣している。とはいえ、それも彼の予想内のはずだ。

 でなければ急ぐ理由のない彼が取った、王都とベルンを一日ほどで出発するといった行動に辻褄が合わない」


 国に名だたる知恵者の計略も準備も出し抜かれ、それを成すのはたった一人でも国を落とせるだけの戦力を持つだけでなく、世界から勇者の称号まで与えられているのだ。

 圧倒的な数の優位を振るっても、ルシル=フィーレただ一人を補足することすらかなわなければ、もはや打つ手がないに等しい。

 オーランドの宰相、ケルヴィンは厳しめに立てていた予想を軽く上回る状況に頭を抱えるしかない。


「対策を組み立て直す。これまでの勇者の来歴をすべて洗い直せ。些細なことでも構わない。定時連絡は欠かすな」


「承知いたしました!」


 何故かビシッと敬礼して足早に立ち去っていく。余程ケルヴィンが怖かったらしい。

 確かに彼の胸三寸で簡単に首が……それも物理的に飛びかねないのなら焦る気持ちもわかるというものだ。


「まさか敵対していた魔王よりも厄介だとは……いや、それを討伐したのは勇者だから恐ろしくて正しいのか?」


 なぞかけのような問答に、宰相ケルヴィンの苦悩は深い。


 ・

 ・

 ・


 こまごましたことは山ほどあった。

 たとえばカニ捕獲の大命を受けたミルムが意気揚々と対峙したは良いものの、強靭なハサミの前に敗れて泣きべそかいたり。

 リベンジにハサミのない川海老を狙った時は、必死に石を転がして発見してもすぐに逃走を許してしまい、最終的に足に石を落として悶絶したり。

 ならばと魚を狙って川に入れば一向に浮かんでこず、慌ててルシルが助けに引き揚げたり。

 こちらはどうにも泳ぎ方を忘れていたらしい。よく生きていたものである。


 海に入ればナマコに足を取られてひっくり返ったり。魚に餌だと勘違いされてつつかれたり。

 危うくウニを踏み抜いて怪我するところだったり。逆に岩のくぼみに取り残された魚を追い掛け回して濡れ鼠になったり。

 山菜取りに森に入って毒キノコを摘みかけたり。罠を仕掛けようとしたミルムが自分で吊るされたり、ルシルの粗悪な罠に掛かったり。

 高いところから見下ろそうと木登りしたら降りられなくなったり。たまたま登ったその木に卵の入った鳥の巣があって襲撃を受けたり。その後見事に落下してルシルに拾われたり。

 ミルムが経験したことだけでも列挙するにはあまりに多く、この厳しいサバイバル環境下でいかに忙しく過ごしていたのがよくわかる。


 もちろん、これらの危機にはその都度ルシルのフォローが入っている。

 でなければ数百回の軽傷、数十回の重傷、十数回の致命傷が実現し、生存は初日から絶望的だったはずだ。

 そんなミルムが掠める数多くの危機のフォローに回る苦労性のルシルだが、意外にもこの生活は気に入っていた。


 むしろ初めてに等しいまとまった余暇は、今まで疎かにしていた『生み出すこと』にルシルの目を向けさせた。

 塩の精製や焼く以外の料理の模索、生活に必要になる細々としたものを自作していった。

 もちろんミルムに渡したような規格外の道具を生み出すことや、町の料理人を出し抜くような目覚ましい進歩はなかったが、素人なりに改善を試す日常は得難いものである。

 その中にはシャークボルトの肉を巡る不毛な争いも含まれていたが、二人は概ねサバイバルを楽しんでいた。


「ルシル! アレはなんじゃ!!」


「船、だな」


「ほう、あれも船というのか。しかしあんな変な形で水に浮かぶとはな」


「そういやミルムは川でも海でも沈んでたもんな」


「いつまでも過去のことを掘り返すでない! ちょっと調子が悪かっただけじゃ!」


「おっと、そりゃ失礼」


 諸島中央に存在する本島に構えた拠点は、結局移動させることなく改築を繰り返していた。

 今では屋根はもちろん、粗く編んだ蔓に布を乗せたハンモックで揺られて寝ている。

 石を組んで土で固めたかまども作ったので、拠点に限ってはミルムも火の管理を任されていた。

 また、順番がおかしな気がするが、次は風を遮る壁でも用意するかと二人は話している。


 そんな拠点から初上陸を果たした島へと移動手段は当然のように海上を走るというもの。

 船員たちを驚かせたルシルの奇行も、非常識かつ日常的に見るミルムは単に感心するばかりだ。

 ともあれ、予約した遊覧船は約束通り水平線に姿を現し近付いてくる。もう少しすれば砂浜に立つ雇い主を見つけてくれるだろう。


 しかしルシルは「待ってるのも何だな」と口にする。

 悠々自適なサバイバル生活では急ぐ理由はあまりないが、相手も同じとは限らない。

 随分と無理を言ってきたが、未だ良客でありたいと思うルシルは身体を沈めた。


「また走るのか?」


「おう。船見たいだろ?」


「うむ! だが……」


「なんだ?」


「あまり揺らさんでもらえると助かるの」


「くはっ、善処してやる」


「絶対できないやつじゃぁぁああ!」


 ミルムの悲鳴にも似た叫びを耳元で聞きながら、ルシルは砂を蹴って加速した。

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