030二週間ぶりの船乗り
パパッパッと海面から水を切る音がしたかと思うと、甲板にドンと何かが落ちてきた。
大きな魚でも飛び跳ねたがと慌てて船員たちが視線を向ければ、そこにはルシルが「よ!」と手を挙げて立っていた。
「ダンナは相変わらず突拍子もないですね」
「そうか? 約束通りに顔を出してくれて俺は安心してるぜ」
「またそんなこと言って……で、後ろのは誰です? 見たところ十歳ほどですが、まさかダンナの隠し子とかじゃないでしょうね?」
「おいおい。そんな子供が居るように見え……るか。若い親も居るもんな……」
「冗談ですからそう凹まんでくださいよ。ホントのところどうなんです?」
ミドガルズオルムの化身ですなどとは口が裂けても言えない。
素直に受け取られれば世界を震撼させるし、冗談と取られれば人攫いになりかねない。
どちらとも判断材料が足りなさ過ぎて、どんな答えが出るかもわからない。
言い訳を考えておくのを忘れたルシルは過去の自分を悔やみながら、背中で目を回すミルムを下ろす仕草で少し時間を稼ぐ。
支えてくれる船員に会釈して「生存者って感じかな?」とできる限り気楽に答えた。
「なっ! じゃぁ他にも生活してる奴がいるんですか!?」
「俺が知ってるのは残念ながらこの子だけだ。詳しく調べるなら調査隊呼ぶしかないかなぁ」
「はぁ……幻の島の霧が完全に晴れてたと思ったら生存者ですかい。ダンナと居ると退屈しませんね」
「そういや霧晴れてたんだな」
「へ? 何言って……」
「いや、ほら。入るのに霧吹き飛ばしたけど、入ってからは外からこの島見てないわけでさ」
「そりゃ置いていけって言われましたからね」
「まだ根に持ってんのかよ……で、もしかすると中からなら霧が見えないのかなーって思っててな」
「何でまたそんな発想に?」
甲板に布を敷いてミルムを寝かしつける。
走る距離が長いとやはり負担も大きいらしいとルシルは反省する。
結界とは世界を区切るためで、単に出入りに制限を掛けるだけだ。
そうして隔離された結界内は保護されている状況にあるとも言い換えられる。
であれば、中から外を見る際には霧など存在しないのでは……と考えるのもおかしいわけではない。
「あれだけ濃い霧だと光が届かなくて植物も育たない荒野のはずだろ? でも実際は……」
「なるほど、それもそうですね。だったらやっぱり何かしら危ない島なんじゃないですか」
「まぁそういうなよ。代わりにその子助けられたんだしな」
「そりゃそうですが……この嬢ちゃん一人で生活できてたんですか?」
「どうにも誰かが来ると解かれるような魔術封印で時間を止められてたらしくてな」
「そこにダンナが顔出したわけですか。……しかしそんな大規模なことできるなら島くらい抜け出せそうですがね」
「状況だけ見た予想だけどな。生活した痕跡は数十年単位で見つけられてない」
「へぇ……なんとも不思議な嬢ちゃんですね」
ごついおっさんたちがまじまじと少女を見下ろす姿は異様な光景だ。
普通の子供が目を覚ませば絶対泣き出すな、なんて考えながら、ルシルは渡されたワインに久々に口をつけていた。
「あ、そうそう。ダンナに客だぜ」
「俺に? 誰が? 何で?」
「さぁ……一応領主様の書状持ってるらしいですが、身分も理由も明かしてくれませんでしたね」
「ふーん……え、じゃぁこれから港まで戻れって?」
せっかく人里を離れてゆっくりとしていたのに、早くも
不機嫌を滲ませるルシルに、船員が慌てて言い募る。
「連れて来てますから大丈夫ですよ!」
「ふーん? こんなところまでご苦労なことで……え、まさか俺待ち?」
「朝食までまだ時間がありますし、まだ寝てるんじゃないですかね?」
「なら起きてきたら相手するってことで、ミルムに船を案内してやろうか」
「了解です。一緒について回りましょうか?」
「お、頼めるか? 朝から勤勉だな」
「そりゃもう。きっとチップを弾んでくれますしね!」
「っちぇ、金目当てかよ。お客さんはとても寂しいよ」
ルシルはしょげながらピンッ、と背中越しにコインを投げ渡し、ミルムのほっぺをつつくと「んんっ……」とやたらと妖艶な声色を上げる。
ぼんやりとしたまま、のそのそと身体を持ち上げる彼女を立たせ、ルシルは「ほれ、水出せ」と腰の水差しを傾けさせてコップに注いだ。
音もなくコップの水かさを増す。十分入ったところで持ち上げ、くるりと逆さにひっくり返した。
「うっひゃいっ!? なんじゃ?!」
「よ、おはよう。二度寝するとかたるんでるぞ?」
「る、ルシル……? ぬしがわっちを振り回したからではないか!!」
「島の間は大丈夫だったんだから頑張ってくれよ。ちゃんと合図送っただろ?」
「無茶を言うでない! あんなにずっと揺れるなど耐えられるものか! まったく、わっちの身にも……おぉ、ルシル以外にもヒトが居る!」
コップ一杯ではあるものの、水を掛けられたことなど忘れ、ミルムは物珍しそうに船員たちに視線を送る。
アトラスの軍船では、警戒するルシルが誰もミルムに近付けさせなかったこともあり、人とのやり取りはほぼ初めての経験である。
しかしそんな熱い視線も、向けられる側はとても居心地が悪かった。
何せ海の男は常に波に抗い力作業をする。ただ立っているだけでも筋力を必要とし、荷の積み下ろしに従事してガチムチなゴリラのような体格に仕上がる。
加えて航海中のストレスは表情を険しくさせ、それらはキャリアの長さに比例して深く刻み込まれ、威圧感を放つまでの見た目を構築していく。
端的に言ってめちゃくちゃ怖いのである。
仕事に出れば何日も留守にするため、自身の子供にさえ距離を取られるのに、年端もいかない少女が物怖じすることなく、むしろ目を輝かせている姿があればどうなるか。
気恥ずかしいような居心地がわるいような……と違和感を抱いてたじろぐのも無理はない。しかし好意的な視線を向けられて悪い気はしない。
それに仕事柄、人見知りな者も少なく、すぐに慣れた船員たちはミルムの好奇心を満たすように話し始めた。
ミルムが馴染んだ様子を見たルシルは、さっそく食器や調理道具から始まり、調味料やロープといったサバイバル生活で欲しいあれこれを船員に注文を付けていく。
特に知識は生活水準に直結するため、食べられる動植物や調理法を記した資料を要求した。
「そりゃ構いませんがかなり高いものですよ?」
「そうなのか?」
「モノによっては家が建ちますからね」
識字率の低さからくる低需要、高額な紙に加え、技術流出を防ぎたい職人など、様々な理由によって高額になるという。
逆に家は万人に必要なものなので、高いとはいえそこまで手が出ないものでもなく、両極端な二つは思わぬところで釣り合っていた。
とはいえ、いくら
生活用品で尽きることはなくとも、今後は高額な買い物は控えるべきだろう。
「しゃーないな。代わりに漁師飯教えてくれよ」
「報酬は?」
「ちゃっかりしてるぜ……」
「冗談ですって。お客さんにそこまで求めてちゃ俺らが悪者でさぁ」
気のいい船員たちと笑い合っていると、例の客が『ルシルを呼べ』とわめいていると別の船員が頭を下げて来た。
用があるヤツが来いよと思いつつ、頭を下げる船員にルシルは気楽に「どんなツラか見にってやるよ」と答えて歩き出した。
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