036港町の暴威

 ――船の手配を整えてきます


 にこやかにシエルはそう告げ、船員を引き連れてベルンに引き返していった。

 一週間程度で顔を出すと言っていたシエルは帰港後、すぐにバベル商会長として領主に謁見の予定だ。

 約束などないが断るような馬鹿ではあるまい。それにたとえ断られても、この国では王族よりも人気の高い勇者の名を出せば一発である。


 そうして謁見が果たせれば足元に蔓延る不祥事を『勇者の商会バベル』が指摘し、ルシルが手を差し伸べたクラーツを『裏取引の捜査を頼んだ貴族』として引き抜くのだ。

 ここまでされれば領主側に関与の有無など関係ない。下手を打てば貴族位の剥奪すら頭にちらつく中で、断罪の名の下に選択肢のない協力を求められる。


 もちろん『シエルの勇者ルシル』の経歴を傷付けないため、裏商売に精を出す商会や関係者・取引先も洗い出して根こそぎ潰す。

 裏取引関連の証拠は一切公表せず、販路・航路に始まり親類縁者に至るまで、誰かを泣かせた分だけ何もかもを搾り上げる。

 対して犯罪に加担していなかった者たちは、バベルもしくは子爵が一時的に生活の保障を行うなどの救済策を用意しておくのも忘れない。

 また、この件に携わる彼、もしくは彼女らは一様に守秘義務を課せられ、制約を破れば重要度に応じた処分が下される手筈である。

 絶妙な飴と鞭の使い分けにより、たとえ情報漏洩されてもバベル……ひいてはルシルの評判が下がることは絶対にない。


 そうした公表もされない舞台裏をルシルが知る場面はない。

 それに知ったころには何もかもが終わった後。いつも『やりすぎだろ』と頭を抱え、すぐ立ち直るのがお決まりのパターンだった。

 あまり悩んでも意味がないことをルシルは知っているのである。


「さって、騒がしい連中は帰ったことだし……」


「シャークボルトの様子を見に行くぞ!」


「冷暗所に入れてるだけなのに見行く必要なんかないだろ。食い意地張るのもいい加減にしとけよ?」


 これから行われるベルン港の一斉摘発を知らないルシルは、暢気に「とりあえず倉庫だな」とミルムを誘う。

 実際に暗躍組織を一週間かそこらで撲滅しようとする者など居ないので、これについてはルシルが悪いわけではないだろう。


 ともあれ今回手に入れた物資は拠点へ持ち込む予定だが、ルシルと船では積載量がまるで違う。

 どれほど膂力があろうとも、壊さず持ち運べる量には限りがあるし、すべてを拠点に持ち込む必要もない。

 ここには荷物を狙う泥棒などいないのだから。


「しかしわっちの靴がないとはどういうことじゃ!」


「俺しか居ない予定だからこればっかりはな……てか服も大したのなかったな」


「うむ、しばらくはルシルの手製で我慢してやろう」


「お、おぅ、そりゃどうも。ま、後一週間待てば……あれ、俺たちが一緒にベルンに行けばいいんじゃね?」


 などとふと思ってしまう。

 別にメルヴィに監禁されているわけではない。

 むしろオーランドの内地を移動してきたのだし、同じ地域に長期間居座らなければ宰相の危惧も無駄に終わる。

 少しの買い物くらいベルンに……と思って海上に視線を這わせると、すぐにミルムがルシルの顔に飛びついた。


「あんなに遠いではないか! 海を走るのはもう嫌じゃ!」


「さすがに失神は堪えたか」


「そんなわけなかろう! ルシルの負担を考えてのことじゃ!」


「そうか、ありがとよ。ま、急ぐわけでもないし良いか」


 相変わらず不遜なお嬢様である。

 今回持ち込まれたのは釘や留め具、釘抜き、ハンマー、固定具、定規といった大工道具。

 スコップ、つるはし、鍬、ザル、鉈といった土木器具。簡単な塗装ができるように刷毛やペンキ、紙、ペン、インクという筆記具。

 サイズによって椅子やテーブルにも代用できる空のワイン樽をいくつかだ。ロープや滑車もあるので、井戸掘りをしてもいいかもしれない。

 道具が増えればやりたいことも増えていくのだとルシルは実感し、ミルムとともに倉庫作りに精を出した。


 ・

 ・

 ・


 ルシルがオーランド首都を出て約一カ月が経った頃、宰相のケルヴィンは恐ろしい事実に直面していた。


 何年も前から税収が下降の一途を辿っているのは種族間戦争が原因なのは明確だ。

 その減収分は戦場に勇者を派兵することで周辺国からの支援を引き出し補填していた。もちろんここにはルシルへの報酬も含まれている。


 しかしそれも四カ月も過去の話。

 財政を圧迫していた戦争も少しは落ち着きを取り戻し、勇者も戦線を離脱している。となれば多大な戦費を支払う国は何処にもない。

 ルシルからすると出費と同時に支援も減ってトントンと言ったところだが、各国はこれまで戦争によって圧迫されていた反動で税収が上がると予想していた。

 現に魔王討伐による好景気は、目に見えてオーランドの景観を変えていくほどの勢いがある。だが・・、税収は未だ戻らない。

 これでは支援で潤っていた懐が丸ごと吹き飛んだだけである。


 主な原因は好景気に反してあまりにも既存の商会が倒産しすぎていることだ。

 これでは税収が上がるわけもなく、また倒産した商会の確認に労働力が割かれすぎ、新商会に対する徴税が追い付いていかない。

 そればかりか新規の商会はまず投資を行わなくてはならず、利益を生み出すにはしばらく時間が掛かるのも一つの理由だ。


 しかし暗雲立ち込めているのは税収だけではない。

 勇者の情報を集めようにもベルンに戻った形跡はなく、完全にメルヴィ諸島に引きこもっているとのこと。

 不干渉を貫く協定を結んでいるため、ルシルが立ち寄った舟屋に調査に入れない。

 そればかりか、禁止海域のために周辺に船はなく、様子伺いに行けば間違いなく発見されてしまう。

 島に引きこもっていてくれてありがたい反面、これでは何をしているかもわからず不安で仕方ない。

 しかも巨大商会、バベルのシエル=シャローがよりにもよって勇者のお膝元のベルン入りしている情報もある。


「いや……あの狂信者ならば勇者の足取りを追うのも容易だということか?」


 嫌な予感がケルヴィンを襲う。

 彼女がベルンにたどり着くまでは両者の直接的な接触はないはずだ。

 しかし、いくら国と結んだ密約とはいえ、口の堅い身内に伝えない保証はない。

 何より伝えられて困るのはオーランドだけで、多くのことを譲らせている側では実質止める手立てはないのだ。

 では彼女がルシルの事情を知ったらどうするか……?


「やはり勇者の優しさに漬け込んだ我々への意趣返しか」


 だとすれば最悪だ。

 バベルといえば勇者の商会であることは周知の事実。

 しかも商会運営だけでなく、勇者の資産管理を任され、現地で行われた口約束の経費すらも肩代わりしてきた経緯を持つ組織だ。

 信用度でならば下手な国家よりもあり、民衆の支持も高い。そんなものに介入されればどうなるかもわかったものではない。

 しかし――


「そこはさすがに避けるだろう」


 民衆の扇動に至るような行動をルシルは是としない。

 あくまでシエルはルシルの補佐であることに意義を見出すタイプなので、決裂するほど意にそぐわないことをしないはずだ。

 となれば……オーランドに置かれた巨大商会の本部の移転が最も考えられる選択肢だろうか。


 今までならば商売の中枢はあくまで勇者の所属するオーランドであり、国外への支店も補佐に適した地域に絞られていた。

 しかしもう勇者が各国で戦う必要もなく、急な支店展開の資金を確保し続けるのも不要になる。

 すでに多くの国に出店しており、地域の情報も仕入れているとなれば、完全に商売に注力するのは目に見えていることだろう。


 現在関係する店舗や商会が最も多く存在するのはオーランドで間違いない。

 いくら納税を減額されているとはいえ、勇者をないがしろにした国に固執する必要は、ルシルとシエルの両者にはない。

 制約から解き放たれた巨大商会は一体どこへ向かうのか……少なくともこのままオーランドに残ることだけはないだろう。


「この状況でバベルに抜けてもらっては困る」


 ここまでは予想できた事態だが、やはり問題は税収が上がらないことだ。

 少なくとも改善の兆しがない間は引き止めなくてはいけな――


「待て……あの二人がその程度・・・・か?」


 そう、予想を覆し続けた勇者と、その従者である。

 知らぬ間に連絡を取り合い、すでに奇想天外な動きをしているのではないか。

 であれば、自身の……ひいてはオーランドの『最悪』とは何か。


「場合によっては勇者はバベルを経由して・・・・・・・・、他国とつながりを持つかもしれない?」


 オーランドに『所属』している勇者の窓口はもちろんオーランドが行う。

 同時に密約を口外しないことを約束してもらっているため、勇者自身の動きは一応封じられている状況だ。

 しかしバベルに関しては商売とかこつけてマネジメントを行っても問題はない。

 頭の痛い問題を抱えるケルヴィンは人を呼び、バベルの動きを子細に報告するよう改めて命令を出す。

 何もかもに後手後手に回っている状況に、苦労人のメンタルはがりがりと削られていた。

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