033シエル=シャロ―
二週間前のルシルを知っている船員たちからすると、目を引いたのは剣くらいで持ち込んだ物資など高が知れている。
今まさに広げられている食料なんて一人分の最低限で、調味料も必需品の塩くらいしかなかったはずだ。
まさかこの島に入ってたった二週間で二十人分もの客をもてなせるとはだれも思わない。
船員にしてみれば、これだけの食材……トマトや芋を得るだけでも相当難易度が高い。
だというのにミルムが叫んだ
十何年も前にたまたま撃退したことで口にした者が何人か居るだけの幻の味。
味わったことのある者が記憶をたどっても美味い以外の感想を掘り起こすことはできなかったアレだ。
しかもルシルは「足りないなら作るから言えよ」なんて気楽に請け負う姿に誰もが目を疑うばかりである。
そんな部外者からすると驚くばかりの朝食は、気落ちするクラーツにも振る舞われる。
木でできた容器に入れられた朝食を渡され、船員に連行されてルシルの近くに座らせられる。
勢い勇んで現れた珍客でもルシルは邪険にしない。完全な敵などそうそう居ないことを理解しているからだ。
「今回は残念だったなぁ。領地、欲しかったんだろ?」
「何故、わかる……?」
「平民と貴族じゃ言葉通り『
爵位に付いてくる俸給は位が低いほど安いわけで、手持ちが心許ないからと働きに出ようとも貴族を雇う場所なんか多くない。貴族も勤め人もそう変わらんさ」
「……爵位を賜ったときには生活が楽になると思ったものだがな。あれをしろ、これをするなと口煩く言われるだけでなく生活にも困窮するとは予想外だ」
トレイを見つめたまま落ち込むクラーツは食事に手を付けない。
それを見たミルムが覗き込むように話しかけた。
「なんじゃ。わっちらの飯が食えんというのか」
「そ、そうではないが……」
「いらんと言うのならわっちが食すゆえ、それをこっちに寄越すのだ」
「やめんか恥ずかしい。手を引っ込めろ」
ぺちり、と小気味いい音が上がる。
慌てて手を引いたミルムが文句を口にする。
「これ、痛いではないか! 叩くとは何事じゃルシル!」
「痛くしてんだよ。それよりクラーツ、お前もさっさと食えよ。ミルムのパンはともかく俺のスープは絶品だぜ?」
「なんだと?! わっちのパンが一番に決まっておろうが!!」
「知ってたかミルム。そのパンにも俺が砕いて焼いたクルミが入ってるんだぜ。バターも引いたしな。そう考えればパン、スープ、ジュース、卵って全部俺の料理じゃね?」
「横から塩振っただけで料理したみたいな言い方をするでない!!」
ギャーギャーと言い合う兄妹のような二人を見て、沈んでいたクラーツも表情を緩ませてパンを口に運ぶ。
世間体など気にせず、自由に何でもできるこの二人のように、誰も居ない僻地を開拓するのも一興かもしれない。
「美味い」
噛み締めるようなたった一言が、心の底から出たような深い言葉だった。
最近こんなにも素直な感想を口にした覚えがないクラーツは、思わず出た言葉に逆に絶句してしまった。
「ほら見ろ! わっちのパンを最初に食したぞ!」
「いや待て。最初に何から食べるかなんかは気分と習慣だ。ここから全部の味を見てからが勝負だ」
「たしかに……しかし最後には
「ははっ……美味い、な」
「お、仏頂面が笑ったぞ。これはわっちの勝利に違いない」
「お前ナチュラルに失礼なやつだな。いいから黙って見守ってろよ」
ミルムの首根っこを掴んで横に座らせ食事の続きを促すと、スープを手に取り「ぐぬぅ、いい味じゃ……」と悔しそうに褒めている。
他人の物を取ろうとする前に、まだ残る自分の分を完食してもらいたいものだ。
ともあれ、思い詰めていたクラーツの意識はぶった切ることに成功したようで、静かに頷きながら食事を進めていた。
「お久しぶりですルシル様」
引き続き即席で作った朝ごはんにパクついていると、腰を九十度に折り曲げる綺麗な礼がされた。
何者かと視線を向けたルシルは久々に見た顔に表情を緩めて歓迎する。
「久しぶりだなシエル。こんなところまで何しに来たんだ?」
「何しにだなんて酷いですね。王都に来たのなら挨拶くらいしてくださいませんと」
「すまんすまん……って、あれからまだ一カ月も経ってないぞ?」
「貴方はすぐに何処かへお出かけになられますからね」
「……おい、まさか王都での追手ってお前の差し金か?」
「追手なんて人聞きの悪い。こちらにご招待する機会を伺っていただけですよ」
あちゃーと天を仰ぐルシルは失敗を感じる。
たしかにこいつならその程度の根回しはするだろうし、ルシルの思考を読んで先回りもできるだろう。
今回は追い掛ける形になったが、この船に便乗しているのなら、見失った王都からほぼノータイムでベルンに目星を付けたはずだ。
まさしく『ルシルなら一直線に突っ切るだろう』という予想のまま結果を得ているわけである。
「誰じゃそやつは」
「ん? あぁ、俺の金を管理してくれてるシエル=シャローってやつだ」
「初めましてミルム様。我が主、ルシル=フィーレの資産管理を目的とする『バベル』を任されております」
金髪の頭を下げて改めて完璧な挨拶をする。
身長は百五十ほどだがパリッとした動きが低さを感じさせない。
年齢はミルムよりも年上の十代に見えるだろうか。
顔と共に上げた長いまつげの下から海の色のように切れ長の青い瞳が覗いた。
砂浜に埋もれるだろう革靴に細いパンツを履きこなし、この温暖な気候でもシャツにクロスタイ、ジャケットを身にまとう。
胸元のポケットには白いチーフが見え、腰の銀鎖は懐中時計にでもつながっているのだろうか。
長い四肢を覆う服は
そうしてスタイルを見せつけるように立つシエルは顔を上げ、ミルムを正面に見据えて問い掛ける。
「ルシル様とはどのようなご関係で?」
「うむ。情けない話だがわっちは今ルシルに囲われておる身だ」
「言い方、言い方! 保護してるんだろ! てかシエルもケンカ腰になるなよ!」
「なんと! 威嚇されておったのか!」
「ケンカなど……ルシル様がまたやらかしたのかな、と」
「
「ルシルはあちこちでやらかしてるのか?」
「それはもう。そのせいでバベルに人が集まって大変で……」
「つまり早晩、わっちもそこに送られるのか!」
「慈善事業してるのに人攫いみたいな言い方するなよ!?」
「ルシル様どういたしましょうか。私ならば彼女を連れ立って行くことも可能ですが」
「ルシル?! まさかわっちを島から追い出そうというわけではあるまいな! まだシャークボルトが残っておるのだぞ!!」
「わぁ、もうこいつらマジで話が通じない……」
クラーツに続いて朝っぱらから千客万来である。
戦場において無類の強さを持つルシルも、予想外の出会いがこれだけ起きれば対応も難しい。
というよりルシルを話題の中心に置いてるくせに、誰も彼の言葉を聞こうとしていない。
ひとまず彼女たちの話を聞き流すことにし、ルシルはずっと気になってたことを問おうと「というかさ」と口にする。
「なんでしょうルシル様?」
「シエルは何で男装してるんだ?」
ルシルがいぶかし気な視線を向けるのは、細い腰に相反するように張り出す胸だ。
そう、長い金の髪をふわりとなびかせる『シエル=シャロー』は、めちゃくちゃカッコいい女性なのである。
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