035商会主の剛腕
ルシルが個人で持ち帰った魔物素材や秘境食材を売るためにバベルは作られた。
初めはごくごく小さな組織だったが、元手ゼロで提供される超高級素材は、好事家を始めとして数多のファンを獲得していくこととなる。
そうして得た豊富な資金は新たな事業を展開していく資本に転用もされた。
たとえばルシルの装備・道具を万全に支援をするために、元々行っていた販売に加えて素材・食材の恒久的な買い取りを始めたり。
売買のスムーズな運営に店を構えたり、ルシルの行動範囲に合わせて国をまたいだチェーン展開を惜しまなかったり。
他商会に適宜発注していた商品・資材運搬を、店舗数が増えたことでバベル自身で担うようになったり。
ルシルがもっとサイズや量を気にせず手軽にバベルを利用できるように、必要な現場に物資を持ち込む運送業も始めたり。
その際に利用する道路や休憩するための宿屋の建設・整備にも手を広げていった。
いくら関連性があるとはいえ、ただ思い付きで事業を始めているわけではない。
始まりは大体進退窮まった商会に手を差し伸べるところからだが、立て直す能力があるならそもそも困窮には至らない。
結局バベルが従業員もろとも商会を買い上げ、新たな事業に組み込む形で展開している。
ゆえに根底には『誰かのため』が存在し、だからこそ『バベルも儲ける』と胸を張る。
生き馬の目を抜くような商売の戦場において随分と甘い思想ではあるが、その後ろ盾が世界に知られる勇者であれば信用が揺らぐことはありえない。
そんなバベルを任されている若干十七歳のシエル=シャローという才女に、ルシルは王都での事情をきちんと話す。
怒りを通り越して呆れた彼女の思いは『オーランドは大馬鹿だな』の一言に尽き、どうしたものかと思考を巡らせる。
もちろんシエル以外には聞かせられない内容のため、クラーツ含めて船員たちには『使った木の食器を自分で洗いに行け』と指示している。
近くには海水しかないため、ミルムの水差しに順番待ちの列ができて大活躍だ。水を振り回して遊ぶ恐れを知らぬ子供は万人に人気だった。
そして機密の伝達が終われば後は対策だけである。
たった数年という短期間で巨大組織に育て上げた手腕もそうだが、維持し続けているのは並大抵のことではない。
だから彼女がする商売の話は、敵対者であるほど恐ろしくも厳しいものだった。
考えのまとまったシエルは、隠すことなく普段の声量で話し始めた。
「ではルシル様。島で必要になったものは『バベル』がご用意いたしますね」
「え、うん。あれ、でもこいつらに頼もうと……」
「クラーツを寄越した商会に与するなどありえません」
「ただの仕事だろ? 貴族にちょっかい出されたら面倒だし、クラーツが納得するなら連れてくるだろ」
「いいですかルシル様。準騎士の爵位程度で商会をどうこうできるわけがありません。
その証拠にクラーツが商会に乗り込む際に連れていた護衛は形だけの
それに本職でもないルシル様が彼の思惑を見抜けるのに、商会長がわからないはずがありません。
特に貿易も担うほど大きなところであれば、低位貴族などアゴで使っているはずです。
つまり彼は当て馬にされたのですよ。ふふ……ルシル様にケンカを売るなんて実にいい度胸ですよね」
「対外的には『ルシル=フィーレ』は金持ってるだけの一般人だからな。どんなヤツか探り入れたいのはわかるだろ」
「その通りです。ですので船も材料も人もバベルですべてご用意いたします」
「ですので!? 会話成立してる風なその返しおかしくない!?」
「勇者とバレるのは嫌でしょう?」
「そりゃな。けど俺とバベルの名前出した時点でもう遅いだろ」
「いいえ、むしろこれからですよ?」
シエルはニコリと笑う。
その笑顔が何よりも恐ろしいのは、良客であるルシルを奪われるばかりか、クラーツを連れて来たことで仕事すら無くなりかねない船員たちだ。
声を潜めることもなく話していれば自ずと耳にも入るし、耳に入ればソワソワしてしまうのも無理はない。
そんな船員たちに視線を向けたシエルは、腕を大きく振って口を開いた。
「バベルは新たな販路を目指し、船を購入することに
「おい、お前まさか……」
「腕利きの船乗りが居ればすぐにでも雇いたいのですが?」
仕事を取り上げると示唆した上で、笑いながら自分が与えてやると口にする。
たしかにここに居る船員たちは前回と顔ぶれは変わらない。
全員を引き抜ければルシルの秘密は守られ、ついでに今後はオーランド・メルヴィ間の海路も使えるようになる。
メルヴィ諸島に引きこもる予定のルシルからすると、どれも必要なものばかりでシエルの暴走も強く否定できない。
対して船員たちに動揺が広がるのは、余程のことがない限り潰れることも買収されることもないバベル商会の規模である。
詐欺師のような手口だが、実際にバベルにはそれを行うだけの資金力があるのは誰もが知っている。それに勇者の商会の看板の信用性はあまりにも強固で巨大だった。
転職先としては申し分なく、むしろ頭を下げてでも入りたいが、今回に限ってはバベルの方が下手に出ているとなれば自ずと答えは出てしまう。
後は信じられるかどうかの話になるが……残念ながら今のところは話だけでバベルの関係者という証拠はない。
しかしルシルの権利書、クラーツの貴族位、そしてシエルの判断・行動力を見せつけられるとついつい信用してしまいそうになる。
同時に虚偽であれば世界中から目を付けられて追いまわされる未来しか待っておらず、騙るにはあまりに危険すぎる。つまり嘘ではない可能性は非常に高い。
特に自信満々に荒唐無稽な事を言われてしまうと、人は思わず頷いてしまうものである。
「ちなみにこれだけの船員を一度に引き抜いてしまうと商会が維持できないかもしれません。
それに立候補や人手が足りなければ、転職していただいた方の口利きで同僚に声を掛けるつもりですので、どちらにせよ潰れてしまうかもしれませんね」
「いくら何でもやりすぎだろ……」
「そんなことはありませんよ。困った商会はバベルが救済しますから」
「バベルってマッチポンプで運営してるのか?!」
「まさか。ルシル様の利便性が最優先なだけですよ」
「俺が困ると他が犠牲に……」
「いえ、ルシル様が世間と接するなんてほとんどありませんでしたし、今回は本当に特例ですよ?」
剛腕を振るってにこりと笑うシエルを見て、これはもう気楽にサバイバルとか言っていられないと強く感じる。
全力で快適生活を送らねば、ベルンの港に接岸する船が全部バベルのモノになりかねない。
まさかシエル一人が参加しただけでこんな展開になるとは……ルシルは頭を抱えてしまう。
「って、そもそも俺はそんなに苦労してなかったわ。むしろ今の生活気に入ってるし」
「そうなのですか? 半年で人口二千人ほどを予定していましたのに」
「だからやりすぎだって。どんだけ人連れてくるつもりだよ。
あ、でもシエルが来てよかったかもな。俺手持ちしかなくて本とか資料買えなかったんだよな」
「ふふ……すべてルシル様の御心のままに!」
「暴走してんなぁ……一応言っとくけど図書館とか建てるつもりはないからな?」
「野望が小さすぎませんか?」
「お前って基本すごいヤツなのになんでそう残念なんだろうな」
「今、私を褒めましたか!」
「うん、今はすごく残念だなって思ってる」
「そんなっ!」
ついにルシルの相槌も適当になっていく。しかしそれもあくまでギャグパートのみ。
シリアスパートではありえないほど有能なシエルは、さっさと気を取り直して本題に入った。
「それでルシル様。戻られたのなら今後のバベルの経営はルシル様が執るということに……」
「いや、今まで通りお前が面倒見てやってくれよ。俺ができることなんて何もないしな」
「そんなことありませんが……ではバベルの方はお預かりしておきます」
「何かあったら俺も出るからよろしくな」
「はい、その時はお願いします」
井戸端会議のような状況で巨大商会バベルの経営方針が定まっていく。
いや、特に何かが変わったわけでも決まったわけでもないが、聞かされている方は委縮してしまうばかり。
そんな船員たちに改めて向けられるシエルの視線には、口に出さないまでも決断を迫る色が乗っている。
もちろんすぐにでも潰れる商会に居残る者はおらず、結局上陸から一時間と経たずにバベルは新規事業の立ち上げが成功させていた。
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バベルの最高責任者であるシエルがメルヴィ諸島に上陸する約二週間前。
――メルヴィ海域に掛かる霧を晴らして多くの島を発見した
港町ベルンで聞こえる噂話の一つである。
客人は島に降りたとされて戻っておらず、証人は乗り合わせた船員たちだけ。証拠は何もない。
しかし何処か説得力のある噂は瞬く間に広がり……すぐに収束していった。
バベルの支店はこの町にも当然ある。
市場調査という名目で常に行われる収集された情報は、すぐに編纂されて各地に流されている。
特に急を要するものであれば、シエルが常駐している王都に数日で通知が届くほどで、伊達に大商会を営んでいるわけではないのだ。
大方の状況を把握していた彼女は、自身が到着するより前に現地の情報封鎖を指示していた。
そう、ケルヴィンやクラーツがルシルに辿り着くのが異常に遅かったのは、いろんな意味で都合が悪かった彼女の息が掛かっていたからだ。
そうしてシエルが宿場町を経由して随時情報を更新しながらルシルの後を追うこと約二週間。
彼女がベルンの港に着いたのは奇しくもクラーツが商会長と相対した翌日である。
「顧客情報を簡単にばらまくなんてどういうつもりでしょうか」
ベルンに降り立ったシエルは溜息混じりに呟いた。
もちろん、クラーツが持ち込んだ話も耳に入っている。
事前に手を回して潰すのもありだが、その場でこじれて島にルシルを取り残すわけにはいかない。
「はぁ……しかしあの方は何故こうもトラブル体質なのでしょうか」
困った風に息を吐くものの、その頬はほんのり色付いている。
何故ならメルヴィ海域への渡航は、船員の話にあったように『何が起きても助けないぞ』という意味ではなく、領主が明確に禁止しているのだ。
一般的な商会であれば、どれだけ金を積まれても……いや、むしろ積まれるほどに領主の了解が必要なことを訴える。
そこまで領主に隠したいことがあるなど、どう考えてもヤバイ取引に巻き込まれる雰囲気しかないのだから。
それが蓋を開ければルシルはあっさりと遊覧船に乗り込んで行ってしまっている。これでは宰相のケルヴィンも頭を抱えるはずだ。
ベルンの港を訪れたルシルが、いきなり不審者と遭遇するシーンを振り返ってみても、そんなことは普通ありえない。
あれはルシルが頼った商会と敵対する誰かの仕業で、要は金額次第で危ない橋を渡ってくれるところだっただけである。
ちなみにルシルがドナート=カステド子爵の下へ行けば、少しばかりの足止めを食らうが二つ返事で渡航を了承される手筈だっただろう。
「船に乗ってる方々が真っ当なところが救いであり、不憫でもありといったところですか」
航海の日程を組んだり客の要望に応えるのは商会の仕事だ。
そして表に出せないような取引や運搬に『遊覧船』を出すことで利益を上げていた側面もある。
対して船員たちは手配された船を操舵し、目的地に届けるのが役目である。結局彼らは航海情報くらいしか知らないのだ。
今回の件で言えば船員が口にした説明は商会側からもたらされた情報で、彼らが疑問を抱いて確認したなら『許可はもらった』と渋々伝えるくらいだろう。
もちろん数日後に出るメルヴィ行きにも許可など出ているはずがないのだが。
シエルがバベルを運営しているのは、ルシルが望むものをすべて用意するためだ。
しかし残念ながらルシルが彼女に求めることはあまりなく、そのジレンマがバベルを大きくする原動力にもなっていた。
まずは問題の商会に顔を出し、渡航用の金貨を積んでメルヴィに渡るところからだ。
「さぁ、それでは私も『密航』させていただきましょうか」
ルシルの待つメルヴィ諸島は目の前だ。
あぁ、早くお会いしたいです……柔らかな視線はそう物語っていた。
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