023いざ、実食!

 熱された石板に艶を乗せるのは厚めに切られた純白の魚肉だ。

 豊富な脂を滴らせて踊り、ゆっくりと反り返っていくと同時にきめ細かな白から色が抜け、半透明へと変わり始めたところで裏返す。

 そこらの岩から切り出しただけの石板に焦げ付くこともなくするりと剥がれ、触れるだけで染み出す肉汁がキラキラと光を反射してまぶしい。

 これが網であったなら、滴る脂によって大炎上していたに違いない。物がなかったことに感謝する日が来るとは思いもしなかった。


 石板が脂を弾いてぱちぱちと音を立て、焼き上がりを示すようにふわりと香り広がる。

 よだれがにじむ光景に今か今かと前のめりのミルムに合図を出すと、さっとフォークですくい上げた。

 透き通るシャークボルトの肉を軽く振り、熱を飛ばしたミルムは口に投下した。


「うんまいっ!!」


 飽きるにはまだ早いものの、朝に引き続き焼き魚には違いない。

 しかし、魚肉とは思えぬ肉質は四つ足獣のものと錯覚させるほどで、舌に乗せただけで頬が緩み感情が口を突いて溢れ出す。

 あまりの美味さに貪欲に次を要求するかと思いきや、芳醇すぎる味がゆえに頭の処理能力が追い付かない。

 一刻も早く全貌をつかもうと必死に咀嚼を繰り返し、口の中から形が消えても未だ味が消えず飲み込めない。

 だが――


「お、おう……そうか。なんか申し訳ないな」


「どうしてじゃ! 今まで食べたものの中で最高じゃぞ!」


「そりゃパンの塩かゆと貝と魚の塩焼きしか食ってないだろ」


「どういう意味じゃ!」


「あんまり言いたくないけど、俺って料理下手なんだなって痛感してる」


「なんだと?! まさか……このしゃーくぼるととやらはまだ美味くなるというのかっ!!」


「まぁ、実際は火を通して塩振ったただけの料理とは言えないようなものだしな」


 晴天で風も穏やか。シャークボルトなんて超高級魚まで揃っていればやるしかない。

 解体とともに軽く事情を話したルシルは、そのままその辺の岩を板状に切り出しバーベキューを始めたのだ。

 こうして自然しかなかったはずのこの島は、ルシルの手によってあっさり人工物が増えていっている。

 彼が本気になれば地形など容易く変えてしまうのが如実にわかる光景でもあった。


 ミルムが絶賛した魚肉もまだ前菜だ。

 巨体のわりに皮を剥がすとミルムの両手に乗るほどしか取れなかった希少部位のヒレの登場だ。

 とりあえずヒレはその一枚だけ。厚切りだったよく焼きの魚肉と比べ、薄めにカットしたヒレは火を通しすぎるのも勿体ない。

 石板ではなく直火で何秒か炙る程度……これ以上は火が付く、というタイミングでルシルが引き揚げミルムの口に放り込んだ。


 旨味が脳天を突き抜ける。

 先ほどの身でさえ処理が追い付かなかったのに、ヒレは口に入れてすら未知の味だ。

 噛むとほろりと形を崩し溶けていく。そうして理解が及ぶ前に喉奥に抜けて無くなってしまう。

 いや、噛み締めた最後の瞬間、柔らかい中にもぷつりと微かな反発がある。

 その抵抗によってただ飲み込んでしまうだけでなく、口中に余韻を残し満足感を引き立てた。

 むしろこの余韻だけで飯が食えるレベルである。


 ミルムの言葉にならない姿を見るルシルは、食材は超一級だが料理の腕は全然足りないと自嘲する。

 ついでにルシルのカンでは危険はなさそうだが、あくまでそれは『ルシル的には』という注釈がつく。

 ミルムも同様に大丈夫とは限らないことに少しばかり不安が付きまとう。


 しかしまさか自身の価値を戦場に見出していたルシルが、そこを離れた方がこのように充実を感じるとは。

 舌鼓を打ちながらもこれまで生き残るための食事しか作ったことに苦笑が出てくる。

 ふとミルムがはぐはぐと前のめりで肉を口に運ぶ姿を見てルシルが気付いた。


「俺の言いつけを守ってちゃんと冷ましてるとこ悪いが、さっき渡した火竜の腰帯ベルトは『熱』耐性を持つから熱さにも寒さにも強いぞ」


「ふむ?」


「ピンと来ないか。昨日より火に近くても肌が焼けてないだろ? 何なら石板触ってみるか?」


 ルシル的には冗談で言ったのだが、効能を確かめるべくミルムは手のひらを躊躇なく石板に押し当てた。

 肌の焼ける嫌な音や香りはしない。痛みも熱さも感じない。

 ミルムは「おぉっ、熱くないぞ!!」とご機嫌で熱された石板をぺしぺし叩く。


「いや、だとしてももうちょっと怯えて試せよ」


「これでルシルのように石の器も手に取れるな!」


「聞けよ。それと熱くなくても重くてしんどいのは変わらんぞ」


 ルシルは逐一ミルムに反応しながら傷みやすい内臓モツをせっせと石板に乗せていく。

 特に肝臓は栄養価が非常に高く、癖のある臭みもルシルのお気に入りだ。

 ここに酒でもあれば……などと考えなくもないが、サバイバル下で酔っぱらうのはさすがにまずいだろう。

 などとルシルが考えていると、


「そっちのはもっと美味いのか?!」


内臓モツは好き嫌いがわかれるな。野生動物なら率先して食べるらしいが」


「わっちをそこらの獣と同列に語るでない!」


「え、んじゃ俺が全部食べていいの?」


「ま、待て! いらぬとは言っておらんぞ!!」


「えーどうしようかなぁっと」


 フォークの先でちょこっと削り取った白子をワーワーとわめくミルムの口に突っ込む。

 普段ならあまりの熱さに仰け反るところだが、火竜の腰帯の効果でとろみが舌を包み込んでも平気だ。

 しかしヒレとは違った、たとえるのが難しい腹にたまる不思議なクリーム感と濃厚な旨味がミルムの口内を支配していく。


 そんな叫びだしたくなる衝動を、ミルムは身体を揺すって足をバタバタ振って何とか逃がす。

 しかし充満するこの旨味をこぼすのは勿体ないと、唾液が止まらず緩む口を必死に塞ぎ、百面相まで始めてしまった。

 ルシルはそんなちょくちょくだらしなく開くミルムの口を目掛けて別の部位を放り込んだ。


「―――んんっ?!」


「お気に召していただいて光栄だ。お嬢さん」


 にんまりと笑うルシル。

 噛むほどに味が染み出し歯触りが面白い。いや、包まれていた旨味が味覚を刺激する。

 ミルムの口内は、しっとりとしていた食感から、プチプチとしたものへと移り変わっていた。


「なんだ! なんなんだこれは!!」


「シャークボルトの卵だな」


「たまご、たまごだと!?」


「そ。美味いシャークボルトさんは空を泳いでめちゃくちゃ強いわけですが」


「あれは強いのか? ルシルが一撃で屠ってなかったか?」


「あ、俺は例外ね。んでそんな成長すれば手の付けられないシャークボルトさんの子供は意外にも超弱い。

 卵なんて無抵抗で美味くて栄養豊富でさらに弱くて生き残るのが難しかったらしい。そこでシャークボルトさんは考えました」


「自然は過酷だからな」


「うんうん。ミルムも今まさに実感してるわけだしな。で、全滅を防ぐために一人二役しよう、ってな」


「一人二役?」


「雌雄同体っていうらしいんだが、要は一匹でオス・メス両方の役目を果たせるわけだ。どっちかといえば植物っぽい生態だな」


 生物学者でもないので細かいところまではわからないが、とルシルはぶつ切りで焼かれた内臓モツを頬張り説明する。

 ともあれ、白子も真子も持つシャークボルトは、だからこそ人の食指に絡めとられて数を減らした。

 どんな危険性よりも美味さが凌駕するとはなんとも業の深いことだろうか。


「そういやミルム。筋肉痛以外の体調は万全か?」


「うん? 昨日もそうだが、わっちに不調などないぞ!」


「立てもしなかったくせによく言うぜ。そんじゃこれを腰にでもぶら下げておけ」


「なんだこれは?」


「『常盤の水差し』ってやつで、念じて傾ければ水が溢れる旅のお供だ」


 ミルムの腰に巻いた火竜の腰帯に、黒くくすんだ手の平ほどの急須……常盤の水差しを吊るした。

 しげしげと見下ろすのは腰帯を身に着けた時と同じ。

 そして――


「おぉ! 本当に水が出てくるぞ!!」


「おいこら。試しに水出すのは良いけど火は消すなよ?」


「大丈夫じゃ!」


「いや、垂れてるから。絶対大丈夫じゃないから。後で川とか海に好きなだけ注げばいいだろ」


「消えてもすぐ点けられるだろう?」


「それじゃ昼飯はもう終わりにするかな」


「な、なぜだ! それは早計じゃろう?! こら掻き込むな! ルシル!?」


 ルシルは熱された石板の上で踊る肉を端から口に放り込む。

 既に結構な量を胃に収めているはずのミルムは、水差しを慌てて腰に戻して新たな切り身を乗せる抵抗を見せる。

 そんなに食べたいのなら、と息を吐いて見守るルシルだったが、急いで口に入れる姿を見れば不安が募る。


「悪かった、冗談だよ。そんなに急がずにゆっくり食べろよ?」


「うむ、うむ!!」


「聞いてねぇな……って、ちょっと待て。お前食いすぎだ! 人は体重の一割も一食では食えないんだぞ!」


「あぁっ! 取り上げるとは何事じゃ! 卑しいぞルシル!!」


「ちげぇ!? 昨日病人食だったやつが肉ばっかり食うんじゃねえよ!」


「まだ足りぬというのに!」


「限度があるんだよ! 足りなかったらまた夜食わせてやるからもうだめだ!」


「後生じゃ! あと少し! いや、もう一切れだけでいいから!」


 すり寄ってくるミルムの頭を押さえるルシルは今度こそ帰り支度を始めた。

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