022便利な道具たち

 解体を始めたはいいものの、このまま持ち帰って血肉の匂いを拠点に漂わせるのはまずい。

 そもそも十メートル近い巨体をすべてバラせば持ち帰るのが煩わしくなるのも難点だ。

 かといってシャークボルトを捨てるのは論外だ。これほどの超高級魚を次にありつける機会など回ってくるのも怪しいのだから。


 となればどこかしらに保管し、食べる分だけを都度切り出すことになるわけだが……。

 ミルムが平らな岩の上で不貞寝しているのを視界の端で捉えつつもルシルの思考は巡っていく。


「あ、そうか。ミルムの祠だ」


「急にどうした?」


「この肉保存するのにいい場所があったな、って思って」


「保存、とな?」


「いや、だって魔物の肉は腐りにくいだけで劣化はするし、全部食うには量が多い」


「たしかに一度に食う量ではないな。


「少なくとも十日。いや、できれば数カ月持たせたいわけだ」


「その程度持たないのか?」


「そうか……本体なら大体丸呑みだし気付かんわな。死肉なんて数日あれば食えなくなるんだぞ」


「ほう、そんなに早くか。やはり命は重要なものなのだな」


「ふ……こいつの肉を食ったミルムが、俺の先見性に感涙しているのが目に浮かぶぜ」


「ルシルにそこまで言わせるとは……ちょっと味見してみんか?」


「その前に保管だ。このままだと痛みが早くなるからな。長期保存には温度の低い場所が必要でね」


「涼しい……だがこの辺は暖かいのではないか?」


 まだ見ぬ美味にこそこそと岩の椅子を降りてシャークボルトに近寄ろうとするのをルシルに止められる。

 腐る前に、と思うのもわからなくはないが、逆にそこまで急ぐ必要などない。

 ともあれ薄着でも過ごせる気候では間違いなく保存は無理だろう。


「おう。そこでミルムが居た洞窟だ。あそこは日陰でかなり涼しい。海水に沈めて置いとけばかなり持つと思ってな」


「海水ならさっき沈めておらなんだか?」


「あれは洗うため。これからは保存のためだ。って、ちょっと待て俺。これ海に沈めたら魚に食われるんじゃないのか?」


「それはいかんぞ!!」


「そうだよな。え、保存するのってこんな難しいのか?」


「他に手段はないのか! 海には絶対に入れねばならんのか?!」


「いや、主に塩で〆たいんだが……」


「ふむ、なるほど! ルシルはこれを見越して昨日塩なるものを作っておったのだな!」


「うん、ちょっと違うけど結果的によかったと見とこうか」


 とりあえず腐らせるのを遅らせることはできそうだ。

 ただ、現地調達を主として保存食を作る機会はあまりなかったのでどうなるかは不明なところが難点だ。

 そんな不安をおくびにも出さず、ルシルは解体したシャークボルトを肩に担いで引きずっていく。

 頑丈な皮は傷一つつかず、何なら岩肌を自重で削り取りながら巨体が運ばれる。

 空いている反対にはミルムの手をつなぎ、早いところ塩の生成方法を模索する必要がありそうだ、と考えながら洞窟へ向かった。


 洞窟に入ってすぐ。ミルムの目は予想通り人並でしかなく、昨夜早々に寝かせたのは正解だったことが証明された。

 凸凹とした状態に加えて筋肉痛では足元も覚束ず、ぶら下がるようにつなぐ腕を頼りに洞窟を歩いていく。

 寒暖さを苦にすることはないルシルだが、一つの見落としで手詰まりになりかねないため環境の変化にも敏感だ。

 奥に歩みを進めるほどゆっくり気温が下がっていくのを感じ、隣を歩くミルムも少し動きがぎこちない。


「……あ、そういえば『火竜の腰帯』があったっけ」


「また何か出すのか?」


「熱耐性を持つ便利な腰巻きベルトだ。ほらこれ巻けば寒さともおさらばだ」


 たまにこうして必要に駆られることもあるが、希少な道具であってもルシルにとっては無用の長物であれば記憶も朧気だ。

 カバンから引っ張り出した細く浅い朱色の腰帯をスカートの上に緩く掛け、長く余った部分をぞんざいに垂らす。

 ミルムは追加装備を興味深げにしげしげと見下ろし、不思議そうに「これだけで?」と口にした。


「何とも便利なものを作るのぉ。ヒトはこんなものを皆持っておるのか?」


「まさか。そんな古そうな見た目でも火竜のそれも成竜から作った高級品なんだぜ。全員持ってたら服なんてほとんど……ってわかんないよな」


「名前の時から気になっていたが、材料に本当に火竜を使っているのか? ヒトは本当に脆弱なのか?」


「弱いぜ。だからこそミルムが身に着けてるようなものを作り出すんだよ」


「ふむ。しかし自分より高性能なものを生み出すなど無茶な話だな」


「牙や爪がないから剣や槍を持って、硬い皮がないから服や鎧を着る。言われてみたらそうだな」


 親より子が必ず強くなることはないが、人が知識を次代につなげばほぼ確実に攻略対象が増えていく。

 それは環境であったり、天敵であったり、災害であったりするが、余程のことがない限り繁栄が約束されているだろう。

 そう考えれば今更ながら無茶な生物だな、とミルムの言葉にルシルは感心してしまう。

 ただし他国の侵略にも力を注ぐこともあるので、一概に成長していくとも言い難い……結局人の天敵は人なのも事実だ。

 ルシルも国王という人に嫌われてこの場にいるわけだし、何ともやるせない思いが溢れてくる。


 そうしてカラコロとミルムの木靴が奏でる音を聞きながら歩いていくとようやく最奥に到達した。

 改めて見たミルムを封じていたと考えられるご神体らしきものは倒れて水に沈んでいる。

 確かにこれでは封印の役目は果たせそうにないが、すでにミルムなかみが出てきているので今更何か起きることはないはずだ。


 手近な岩を切り飛ばして椅子にしてミルムを座らせ、同じように切り飛ばして作った岩のまな板にシャークボルトを乗せた。

 外での解体では内臓を取り出し、一部の肉を切り出しただけに留めてある。

 大した道具もない中で持ち運ぶのならば、切り出すだけに持つが増えるからだ。


「何とも薄気味悪い場所だの」


「元お前の寝床だぞ?」


「そうは言われても記憶にないのだが……せめて周りがもう少し見えればな」


「暗視効果のある眼鏡グラスならあったと思うが使うか?」


「なぜすぐに出さんのだ!」


「俺が使わない上に場面の限られる道具をちゃんと覚えてないからだよ」


「んっ!」


「その手はさっさと出せってか? ちょっとお前図々しくなってねぇ?」


 血と脂で粘る手で取り出せるわけもなく、ご神体が浸かる水で手を洗う。

 洞窟が侵食されて潮の香りがするので海水かと思っていたが、意外にも溜まっていた真水だった。

 もしかすると染み出したり流れたりしているのかもしれない。

 ごそごそと取り出した片眼鏡モノクルをミルムの鼻に乗せ、髪を掻き上げ耳につるを掛けた。

 フレームから垂れる落下防止用のチェーンを服に噛ませ、目を瞑って大人しく待っていたミルムに「もういいぞ」と声を掛けてルシルは解体に戻る。


「おぉ! 片方だけ明るくなったぞ!」


「掛けてるのが片方だけだからな。両方に効果があると光を直視したときに失神しかねないらしいぜ」


「なるほど! しかしこの道具は目に着けないと効果がないのだな」


「どういう意味だ?」


「腰帯は熱耐性なのだろう? しかし全身に何か身に着けたわけではあるまい」


「あ、確かにそうだな。片眼鏡モノクルは感覚強化だからか? さすがに作り手の思惑までは知らないな」


「そうなのか。しかし便利なものよな。何か身に着けるだけで一段上の性能に上がるなど」


「今更だけど道具ってすごいんだな?」


「ルシルの持ち物なのに何を言ってるんだ?」


「おう。ちょっと色々と自分のことを見直した方がいいかもしれないな、と思ってな」


「うむ、精進するのだぞ」


「えー……俺、今記憶が怪しいやつに言われてるぅ……」


「些事を気にするとは……これだからヒトは矮小なのじゃ」


「今はミルムも脆弱な人なんだからあんまり見下ろすのは止めような?」


「むぅ……確かにその通りだな。すまぬルシル」


 きょろきょろと興味深げに周囲を見渡していたミルムが、ルシルの背に視線を向けて謝れば、すぐに笑って「素直でよろしい」と答える。

 ミルムの……いや、幻獣が放つ言葉を額面通りに取る必要はない。彼女は害をなそうとしているわけでもないのだ。


 ともあれ洞窟の奥はきちんと寒い。

 外よりは遥かに肉には快適な環境だが、それでも完全に腐敗を食い止めるにはほど遠い。

 朝回収した苦い塩をシャークボルトの半身に擦り込むルシルは、この手間が無駄にならないことを祈るばかりである。

 腐敗した際に斜めるミルムのご機嫌取りという難題を解決する見込みがないからだ。


「そういや脂が絞れれば色々役に立つな」


 ぼそりと呟いた野生児のルシルは少しばかり文明りょうりに感化されつつあった。

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