034大商会の主
「ルシル様の趣味です」
「ルシルはそんな恰好が好みなのだな!」
しれっとシエルが答え、ミルムがうんうんと真剣に頷いた。
そして聞き耳を立てていた外野は口に含んでいた食事を吹き出さないように必死に抑えている。
三者三様の態度を示すが、最も納得がいかずに唖然とするのは吊るし上げられたルシルの方だった。
「え、待って? 俺そんなこと言った覚えないんだけど?」
「態度を見ていればわかります」
「出したこともないけど!?」
「では私が女性の恰好をしていても平然とされているのは何故でしょう?
これでも男好きのする容姿をしていると自負しているのですが……と考えたところ、男性の方が好みなのかと」
「何その超展開?!」
男性比率が圧倒的に高いこの場において、ザっと距離が開くのを感じる。
たとえば客と船員の立場を壊したり。希望に沿えば厚遇したり。すぐにチップを渡したり。その見返りはいったい何なのか。
そう、たとえば厄介ごとを持ち込んだ『男』を相手に、親身に身の上話を聞いてやる理由は何か。
近くに居たはずのクラーツも一歩退いている。なんとも薄情な奴らだろうか。
「えぇぇぇ……人に優しくするだけでこういう扱い受けるのか。野郎どもにはこれから厳しく接することにするわ」
「冗談ですってダンナ。ところで本心はどうなんで?」
「本気も本気です。その証拠に今まで服にも容姿にも声を掛けられなかった私に質問が飛んでいるのですから」
「見慣れない恰好なら疑問くらい持つだろ! お前らも変なこと言ってると仕事回さねぇぞ!」
「答えはなし、っと……こりゃ男娼連れてご機嫌取ってみるのもありですな」
「てめぇら……いい加減にしとけよ……?」
言いたいことがありすぎて言葉にならないルシルは青筋を立て、ミルムは「だんしょうとは何ぞや」などとクラーツに聞いている。
どうにもクラーツは融通が利かないようで、返答に困っているのを「要らんことを聞くな」とルシルが止めに入り収束に向かう。
その体たらくでよくぞ交渉事の前線に出て来たものである。
そんなやり取りを目を細めて眺めていたシエルが感慨深く声を上げた。
「ともあれ、ルシル様の目に留まったのならこの恰好も悪いものではありませんね」
「はぁ……そもそもお前は何着ても似合うんだから、一々俺の評価なんぞ要らんだろ。実際自信満々じゃねぇか」
「ルシル様ッ!」
「な、なんだ?」
「もう一度聞かせてください!」
「え、自信ま「違います!」一々俺の「違います!」……お前は何着ても似合だろ、か?」
「そう思っていただけてたんですねっ!」
シエルは「あぁぁぁ……」と突然ギュッと自分の身体を抱きしめる。
クールビューティ的な印象が強かったはずが、急にギャグキャラ化する姿に違和感どころか怖気が走る。
美形とはいろんな意味で周囲に影響を与えるもんなんだな、と遠い目をするルシルもシエルの変化についていけていない。
「では仕事の話に戻りますね」
「切り替えすげーな……」
「まずはトラウゴット=クラーツ様、貴方はドナート=カステド子爵の代理のような態度で商会長およびルシル様に相対いたしましたね?」
「そんなことは誓ってしていない」
「であれば結構です。命拾いしましたね。
ですがルシル様がお持ちの権利書は国の宰相が用意したものです。そしてあの方が対象地域の領主に根回しを怠るはずありません。
だというのにルシル様に対して領地の主張を行った貴方は、この地を治める子爵と国を預かる宰相に対してケンカを売ったのと同義です。理解していますか?」
仕事モードのシエルは淡々と事実だけを積み上げていく。
元々訴える気のないルシルは「え、俺が訴える流れなのか?」と苦笑いすると、すかさず「ルシル様は黙っていてください」とシエルに抑えつけられる。
クラーツの問い掛けは、組織のトップ会談で決まった内容に対し、下っ端が『おかしいだろ』と言い出したのと同じだ。
しかも普通なら自分の組織や上司に掛け合うところを
それだけでもクビになりかねない内容だが、クラーツの行動がありえなさすぎて、部外者からすると上司二人を巻き添えにした『異議申し立て』にしか見えないことがまずかった。
この大惨事の中でルシルが笑うだけで許してしまえば、勇者に対して『一回は許される』と考える不届き者が現れてしまう。
あるいはルシルとクラーツの両者だけであればなかったことにもできただろうが、商会長を含めて証人があまりにも多く、最早握りつぶすのは難しい。
であれば、シエルがクラーツを許せるはずがない。
「つまりルシル様の言葉一つで貴方に賠償を問うのも簡単であるとご理解いただけますか?」
もちろん密約の部分は語れない。むしろシエルは未だにルシルがここに引きこもった理由の全貌を知りもしない。
しかし国のVIP相手にケンカを売り、明確に関係者の信頼という資産を削いでいる。
国益すらも大きく損っている以上、オーランド国からすると叛意ありと捉えられても仕方ない大失態だ。
「……どうにでもしてもらって構わない」
「では、貴方は何ができるのでしょうか?」
「は? 何が、とは?」
「得意なことですよ。準騎士爵ですので武芸だと思っていましたが……どうにもそう感じられません」
「多分そいつは荒事には向かない素人だぞ。どっちかと言うとシエル、お前に近い」
「ルシル様が仰るならそうなのでしょうね。ちなみに読み書き計算は得意でしょうか?」
「あ、あぁ……人並みには?」
「そうですか。でしたら選択肢は二つ。いえ、三つご用意いたします。
一つ目、ルシル様が国にクラーツ様を訴え、賠償金を国と領主から貰うのが誰にとっても最適解です。
二つ目、ルシル様は国に訴えは起こしませんが、その分の対価をクラーツ様が支払う。こちらは随分と貴方に負担が大きくなりますね」
脇の甘いルシルを世界が知れば、まだ見ぬ誰かが舐めて掛かるに違いない。
見せしめは必要だとシエルは考える。だから制裁に手を抜くなどありえない。
「最適解がいきなりあくどいな?!」
「この三つ目は一番お勧めしませんが……」
「うっわー……主人の反応フル無視だぜ!」
「爵位を返上したのちバベルに入職する」
「……なっ!?」
消沈していたクラーツは驚きのあまり急に顔を上げた。
そんな話についてこれていないミルムは不思議そうに「にゅうしょくとは何ぞ?」とルシルに耳打ちしている。
たしかに『責任を取る』と言って爵位を返上すれば、訴えより前に罰を贖っているとみなされるだろう。
また、ルシルの組織で働くというのも奉公の意味で効いてくる。少なくとも身内に鞭打つのはためらわれるはずだ。
シエルが気にしているのはあくまで体面や対外的なところで、外から見られたときにちゃんと『やられたらやり返すぞ』という姿勢さえ取っていれば構わないのだ。
もちろん、これらの事情を誰かに話す予定はない。あくまで突かれたときに出すカードを手にするための手順だった。
「就職だな。
「働かざる者食うべからずだものな!」
「そうなんだけどそうじゃないんだよなぁ」
こんな和やかなやり取りは当事者たちの耳には届かな……いや、シエルは耳をピクピクさせているので聞こえているようだ。
それでも場面的に構うわけにいかず、シエルは「いかがいたしますかクラーツ様」と答えを求める。
先の二つの選択肢ではただ破滅するだけなのだから答えなど決まっている。
しかし比較するには余りにも歴然とした差がありすぎた。
困窮するクラーツに手を差し伸べることに何の利があるのだろうか。
それだけの重い仕事が待っているのか、はたまた別の裏があるのか。
ぐるぐると考えが追い付かず、クラーツは絞り出すように問い掛ける。
「何故、そんな……バベルなどという一大商会への引き合いを選択肢に入れてくれるのだ……?」
「まだまだですねクラーツ様。ルシル様に何の利があって貴方を気に掛けるとお思いですか?」
「ま、まさかっ!! 私の後を――」
「違いますけど!? 何でこのシリアス展開でギャグ挟んでくるんだよ!」
「ふぅ……今は真剣な話をしているんですよ。ちょっと場を弁えてくださいルシル様」
「あれぇ、怒られるの俺なの!?」
主を平気で罵倒する従者とは驚愕だ。主従関係とは何ぞやと考えさせられるものがある。
「貴方の話を聞いた時点で、ルシル様はクラーツ様が反逆罪に問われかねないとわかっていましたよ。
出方次第にはなりますが、救うつもりで検討していたはずです。もちろん訴えるつもりもありません。
私がここに居なければ、早晩バベルに貴方の紹介状が届き悩むことになっていました。ルシル様はそうした方なのです」
「そう、か……。では、お言葉に甘えさせてもらうとしよう……」
「お勧めしない三つ目ですね。帰港次第、爵位返上を行いますので、身の回りの整理が最初の仕事ですね」
「承知した。よろしく、お願い致す」
「えぇ、
ルシルの紹介なのだから、実際にできる仕事を割り振られるはずだし、給料もきっちり出るだろう。
これで貧しさに困ることはなくなるとクラーツは浮かれる。
しかし部下になることが決まった瞬間、様付けが取れた上に何だかヤバイ感じの言葉が混じっている。
むしろシエルの目の奥が笑っていないところを見ると、本音で『三つ目はお勧めしない』と言っていた可能性が非常に高い。
ルシルはそんな人身売買の現場を見て見ぬふりをし、朝食の片付けにミルムを誘った。
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